野田政権は田中角栄以降の自民党型政治の回帰だ
20年近く迷走した政治の帰結は自民党政治型の回帰となった。戦後に採用した中間選挙区制度を改正して小選挙区導入で二大政党政治を目指したが、二大政党の一つの民主党は党の綱領も定める事が出来ない烏合の衆の政党となり、党の混乱を納めるために発足した野田政権は正に自民党型の政治の回帰であった。国民としては野田政権の発足で何のための長い年月の政治空白かと憤りを覚える。そもそも情報化時代になり、価値観が多様化してきた現代において二大政党などの実現を目指したのは誤りであったのである。尚、百歩譲って自民党の単独政権を壊すために小選挙区制度を導入したのかもしれないが、しかし民主党を見る限りその後の戦略が見えない。野田政権の発足で一番がっかりしたのは、自民党が官僚に支配を許す契機となった田中角栄の政治手法を踏襲していることであった。自民党政治が官僚をコントロールできたのは、それぞれの省庁の政策に通じていた優秀な大臣を任命してきたからであった。今から40年前の佐藤栄作首相までは当選回数で大臣にさせる情実人事はなかったのである。しかし、田中角栄が総理となった時点から、自民党の総裁選挙に貢献した議員を大臣に就任させるシステムとなり、勉強してきた政策と関係がない省庁の大臣に就任し、結果的に官僚の言いなりになるお飾り大臣の出現となった。多くの国民は忘れている出来事だろうが、政治が駄目になったのには理由があるのである。野田内閣の大臣の人事では正に田中角栄型を踏襲しており、防衛大臣が防衛政策を知らないのがシビリアンコントロールだと居直る姿には呆れて物が言えない。野田総理は松下政経塾出身と聞くが、松下幸之助は経済人で成功した人である。経済人で成功した人は強烈な個性の持ち主が多いが、野田が松下翁から学んだ事は選挙に勝つことであると推定され、政治とは何かを学んだとは思えない。確かに、松下翁はビジネス社会においては神様なのであろうが、晩年に危機を感じた日本の政治に関しては一般人の域を出ていなかったのではないかと思料する。日本が政治を間違えたのは、田中角栄を出現させたことなのである。そう言う意味では、田中角栄の政治を学んだ小沢一郎にも期待できる事は何もない。優秀な官僚を使うのはその省庁の政策を熟知している政治家だけが出来る事である。勉強してきた政策と関係ない議員が大臣になったら、逆に官僚に支配されるだけとなる。今の日本は責任を取る事がない官僚が政策を進めてきたから間違ったのである。野田政権も発足当初から大臣就任の動向を見る限り期待できない。然も、最悪な事には、馬鹿の一つ覚えの増税一辺倒の財務官僚に洗脳された野田だからと思ったが、財務官僚に洗脳された最初の国会議員が田中角栄だと気が付いた。財務省を解体しなければ日本の夜明けはないと言える。