政治家と公務員の報酬を景気変動指数に連動させるべきだ

政治家や公務員が無責任になっているのは景気と関係ない報酬制度で守られているからだ。少なくても、連中の報酬を「失業率」、「倒産件数増加率」、「円高上昇率」、「デフレ率」など景気関連指数と関連付ければ現在の様な能天気な生き方が出来ない筈だ。高度経済成長以前には、公務員の報酬は民間企業と比較して低く、政治家も議会開催日に支給される日当制であった。それが高度経済成長によって税収が増加するに従い、公務員の給与は鰻登りになり、政治家も月給制度になって職業政治家が生まれた。特に、公務員の報酬は大企業を基準としており、国民の大多数が勤務する中小企業の給与基準を大幅に上回ったものとなった。また、職業政治家の出現は己の生活が優先となり、高邁な思想や信条をもった者が少なくなり、政治家を矮小化した。国民の知らないところで政治家や公務員の利益が拡大されてきている。因みに、公務員の高額退職金や高額年金は給与が低い前提で、老後に恵まれた待遇を与える制度であったが、何時の間にか老後の手厚さを維持して現役時代の報酬を大手民間企業並みに引き上げてしまった。更に、天下りや70歳まで働けるシステムも維持されてきているのである。この様に公務員天国にしたのは何等問題にしないで議案を通した馬鹿な政治家達である。尤も、政党助成金や国会議員一人当りの報酬や手当ての増加を餌にして公務員は自分達の待遇を改善させた知能犯だ。しかし、政治家も公務員も大幅な赤字国債発行を懸念して自分達の高待遇が近い将来には損なわれる危機感から、赤字国債の借金を国民に転嫁して自分達の利権を温存するために消費税を大幅にアップすることをマスコミなど通じて国民に危機感を煽り立てて企んでいる。民主政治とは国家を食い物にする政治家と公務員を生み出す装置と言える。政治家が"よいデフレ"とか役人が"円高容認"するのは、大企業の分析から言えることであり、中小企業にとっては死活問題だ。二大政党になり、中小企業の保護を求める政党が存在しなくなったことを考えると、中小企業は税金などを支払う考えは捨てるべきであり、消費税のアップなどを認めるべきでない。日本を変えるには、年金や医療費を餌に己の利権を守るための施策には絶対反対を唱える必要があり、政治家と公務員の給与を景気変動指数に連動させることを主張すべきだ。

偉そうな貧乏人がいなくなった!!

ある雑誌を読んでいたら日本が駄目になったのは「偉そうな貧乏人がいなくなったからだ」と書かれていた。蓋し名言だと思った。逆説的には、日本人はお金を追い求めすぎて社会を駄目にしたと言いたいのだろう。確かに、政治家と官僚が国民を本音で馬鹿にする様になったのは、"偉そうな貧乏人"を見なくなったからであろうと思料される。政治家も役人も後ろめたい事をしていれば内心は忸怩たる思いに捉われるであろう。しかし、国民がお金でしか物事を評価しなくなり、「Give me money」になった現代社会においては、政治家も役人も国民に対して一生懸命働こうとする考えはなくなり、自己の利益の拡大に邁進するようになった。今の政治家や役人が平気で国民に対して嘘を言うのは国民を蔑視している証拠であり、国民の為に働く意欲など消えていると考えられる。国民は政治家や役人に対して怒っているが、その前に自分自身を見つめなおす事が重要だ。政治家や役人の姿は国民を写した鏡だ。私は別に豊かさを否定している訳ではない。努力して成功してお金を稼いで悪いわけがない。問題は、お金に執着しない人や金儲けの下手な人を蔑視する社会であってはならないと言うことである。現代社会はお金を持っていないだけで無能力とする風潮がある。逆に、金さえあれば無教養な人でも尊敬される時代である。この結果が現代日本の社会の縮図である。政治家や役人が一番怖いのは「偉そうな貧乏人」なのだ。明治の元勲の西郷隆盛が、「欲もなく、名誉も欲しくない人は始末に困る」と言った正に「偉そうな貧乏人」の存在なのである。より豊かになりたいために目指した顛末は今の社会だ。人は長生きすると視力が落ち、聴力が衰える。この現象は老人になってからは嫌な事を軽減する天が人に与えたプレゼントと思料する。自然に逆らっているから多くの問題を解決出来ないのであり、日本人は貧しかった時代を再度認識して豊かな社会に感謝することが未来の姿を描く事が出来きて平安を得られるのではないかと思うのである。

ユーハイムのゲーテの詩の朗読コンテスト

お菓子のバームクーヘンで有名なユーハイム主催の「第30回ゲーテの詩の朗読会」に今年も一般審査員として参加することが出来た。1982年にコンテストが開始されて今年で30回目を迎えるそうだ。30年も続いている割には意外と知られていなく、コンテスト参加者もお菓子の事で検索していたらコンテストのことが分かり応募した方が多い。私はゴルフの縁で河本社長夫妻と親しくさせて頂いているので、20年以上前からコンテストの事を知り一般審査員として毎年楽しみにして参加している。本コンテストはゲーテの誕生日「8月28日」の前後の土曜日に毎年開催されてきているが、30年の歩みの中では社内で開催の是非が何度も議論されて来たことを聞いた。会社としては昨今の利益主義の観点から言えば、社名を高める有効な宣伝となるイベントを開催した方が得であり、文化事業の側面を持つコンテストなど金融資本主義の中では評価されなくなっているのが実情だ。しかし、河本社長は社内におけるコンテスト開催の疑問視する声に対し、ユーハイムの創業者の故郷でもあり、ユーハイムの原点とも言えるドイツのお菓子「バームクーヘン」を作っていることに意義を重視して開催を継続している。自然の素材を使って安全なお菓子を提供しているユーハイムの理念が本コンテストに参加すると良く理解できる。今年の30回目は例年以上に決勝進出の方の朗読が上手であり、また25名の決勝に選考された方の内、21名が女性であったのも此れまでにない特長であった。更に、朗読が終わり、いよいよ優勝者と準優勝者を決める段階になって予想も付かないことが起きた。それは第一回目から審査委員長として大任を果たしてきた慶応大学の名誉教授が病気のために今年限りで委員長を辞する挨拶であった。委員長ありきのゲーテの詩の朗読会であり、彼が居たからこそ河本社長も30年もの長い間コンテストを続けて来れたと思われるので、聞いた瞬間コンテストは来年開催されるのだろうかと言う不安が頭に一瞬浮かんだ。しかし、その後に河本社長が委員長に対する感謝の気持ちを述べる挨拶で来年に第31回を開催する予定である事を告げたのでホッとした。また、ゲーテの詩の朗読会はユーハイムの本社がある神戸において神戸淡路大地震で被害を受けた時にも開催したので、今回の東日本大地震においても開催した事を話され、コンテストが長く続いたのは、ゲーテに絞ってコンテストを行なったことであることを話された。確かに、河本社長が指摘するように年毎に詩人を変えて開催することにしたのでは、社会的な変化や時代に翻弄されて中止に追い込まれていたかもしれないと言う言葉には重みがある。コンテストのみならず、企業の存続も又然りである。目先の事を追い続けると独自性が失われると同時に、時代に翻弄され目的を見失う恐れも出てくるし、顧客にも信頼されなくなる可能性もある。今日の様に大きな変化が起きている時こそひとつの事を遣り続ける大切さを思い知らされた感がする。来年の開催が今から楽しみだ。
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