神に愛されている日本人

不謹慎なタイトルと思われるかもしれないが、学生時代に読んだ作家の開高健のエッセイに「神は愛する者に試練を与える」と書かれていた。私も人生を振り返ると、神に愛され続けて来たのを実感する。然も、日本列島と言う島国に生まれたことは、「台風」、「火山」、「地震」、「津波」と言う自然の驚異にも晒されて生きてきたのであえる。今回の東日本大地震を振り返ると、東北地方の津波に弱い地形に多くの人が住んでいた理由を考える必要があると思った。確かに、三陸沿岸は漁業が盛んなので職住接近の便利さから言えば、津波に弱い平坦地に家を建てた方が都合が良いのは確かである。然し、海岸線を埋め立て津波に弱い平坦部を作ってまでも、リスクの高い平坦部に多くの人が住むようになったのだろうかと考えてしまう。古来より日本人は自然の中の脅威も神として敬い、その様な神と共棲してきた文化がある。日本の祭りは色々な理由があって成立しているが、盆踊りなどは死者が帰ってきた時に行なう弔いの意味もあると思われる。古来より日本人は自然の驚異に対して謙虚に恐れ戦き生きてきたのであり、自然の他の生き物と共棲してきたのである。然し、明治維新以降は西欧式の近代化により科学の力でもって人間優位の社会に転換を図ったのである。1945年以降は米国式の資本主義と民主主義が主体となり、更に米国式の豊かさを追求して次第に自然の驚異を忘却し、自然に対して尊大な気持ちを持つに到った感がある。確かに、国や国民は豊かになり、今でも世界の中では恵まれた地位を築いている。日本列島の理想的な人口はどの位なのかと考えると、食糧生産基準の江戸時代には3千万人位であったらしいが、、今は約4倍近くの人口となっている。この人口に到った背景には西欧近代化による産業育成や公衆衛生の導入など富が齎した面が強い。過去60年を振り返ると、日本人に対して神は横を向いていたと思われて仕方がない。勿論、この間にも、思い出したような神の小さな愛を日本人に幾たびか与えてたが、大東亜戦争で大きな愛を受けたためか小さな愛に終始した。此れが為に、日本人は神の愛を科学技術で克服できると言う考えに至り、多くの国民も知らず知らずに古い教えを守らなくなっていた。竹やぶが地震に強いので過っては田舎では何処でも敷地内に竹やぶがあった。昨日見たTVでは、川や海の護岸作りを日本古来の石積みによる工法を開発して取り組んでいる造園業者が放送されたが、自然との共棲が身を守る助けになることを思い出させて呉れた。然し、東京都内などは自然との共棲でない高層化の街づくりを進めており、海岸線はコンクリートで固めている。力で自然を押さえつけようとする事は東日本大震災で不可能と理解させられ、その上自然界の中に存在しない物質を作り上げる原子力発電所に対して自然が警告したと思わざるを得ない。CO2削減や再生エネルギーが求められる現代にあって、日本が東日本大震災と原発事故と言う大きな神の愛を受けたのは、神が日本人を見捨てたのではなく、新しい国づくりの指針を与えたのだと考える必要がある。東北東海岸の復興が自然と共棲したものであり、且つ人々が多くの物を共有する社会作りであると予感され、日本全体にその考えが浸透することが地方の復活に繫がると考える。

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