明治神宮建設を自然再生手法で行なった明治人の叡智を思う

明治時代の日本人は現代人と比較して何故こんなに質が違うのかと考えさせられる。戦前の教育や社会が良かったのかと言えば大正時代の日本人や昭和初期生まれの日本人を見る限りそうでない事は一目瞭然である。この様に考えると、近代以前の日本人の生き方が再考に値するのではないかと思われる。最近、財界人でありながら民俗学の研究を行なった渋沢敬三(渋沢栄一の孫)と市井の民俗学者であった宮本常一の交わりの本を読んだが、宮本常一によれば日本の社会には貧しさの中に相互互助の精神や皆で決める民主主義的なルールが存在していたとのことであった。現代人の我々が考える以上に明治時代以前の人々は人間として質が高かったと思われる。最近、行政の予算の無駄使いが指摘され、民主党政権になって無駄を是正する事業の仕分け作業などを進めているが、本当に生きた予算を考えるならば明治神宮の建設時に明治時代の行政マンが常に考えていた建設後に維持費を掛けない思想を学ぶべきと思われる。驚くべき事だが、明治神宮の建設に際して自然再生で失った森を復活させようとしていたドイツに学者を2人留学させてその技法を修得させたことである。私の記憶違いでなければ、明治神宮は建設後の維持に最低限の費用で行なえる自然再生の技法で代々木の一角に作られた鎮守の森なのである。商品経済が発達すれば貨幣経済となりお金の重要性が高まるが、少なくても税金で構築する施設に関しては建設後の維持費用が掛からないように配慮するのが当然の義務である。しかし、資本主義の隆盛と伴に行政に携わる人々も何を勘違いしたのか企業の経営者の様な発想で税金の無駄使いや外郭団体が民間企業と競合する事業を展開してきたのである。その結果が膨大な赤字国債を生み出した訳である。血税の意味も風化してしまったのかもしれないが、行政の堕落と相俟って国民も倫理観を喪失してしまい、大阪府の様に100人1人が生活保護者と言う驚くべき状況を現出させている。この様な状況が生じた一番の責任は政治家であることは自明であり、二番目は行政に携わる公務員であろう。勿論、最悪な政治家を選挙で選んだ国民も責任はあるが、今の選挙制度では候補者を選ばない権利がないので20~30未満の投票率で然もその内の50%も満たない候補者が議員になる仕組みそのものが議論されるべきと考える。明治以降は豊かさを求めて中国大陸に進出し太平洋戦争に突入し、戦後は再度豊かさを求めて経済活動に邁進し人間としての尊厳と倫理観を喪失してしまった。明治と言う年号は、「明るく治める」の字義であるが、現代の日本人にも明るさを取り戻す様に叡智を期待したい。

民主党の予算の仕分け作業が財務省主計局指導では予算が生きない!

民主党は90兆円に膨れ上がった各省庁から上がってきた来年度予算要求に関して無駄をなくす事を大義名分にして仕分け作業なるものを公開したが、この短時間の聞き取り調査で予算に対する必要や不必要が理解できるのかと言う疑問が誰しも持つと思う。確かに、予算の無駄を解消する事は重要な事だが、問題は仕分け作業にあたった民主党の議員の多くが予算の使われる先に対して何を根拠に削減してるのかであろう。どうも漏れ伝わったところに依れば、財務省の主計局が予算切りのマニュアルを作成して指導していたということである。日本の予算の使われ方が駄目になった張本人の一人が財務省主計局にあったことを民主党政権は忘れているらしい。鳩山首相は仕分け作業は今年限りのパフォーマンスと正直に答えたらしいが、民主党は野党時代に予算の無駄使いの追跡調査作業を行なっていなかった証が今回の仕分け作業なのである。私は財務省主計局の予算に対する従来の削減方法が誤っている考え方に基づいているために財務省の指導を受けた仕分け作業では本当に必要な予算もカットされると考えるからである。財務省主計局の何が駄目かと言うと先ず目先の数字しか見ていないことと、帳尻合わせの削減に終始してきたからである。財務省主計局の担当者は必要以上にエリート扱いされたために誰しも分かる事が理解出来ないと言う弊害をもっている。各省庁の予算を見るのに配属されている人数を見れば幾ら頭が良くても現場を見ないで担当官庁の全事業の是非が分かる筈がないのにである。私が中央官庁の役人と話した経験から言えば財務省役人は人を馬鹿にした様な言い方をする輩が多かった。連中からすれば私の質問に対してもっと勉強してから出直して来いかもしれないが、私から言わせれば民間の業務と異なり、百年一日の如くの業務を行なっている財務省の仕事など分かっていて当たり前なのが理解していないのに驚いた。特に、昔と違って偏差値教育で高学歴となった今の世代では知識があっても知恵がないので尚更である。国民は予算の無駄をなくす事と同時に生きた予算編成を望んでいることを忘れたのでは政治家でないことを民主党は肝に銘じるべきである。

政府税調が"私立為業"を阻害している

民主党政権になっても自民党時代と政府税調は変わらない様だ。尤も、私は政府税調の発足経緯を知らないので、その役割を省みないでの意見であることを前提としている。今般、民主党がマニフェストに書いた中小企業に対する減税措置の実現について税調が噛み付いたのである。税調の減税反対の理由は景気悪化で税収が40兆円規模に減少する可能性が高いためである。基本的に税調に係る委員は無知の集りであるとしか言い表せない。そもそも、行政の無駄使いは何故起きたのか委員連中は知らないらしい。税収が多いから無駄使いに走ったのである。自民党から民主党が政策転換を図るには、日本は発展途上国とは異なるから官で行なう役割や事業を最低限まで縮小すると同時に、税金を大幅に減らして民の活性化を促すことが必要なのである。それが、税調如きが"私立為業"を阻害する様な発言を行うとは言語道断である。赤字国債の返済のために現状の税体系を維持したり増税を行なうのは本末転倒である。何故、赤字国債が膨大になったかは一目瞭然である。国民に富があり、税金でその富を吐き出させれば国家財政の破綻が防げると思っていることに問題があるのである。税収を減らせば自ずから行政組織も簡素化するし、議員定数なども削減するか報酬を引き下げなくてはならなくなるのである。それが税調の見解は財政再建を理由に増税であり、民間の経済活動を圧迫する各種制度の強化を促し、「私立為業」を邪魔しているのである。民主党は改革で色々行なっているが、何故税調など残しているのか気がしれない。それより大事なのは、行政組織と議会を縮小して経費節減を図る事である。今回の予算の仕分け作業にさして財務省の役人が馬鹿の一つ覚えで事業の是非を赤字かどうかを基準にして判断していたらしいが、黒字の事業を行政組織が行なう必要はないのである。黒字の事業なら民間に委ねるべきなのである。行政が行なうのは事業を行なう必要があるが、民間企業では採算が取れない事業に対してだけで良いのである。行政にも民間企業と同様に貸借対照表と損益計算書が必要と指摘され、全てにその考えを導入しているが、必要なのは全体の収支に対してだけで、個々の事業に適用する話ではないのである。個々の事業に適用し、赤字事業なら行なわないなら民間と行政の役割が一緒になってしまう。そのような考えなら行政のすべての業務を民間に委託すれば良く、その方が断然税金が安くなるのである。そう言えば行政の一番の無駄は御用学者や御用経営者が名を連ねている各種委員会であるので、先ずこれらの委員会を廃止すべきである。

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