知恵のない節電強要!!

日本政府や東京電力は自分の誤りを反省もしないで電力が足りないから節電しろと強要している。最近の草食系の人々は大人しいので唯々諾々と節電努力をしている。翻って、海の向こうの米国・NYに眼を転じれば、電力供給会社が報奨金付きで省エネを消費者に要請している。この差はなんだろうと考える。民主党政権の左翼的な考え方だと、電力は消費者のエゴにより増大したのだから原発事故による電力不足は諸費者にも責任があるので、節電をしろと言うことになる。この様な議論はフザケルなと言いたい。電力の供給の主体は工場などである。工場に安い電力を供給するために国民は高い電気料金を支払ってきたのである。然し、いまや工場の海外移転等で過去に予想した電力など必要なくなり、電力設備は過剰投資となっているのが実情だ。福島原発事故直後の計画停電などは原発事故に対する問題を電力不足に置換した悪質な詐欺的行為だ。節電の強要は電力不足ではなく、原発事故による他のエネルギー調達コストの上昇の負担を軽くするために呼びかけているものと推察され、実際に電力供給不足が起きるかどうかは不明だ。本来ならば、今回の原発事故を契機に一時的な節電ではなく、省エネの強力な推進を考慮して米国・NYの供給会社の様に報奨金付きの呼びかけが必要だ。工場は兎も角として、オフィスビルに関しては、①照明が40%、②空調が28%、③その他設備が32%の電力消費割合とされている。節電15%の実現は照明から始めるのが効果的と考えると、LED照明に切り替えると行政が助成金を出す事により促進させれば、一時的な節電ではなく、省エネ効果を高め、東京電力が発電設備を減らす効果が期待できる。その他にも省エネ対策に対して行政が報奨金なり助成金を出せば一挙に省エネが進むと思われるので、今回の原発事故を単なる事故に終わらせずに日本のエネルギー使用に関して大きな転換点となる政策を打ち出す必要がある。政治家や官僚にもっと知恵を出せと言いたい。

橋下大阪府知事の県議会議員の定数削減発言は正しい

大阪府・橋下知事の県議会議員の定数は人口10万人に一人にすべきだは正しい。橋下知事の発言に鳥取県知事や議長は反発したらしいが、同知事が指摘した市町村議員の存在を考えれば現在の県議会議員の定数は多すぎる。私の出身地の茨城県でも県議会議員は50名を越えるので、10万人に一人を摘要すると人口は230万人位なので半減し、正に適正規模となる。以前から指摘されていた様に市町村議員は合併で削減されたが、どうして県議会議員は財政難にも拘わらず定数の是正が行なわれないのかだ。橋下知事は正論を吐いたのである。これに対して、官僚上がりの知事や既得権者の県議会議員などは何れも定数削減に反対している。本当に地方自冶体を考える人は県議会議員の定数削減に賛成な筈だ。選挙でお願いしますの候補者に投票した結果が、既得権者となって定数削減に反対している。橋下知事の維新の会が明治維新の時と同様に御旗を立てて大阪から東京に上り政治を変えてくれる事を期待したい。勿論、財政の観点から見た定数削減だが、この定数削減が地方自治を弱めることを意味するのではなく、逆に贅肉を削いで現代に相応しい議会制民主主義の構築にすることである。中央政府に権限を集中させるのではなく、地方自治体に権限を移譲して地域の再生を促すことを目的とするものといえる。真の改革とは、全く新しい発想で臨む事であり、既存の体制を疑う事から始める必要がある。本当に必要なものならば否応なしに残るのであり、何も恐れる必要はないのである。橋下知事の発言に反発するのは必要でない証である。

出藍の誉れ!!

サムスンと聞いて分からない人は少ないだろう。韓国の世界的企業だ。書店で眼に止まった一冊の本「サムスンの孤独な帝王 李健煕」を購入した。父親の時代に韓国のトップ企業になり、二代目の息子「李健煕」が世界的な企業に成長させた。グループ企業から見れば日本のソニーやパナソニックを凌駕している。何故この本に興味を持ったかと言えば、私が20代後半に日本と韓国の経済交流情報の収集の仕事をしていたからである。サムスン、漢字では三星と書くが、第二次世界大戦後に韓国で生まれた財閥企業の一つである。創業者は李秉喆 で厳しい人と聞いていた。韓国の財閥企業の中でサムスンは日本の歴史や日本企業を研究して成長した事は聞いていたが、今回購入した本を読んで改めて多くの事を日本から学び、今では日本企業を凌駕し反面教師としているといるのが分かった。私が韓国経済を学んだ時代は正に軍事政権絶頂期である朴正煕が大統領の時であり、「漢江の奇跡」と言われた経済成長を遂げている時であった。然も、その朴大統領が暗殺され、後継を巡ってクーデターが起こり、全斗煥が大統領に就いた激動の数年間だった。奇しくもこの時代に私の大学の同窓が韓国に販売した機器のメンテナンスに渡韓していたのだが、彼は正に朴正煕の暗殺時にソウルにいてホテルに缶詰となった。学窓は今では時効だからと話したのは、彼はKCIAの盗聴設備のメンテナンスで渡韓していたとのことであった。日本と韓国は色々な事で戦後も交流していた事が理解できる話だ。サムスンも日本企業に追いつき追い越せと社員に号令を掛けて何度もの危機を乗り越えて大成長した。正に日本から見れば「出藍の誉れ」であろう。サムソンは戦前の日本の財閥企業と似ている。逆に現在の日本企業は財閥時代の社員が居なくなり、戦後教育の社員が経営者となったのだが、それと伴にサムスンが羨望した企業風土や社員の姿が消えた様だ。その事が、現在のサムスンの経営者「李健煕」から日本企業は怖くないと言われてしまったのであろう。サムスンと言う企業は実は昔の日本企業に近いのかもしれない。勿論、サムスンも成果主義や事業の選択と集中を採用して急激なグローバル化の経済に対応してきたが、企業の根底に流れる意識は常に韓国及び韓国民に置いており、日本企業の様にグローバル化の中で米国方式に盲従し、国家及び国民を蔑ろにしたのとは基本的に違うと思われる。人を大事にする企業は困難を乗り越えて進んでいる。同様に人の弱さと強さを熟知した経営者によりサムスンはひたすら変化に対する対応を続けている企業と推察できる。"事業(企業)は人なり"を痛感する本であった。
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