新型コロナウィルスの感染症で建築物に対する考え方も変わることは間違いない。既存建物の場合には改修工事で行うには限界があるので仕方がないが、新築については建築基準法の改正を待たずに出来ることを行うことになる。感染症に対する建築物については、「非接触スイッチ」、「抗ウィルス建材」、「外気取入れ」などが感染症対策として取り上げられている。歴史的に感染症の流行があり、それを踏まえた建築基準であるかと言えば、西洋近代における建築物には反映されていないように思える。ここで西洋近代と指摘したのは、日本家屋を考えると、少なくても「外気取入れ」に関しては十分配慮されてる。西洋近代の建築物は"剛"の発想だが、日本の建築物は"柔"と言える。日本家屋は基礎は石の上に柱を乗せたもので地震の力を逸らす技術であった。しかし、西洋近代は、固定して地震の力に抗する技術なので、現代の日本の建物も基本的(免振工法以外)には抗する技術で作られてる。西洋近代の技術からいえば日本家屋は壁が少ないので弱いと指摘されているが、基礎工法を変えたのでは整合性が取れる訳がない。外気取入れに関しては古来の日本家屋は抜群の環境にある。梅雨や夏季の時期を考えての工夫かもしれないが、反面冬季には厳しい造りではある。明治維新以降、西洋近代に倣って日本式を否定したが、台風、集中豪雨、地震、火山、感染症を考えると、再度日本式の考え方で建築物を考えても良いかと思料する。新型コロナと共生することが強いられるならば、正に日本の文化は共生の思想が根底にあると思われる。自然を壊したツケが新型コロナウィルスの出現なので、自然を見つめることが解決に近くづくのではないかと考える。
新型コロナウィルス非常事態宣言下で渉猟した本
とある雑誌に東京大震災時に逓信大臣の犬養毅が役人の部下に「非常時には非常時の対応をする。責任は自分が取る。」と言ったことが書かれていたので、改めて小説スタイルで書かれた犬養毅伝(狼の義)を読んだ。西南戦争に従軍記者として戦線を視察し、西郷隆盛の人物を評価し、その後政治家となり中国の革命家孫文を支援するなど現代の政治家にはないスケールの大きさと5.15事件で暗殺されたことがその後の日本と中国の将来を変えたのは事実のようだ。その本の中で犬養毅の盟友となる小島一雄なる人物がを知り、その回想記「一老政治家の回想」を読んだ。戦後政治の吉田茂を登場させた人であることが分かり、人の繋がりに運命の不思議さを感じた。更に、経済人の推薦書にあった「大本営参謀の情報戦記(堀栄三)」を読んで、私が理解していた軍人の歴史の人物像と実際は大分違うことが分かり、その本に書かれていた「ペリリュー島玉砕(早坂隆)」の連隊が私の故郷の水戸連隊(第二連隊)であったので興味を惹かれてページを括った。連隊長は熊本出身の人で、優れた指揮官であったことに感銘を受けた。それらの本に永田鉄山の名前が取り上げられ、永田が生きていたら太平洋戦争は止められたと書かれていたのと鉄山に関しては父が兄に付けた名前だったので、遅ればせながら「永田鉄山 昭和陸軍 運命の男(早坂隆)」で永田鉄山が書かれた本を初めて読んだ。話が逸れるが、兄は鉄山で私が博文という名を父が名付けたが、母は二人とも暗殺された人物の名前なので縁起が悪いと言っていたことを思い出した。兄は旧漢字の鐵山の名前だったので改名したが、私は父がつけた名前のままだ。父の生前に名付けた理由を聞かないでしまったが、二人とも父の期待に応えられない親不幸者であることは確かだ。犬養毅、永田鉄山と暗殺が日本を中国大陸の戦争激化と太平洋戦争を導いたことを考えると根底には大衆の愚が見え隠れする。今回の感染症では余りにも政治家が小粒で官僚の発想の域を出ていないことと当時は存在しなかった情報化の時代での誤った情報で混乱し、自粛警察なる戦前の隣組の出現には変わらない大衆の愚の危険性を感じた次第だ。この為、戦前に日本が間違った方向に行った原因を改めて読書により求めるのは、コロナ後の社会の方向性を考えるのに役に立つと思った次第だ。