地区計画の大盤振る舞い

東京都港区虎ノ門地区は安倍ノミクスの経済再生に係る特区に指定され、都市開発に有利な地区計画の大盤振る舞いが目につく。安倍ノミクスの経済再生が特区と言う指定されたエリアにおいて規制緩和によって進められている。特区の設定による経済再生に関しては、本来ならば日本全体で行いたい規制緩和を岩盤規制による抵抗の為に出来ないので、先ずは特定のエリアで行った上で順次広げると言う考え方を聞いた。

しかし、虎ノ門地区の特区の規制緩和を見る限り、行政側が恣意的に地区計画を大盤振る舞いしているとしか見えない。一つの例で言えば、愛宕1丁目の再開発の地区計画を見ると敷地が2000坪未満に56階の高層ビルが建築される。この地域は現行容積率600%、風致地区である。それが倍の容積率1200%を取得し、然も風致地区などお構いなしである。従前から開発を進めていたデベロッパーにとっては笑いが止まらない話だ。

小泉内閣以降、従前以上に規制緩和による経済成長が企てられてきたが、確かに規制緩和は必要なのは当然で反対ではない。しかし、規制緩和はプラスの面ばかりでなく、一方では新たな利権となり、経済界を含めて規制緩和に関係する会社に暗黙的な利益を与える構図になったマイナス面も浮かび上がる。特に、大企業にとっては大きな利権を手にした感がある。

大都市東京では道路開発などに都市開発と絡めて道路工事予算をねん出する考え方も出て来ており、正に首都高速道路の池尻大橋JCや環状2号線の虎ノ門ヒルズなどは典型的な成功事例だ。問題は都市開発と道路工事などを一体化した計画を進めると、色々な地権者の調整が必要になり、その中で一部の地権者に利益を与えるなど不公平な面も見受けられる。

何れにしても、本当の岩盤規制を温存し、規制緩和の御旗の下に不正が横行しては話にならない。尤も、御旗と言えば、明治維新に幕府を倒す時に使われた御旗はインチキで作った代物と言われるので、本来御旗など信頼に足るものではない。資本主義経済には倫理観が不可欠と指摘されているが、東芝不正経理事件やフォルクスワーゲンの不正ソフトの装着を見る限り、行き過ぎた資本主義の現代にあっては倫理観など期待せずに利権を貪る連中を曝け出す必要がある。それにしても地区計画の大盤振る舞いには呆れる。

アップルのジョナサン・アイブと日本のデザインについて

アップルのデザイン指揮官のジョナサン・アイブについて書かれた本を読んだ。丁度、その時に東京オリンピックのエンブレムの模倣事件の騒動が世間を賑わしていたので、同書で触れられていた英国の産業に係る学校教育については考えさせられた。東京オリンピックのデザイン模倣問題は、戦後の日本、否大陸から文化・技術が伝わってきた時代に遡る必要があると思われた。尤も、この様に書くと世界から評価された日本文化を侮辱するのかと言うお叱りが出るかもしれないが、私が言いたいのは一部の特殊な人達が築いた世界に誇れる日本文化と相対する多くの模倣文化についてである。

安倍政権発足以降、感心しない日本賛美の風潮が起きており、殊更に日本民族の優秀さを喧伝しているのが気になっていた。日本は数千年を経て日本文化と言うものを築いてきたが、その過程は正に大陸文化の模倣の時代であった。日本人は創造的な民族ではなく改良主義の民族と言われて久しいが、何時の間にか創造性も持ち合わせた民族と持ち上げるマスメディアの宣伝には驚く。戦後の電子技術も欧米の電化製品を分解して模倣してきたのは自明の事実である。

勿論、私は日本文化を研究する学者ではないので、私の考えは飽く迄経験則に基づく特殊理論にすぎないが、ジョナサン・アイブを育てた英国のデザイン教育を見る限り、創造的な物を作り出す背景には教育があり、その必要性は模倣ではなく先を行く考え方に気が付かされた。

翻って日本の文化は模倣時代を過ぎて独自な日本文化を構築してきたが、明治維新後の近代化政策で再度模倣文化に戻ったと考えられる。遠い時代の模倣のDNAが目覚めたと言った方が良いかもしれない。明治維新以降に起きた模倣ルネッサンスは21世紀の日本にも居残り支配続けているのが、東京オリンピックのエンブレムで良く分かった。日本の教育に欠けているのは創造性を起すプログラムであり、英国のデザイン教育は単なるデザインではなく、機能も含めた仕組みを創造させるものなのには感心した。世界で初めて産業革命を起こした国だけはある。東京オリンピックのエンブレム問題は多くの教訓を残したので、単なる個人攻撃ではなく、日本人全体の問題として捉えて行く必要がある。

弊社の本業の一つである建築設計デザインに関しても同様な現象が起きている。デザイン重視の時代に入り、過去にない建築物が作られてきているが、現場を見る限り、上辺の形だけで中身に対する配慮に欠けたものも見受けられる。アップルの創業者であるスティーブ・ジョブスは形と中味が伴わなければ絶対に妥協はしなかったと言われている。確かに、綺麗に見えるものは機能的にも優れているのは確かだ。デザインとは奇抜さだけではない。機能的に優れていて初めて評価されるものである。英国のデザイン教育を学んだジョナサン・アイブはジョブスの考え方を具現化した人物であり、故にアップルを世界的な企業に育て上げて今も進化し続けている。

日本のデザインは大陸の模倣から独自の研ぎ澄まされた独特の文化として開花したのだが、明治以降は一部を除き、模倣デザインの域を出ていない。理由は学校教育の間違いと科学技術の盲目的な崇拝と思われる。自然の驚異に晒されたこそ模倣を超えた独自の日本文化が生まれたと推定できる。同様に、自然環境的には厳しい英国で創造性のある文化が生まれたのは同じ理由と考えられる。然し、英国は大きく変わりつつあるのに、日本は惰眠を貪っており、模倣者達が跳梁跋扈している。佐野研二郎は正に典型的な人物として名を残すことになるだろう。日本再生は自然の驚異に向かい合ってこそ可能なのだが、東日本大震災の教訓も忘れて生きる従来と変わらない日本人を見ると、歴史を忘れた民族と思わざるを得ない。

本題から外れたが、デザインの世界は既にジョナサン・アイブを否定した若い人達の動きも出ていると同書の末尾に書かれていた。正に恐るべしだ。

  • entry610ツイート
  • Google+