言語と思考の関係

世界には色々な言語があり、その言語のルーツを遡ると同じ言語起源に繋がるケースも多い。創発グループ代表として初めて書くブログには相応しくないようなタイトルと思われるかもしれないが、最近になって言語が人の思考に影響を及ぼすのではないかと考えるようになった為だ。中国語には時制がないと言われるが、中国人にとっては過去も現在も未来もなく全てが一緒だとすれば、時制を駆使する言語の民族とは時空軸が事なってしまう可能性も否定できない。勿論、ブログで指摘している言語と思考の説に関しては極論の域をでないが、共通言語を有していないと本当には理解できない現実を考えると、あながち当たらずとも遠からずかもしれない。最近、知人から知人の知人がオープンしたスペインバスク料理に誘われた。スペインのバスク地方は独特の文化を持つ人々が住んでいることは知っていたが、知人の話ではバスク語は欧州言語の共通祖先のラテン語に属していないもので、何処で発生した言語かルーツが分からないと料理店に着く前に歩きながら説明してくれた。然も、料理に関してもミシュランの三ツ星を獲得する店が多いと言われ、舌の味が肥えた民族である様だ。この為、バスク地方には世界から料理を学びに来る料理学校があり、私もTVで見たことがあるのを思い出した。東京都港区新橋の烏森神社に近い路地にオープンした小さなバスク料理店は、ベトナム系米国人の若い方がオーナーであり、日本語は喋れないので会話は専ら英語になったが、私のブロークン英語では料理が不味くなるので、誘ってくれた知人が通訳をしてくれて美味しく料理を堪能できた。確かに、バスク料理は常識に捉われない発想で基本的には成り立っている様で、美味しい上に楽しかった。店名は「TXIKI PLAKA」で、新橋2丁目の路地に所在する。オープンして未だ1ヶ月なので試運転中とのことで、現時点では広告宣伝は行っていないとのことだった。なお、言語が通じないと理解できないと言ったが、実はそうでもない経験をしている。タイに旅行した時に仕草だけで会話が出来た。その場に同席した友人は驚いていたが、岡倉天心の「アジアは一つなり」を彷彿とさせる出来事だった。言語以上に相手に対する思いやりがあれば、理解しあえると言う経験を得た。言語により思考は変わるが、互いに理解し合うと言う意思があれば、世界中の人達と仲良くなれると思われた。

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