高速道路無料化とETCカード処理費用の負担問題

カード会社の人なら誰でも知っているが、ETCカード利用者は殆んど知らないのがカード会社の利用における採算性であろう。私もカード会社の方から聞くまでは知らなかったのだが、ETCカード利用に対するカード会社の処理費用は1回の利用が2500円以上でなければ赤字になると言うことである。この利用から言えば、私位の利用ではカード会社に損を与えていることになる。ちなみに、1回2500円の料金は100km以上の距離を走ったときであり、早朝や深夜料金の利用ならば2500円の使用は100km走行どころではない。自民党政権時代に期間限定で土・日・祭日を全国一律1000円の料金にしたことはカード会社の処理費用はどうなっているのか聞きたいと思うが、多分カード会社の泣き寝入りと推定できる。民主党政権がマニフェストで公約した高速道路無料化は財政難から九州や北海道に限定する様な雲行きだが、それでもカード会社の処理費用はどうなるのか気になることである。政治家は、いや日本に政治家などいないので政治屋と言うことにするが、消費者金融に対するグレーゾーン金利の過払いの分の時効無き払い戻しも片手落ちの政策である。本来ならば、過払い分の変換に対しては過去の決算に対する納税払い過ぎ分の税還付が当然にあって然るべきである。そうでなければ会社は潰れることになる。消費者金融が鬼っ子と言ってもそこで働く社員の数は大きいのである。政治屋は鬼の首を取ったかの様に世間にアピールするが、多重債務者の自己責任は何処に言ったのかと考える。又、消費者金融のCM解禁や消費者金融会社に多額の貸付を行なって儲けた保険会社や金融機関の責任はどうなったのかを問い質したい。昨今の日本は魔女狩りの様に為政者の責任を転嫁させたような行為が多く見受けられる。ETCカードから話が飛躍してしまったが、子供でも分かるように世の中の仕組みは善悪では決められない複雑なので、一方的な意見を聞いて判断すると間違うかもしれないことを肝に銘じるべきであると思う。

土地・建物には科学的思考では理解できない現象が生じる

神社が建てられている場所には過去の出来事に対する鎮魂や願いの意味があると思うようになったのは埼玉県の深谷市の利根川沿いの集落の地図を見たときであった。その地図には、愛宕神社、熊野神社、諏訪神社の名称で数え切れないほど建立されていた。勿論、殆んどの神社は小さく無人であるのであろうが、その多さには驚いたのである。そう言えば、私の実家でも氏神様の祠が作ってあり、家族の安全を祈願している。土地に係る仕事を生業としている会社も同様に何かを行う時には必ず安全を祈願して行なう風習が残されている。神道は日本人が自然との調和のために生まれた原始宗教と言ううことは理解するが、現代でも神社を作って鎮魂した方が良いのではないかと思われる再開発地域もある。その代表的なものは六本木ヒルズであろう。私の知る限り、六本木再開発地域のビル・マンションで事件が起きた様な例はない。六本木ヒルズの高層ビルだけでも回転ドア死亡事故、エレベータ火災など、又最近世間を賑わしている押尾事件も同エリアのマンションで起きたものである。私の故郷の話だが、良く曾祖母に聞かされたのは土地に関する話である。良い土地だが、その土地を所有した人は必ず子供が出来なかったりして再度更地になると言う不思議な事である。逆に、ある土地を取得してから会社が発展した様な話もある。過去の開発ではこの種の話が結構あり、再開発に参加させるのは大変であった思い出がある。当社が再開発した大型ビルでも完成後に水の災害で苦労した記憶がある。この大型ビルは完成後から考えられない水の事故が相次ぎ、近くの神社の神主を呼んで御祓いを行なったことがあった。勿論、水の事故はその後も続いたが、竣工後15年を過ぎてその種の事故は聞かれなくなった。土地を変えてから10年以上経過して漸く納まったのである。余談だが、近くの神社は偶然にも水を鎮める神様を奉っている事を聞いてその偶然に驚いた。このblogでは書き切れない程の話が土地についてはあるので、取得に際しては土地・建物の履歴は大事であることを言いたい。私も若い頃は祖母にきいたことなどは迷信と考えて一笑に付していたが、今では世の中には科学的思考では考えられない不思議な現象があることが分かりすぎるくらい経験した。

グローバル化はアジア文明の真骨頂

グローバル化と言った言葉が一般的になって久しいが、グローバルを進めた米国はグローバル経済を他国に押し付けただけであったので失敗した。真のグローバルを考えると、正にアジア的な文明の発展形態だが、特に日本が世界の中で最も実践してきた民族であると思われる。米国と同様に欧州各国もキリスト教と言う一神教の国々はグローバルに不向きであることは自明の理である。グローバル化は植民市時代にもあったことであるが、この時にはキリスト教の布教で植民地と言うグローバル化を進めたのである。しかし、1929年の金融大恐慌が当時のグローバル経済を崩壊させたのだが、今回のグローバル化は情報社会がキリスト教の布教の代わりとなって役割を果たしたが、今度も金融危機によってグローバル経済の先行きが危ぶまれている。尤も、前回と違って今回のグローバル化は情報と言う世界の共通価値観で以って浸透した現象であるので、グローバル化が衰退する事はないだろうが、今後主導権を握れるのは他国の文化を排斥するのではなく、多神教的な文化を有するアジア、特に日本がリーダーになるのは歴史から見て相応しいと考えられる。欧米人にとって日本人を理解出来難いのは日本は神仏習合の様な全てのものを混同する文化であり、欧米の一神教の様に他者を敵対関係として滅失する文化とは異なるからである。グローバル化が本当に根付くのは経済だけでなく文化も融合することであり、その見本は日本にあるのである。最近の日本及び日本人は米国を真似したグローバル化が正しい考え方と思っているが、真のグローバル化は経済だけでなく文化の融合が必要だと言う事を忘れている。もちろん、この様な考え方は日本だけではないが、このためにグローバル化と言いながら反対に民族意識は高まり紛争が絶えないのは何かを考えるべきである。

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