タイトルを見ると三面記事の体裁だが、読み始めて真面目な「黒川紀章伝」であることに驚いた。相当な取材と年月を掛けた本と思ったら、やはり6年の歳月を掛けて取材した本であることが著者の曲沼美恵さんの後書に触れていた。私は設計事務所の経営者なので建築家の黒川紀章氏の名前位は知っていた。しかし、今回、偶然に手にした自叙伝を読了して思ったのは、建築家というより思想家であったと思えたことであった。本人も建築家と言う狭義的な職業の肩書ではなく、思想家として見て欲しいとの願望があった様だ。尤も、思想家と言っても単なる理論家ではなく、建築物を通した実践的な啓蒙者に近いかもしれない。
私は父が設計事務所を経営していたので、高校生の時に進路に迷っていた 時に大学の理工学部の建築学科を受験しようかと考えたこともあった。しかし、父には何も言わなかったのに何故か気が付いたらしく「お前は絵が描けないから建築家を志すのは辞めた方が良い」と指摘された。
今なら建築学が情報学に近いづいたので絵を描くのが下手でも通用するかもしれないが、大学入学後に建築学科を工学部に含めているのは日本だけと分かり、世界では建築は芸術の分野なのを理解した。私は二男だったので父の会社を継承するとは考えていなかったが、人生とは皮肉なもので、本人の意志とは関係なく否応なしに設計事務所の経営に携わることになった。
話が横道にされたが、黒川家は父親が建築士であり、長男の黒川紀章氏他2人の弟も建築士と言う男全員が同じ道を進んだのには驚いた。ブログは本の解説をする為に書いているのではないので、興味がある人は書籍を購入することをお勧めするが、私が驚いたのは黒川氏が若くして情報社会を予言し、哲学的な思考を駆使して建築と言う実態に挑戦したことである。仏教系の高校から京都大学に進み、東京大学大学院では丹下健三の門下生として建築家として活躍する術を身に着け、20代で黒川紀章建築都市設計事務所を開設した生き方の根底には何があったのかと言う思いがする。
確かに、建築と言う分野は時間と場を考えさせられるものであり、正に哲学に通じる。黒川氏は時代の流れが良く見えた人であることは本書を読み進むと分かるが、50才を超えてから"共生"という概念は常に時代の先を見ていた黒川氏が社会に問いかける宿題なのかもしれない。死ぬ間際にドンキホーテの如く東京都知事選や参議院選挙に共生新党を結成して出馬した本当の意味は誰にも分からない。否、同じ建築家同士ならば分かるのかもしれない。
黒川氏が存命ならば、新国立競技場の建設計画に対して何を語るのか興味があある。そう言えば、黒川氏は新国立競技場の設計コンペの審査委員長であった安藤忠雄に対しては建築家として評価しなかった様だ。高卒で独学で建築を学びコルビジェを師と仰ぐ異色の安藤忠雄に対しては、同じくコルビジェを評価する黒川氏であるが次元が違うと思っていたことは確かと思われる。