NHKが年末に司馬遼太郎の作品「坂の上の雲」を放送する。何故今再び、この作品を国民に見せるのかは言うまでもないと思われる。明治時代と言う貧しき時代に頑張った明治人の生き方を今の日本人に再認識させることが必要と感じたからであろう。勿論、明治時代にも清清しい出来事ばかりでなく現代と同様に卑劣な日本人はいたと思われるが、問題は明治人の方は現代の日本人より遥かに崇高な意思と目的を持って存在していた事は事実である。私の母方の祖父も明治人であったが、現代の様に孫を馬鹿可愛がりする人ではなかった。私にとって祖父は親以上に厳しい存在であったが、この年になってもその教えは生きている。確かに、現代の日本人は豊かになったと思うが、教養と言う尺度からすれば最低レベルで生きている。米国資本主義を信奉した似非学者や評論家が跳梁跋扈して馬鹿の一つ覚えで「選択と集中」や「短期的な利益の追求」などを鸚鵡返しに叫んでいる。英語が話せるだけで無能な連中が高額な報酬を取ったり、パソコンを使えるだけで実務能力が無い者が実績を上げて来た者を馬鹿にする図式は呆れてものが言えない。PCが入り込んできたためにデータ重視の社会となり、恰も実務経験など必要がない様に思われてきているが、その延長線上に人間も必要ないことを忘れるべきでない。データなど採用の仕方で如何なるものにもなることを忘れているし、データは過去を語っているに過ぎないことも忘れている。実務経験軽視くらいは許せるとしても、企業のリストラ推進のために行なっている"虐め"は本当に情けないの一言に尽きる。日本経済バブルが崩壊してから日本人は自信を失って米国に盲従して来ているが、当の米国の政治経済を見ると何も学ぶべき事はないことに気づいた。米国経済は人を大事にする社会ではないからである。資本家の利益を確保するために実務経験者を切り捨てて安い未経験者と交代させるために経験を重視しないデータ中心の社会を築いてきたのである。米国が日本に持ち込んだのは格差社会と犯罪増加、更に人間不信である。尤も、米国でもGEの様な企業もあるので学ぶ企業や人を間違えた結果と思われる。嘘を言っても騙しても平然としている金融業界などのシステムを金科玉条として受け入れた企業とその経営者が日本を駄目にした輩である。