不動産業界は規制緩和で破綻した
デザイナーズマンション
私の住んでいる築32年の賃貸マンションが老朽化してここ数年は賃借人が50%前後であった。オーナーはこの地域の地主さんであるので、地元の不動産業者に任せて老朽化しても余り修繕などを行わなかった。それが、突然、今年の夏に空室の居室と外部周りについて修繕工事を行う旨の簡単な知らせがポストに入り、入居中の住人に対する工事説明会も行わないで大騒音を発する改修工事を開始した。このため、住んでいる住人の一部と工事会社との間で揉め事が起き騒動に発展した。その後、工事を開始して1ヶ月以上経過してから漸く工事説明会が開かれ、工事の騒音は相変わらずだったが、騒動は次第に沈静化した。今回の改修工事では空室が当世風のデザイナーズマンションとして生まれ変わることになり、従来管理をして来た地元不動産会社に代わって今回の改修工事を提案したサブリースの会社が工事終了1ヶ月前になって姿を現してきた。私も建築・不動産業界で長い間関係してきたが、今回の改修工事に偶然に遭遇して新興不動産会社のやり方と言うのを改めて思い知らされた。この会社のホームページを見ると、新興不動産会社と金融機関系列との出資会社で、若い設計士によるデザイナーズマンションの新築や改修工事を歌い文句に活動している。確かに、作品を見るとデザインは奇抜で、一見すると若い人達が興味を引く様に思える。然し、改修工事の当事者として経験したこの会社の遣り方は無責任としか言いようがない代物であった事に気づいた。先ず、旧耐震のマンションであるのに改修工事では何等その事に配慮しない改修工事であり、居室については生活感のない仕様である。若い未熟な設計士の設計コンセプトを反映していると思われるのが、外周工事である。エントランスは従来と異なり、入り口を東側から北側に変えてエントランスを単なる入退室の空間からオシャレな空間に変えたのまでは良かったが、北側に入り口を変えた事が、冬には風によってエントランス内に落ち葉などのゴミが入り込んで汚くなることに思いが及ばなかった様だ。また、エントランスから2階、3階に上がる階段の絨毯を壁に使用した色に合わせて濃紺色を使用したのだが、直ぐに汚れが目立つ様な代物であった。TVのトレンディドラマに使われる仮設の建築物ではないので、生活を考えると先ずは選択しない色であり、外部に遮断された空間でないので、外からのゴミについても全く配慮していない設計コンセプトには驚いたとしか言いようがない。その上、予算が少なかったかどうかは知らないが、外部の非難階段や外部通路に関しては殆んど改修工事を行っていない。今回の改修工事を見ると、「頭隠して尻隠さず」と言った諺を思い出した。建築・不動産業界に見せ掛けだけの業者が最近は多いことは認識していたが、これ程酷いとは思わなかった。豊かな社会になると虚構を造り上げるのが上手い会社が反映すると言う現実に直面すると暗澹たる思いになる。
新入社員の自宅待機と採用内定取り消しの違いとは!
最近、来春卒業の学生に対する採用内定を取り消した会社に対して非難の声が聞かれる。確か数年前迄は就職が卒業までに決まらない学生の比率が高かった時には企業に対して雇用を確保しろと言う声はなかった様に思われる。実際の所、就職が決まっていない学生自体もいると思うが、それ等の学生に対しては一顧さえもしない。グローバル社会と言われてから多くの学生が卒業までに就職できずにフリーターとなったケースは珍しくなくなったのにである。今風に言えば、採用取消になった学生は企業の見る目がなかったと言う事で自己責任の範疇である。マスコミからすると、早く企業から内定を取り付けていない学生など眼中にないということであろうか。我々の就職活動時にも第一次、第二次オイルショックの波に襲そわれ、自宅待機を余儀なくされた仲間が多くいた。自宅待機といえば期待が持てそうだが、実際は採用内定取り消しと同様であった。此れに対して当時は何の支援もなかった。何も就職難は今に始まったことではない。非正規労働者に対する問題も然りである。グローバル社会では欧米諸国と同様に非正規労働者制度を拡充しないと輸出競争力が落ちてしまうと騒いだのはマスコミであろう。それが一転して非正規労働者の契約打ち切りに対して声を上げて非難している。この非難はまともな様に聞こえるが,円高と需要減に対応しての企業行動に対して非難することは此れまでの主張とは相容れない。日本のマスコミは日本及び日本人のためでなく、海外のインテリジェンスから日本弱体化の広報を受託した存在であるとしか思えない。"勝ち組"などと言う最悪な言葉を生み出したのもマスコミであった。負け組みの親を持った家族を考えた事があるのかと言いたい。景気の変動は資本主義社会である限り否定できない事実であるので、問題は不況時に対する国家の弱者に対する保護機能であろう。更に言えば、不況時こそ新しい政策を実施できる機会であるので、大胆な政策転換を図るのが政治の責任と考える。しかし、それを行うような政治家がいない今の日本は悲劇である。