グローバル経済での低価格製品輸入と雇用喪失の悪循環の解消はあるのか
今朝のTVニュースで某企業が中国の生地をカンボジアで縫製して日本に低価格で商品を供給する事を放送していた。企業にとっては生き残りをかけた企画なのだろうが、この様なグローバル経済を活用した企画を見せられる度に「猟犬と獲物の話」を考えてしまう。獲物がいなくなれば猟犬は不要となるのは自明である。米国のビジネスモデルを追い続けた結果が金融危機であった。良く考えるとベトナム戦争後の米国のビジネスモデルは株主優遇と短期利益追求主義による企業の海外流失とその結果の雇用喪失であり、また資本主義が内蔵した金融破たんを前提にした不良債権による不動産の再生であったと思われる。特に、レーガン大統領以降は規制緩和によって資本主義が内蔵する金融破たんの危機を拡大して来たのである。日本も米国のビジネスモデル教崇拝者の連中によって全く同じ道を歩んでいる。安ければ買うと言う考え方は雇用が安定しての話であり、景気悪化の入り口には成り立つモデルだが、不況が長期化した場合にも大量販売の前提でなりたつ低価格路線は生き残れるのであろうか。物を売るという行為は、現場のスタッフの役割は大きいのに、単に安いだけでは双方向時代以前のモデルである。成熟した社会でお客のニーズを捉えるには双方向による情報の活用は重要であり、その情報が雇用の拡大につながると思われる。消費者の一人としては、消費者のニーズを理解して心のこもった応対の店の商品を買いたいと思う。某コンビニで驚いたのは、外国人スタッフが寿司弁当をマニュアルとおりに温めましょうかと聞いたことである。また、DVDレンタル店では不具合のDVDのクレームに対して確認もせずに所有機器の原因にする様な対応に驚かされる。低価格商品の販売会社は安いのでお客が来る意識を持っているからか、お客に対するスタッフの対応が悪くなる傾向があるが、その様な会社は最終的には淘汰されるのであろう。日本には存在した従前従後のサービスが求められる時代が間違いなく来ていると思うし、それがグローバル経済での生き残りの必要条件であろう。
金融バブル経済での過剰需要の減少の悲観的報道に意味があるのか!
マスコミ各社が米国の自動車販売台数の減少で大騒ぎしているが、金融バブルで生じた過剰の需要が回復するわけでないのは自明の利なのに今更ながらマスコミの報道に疑問が湧いた。日本経済バブルの時には、記憶ではマスコミ各社は過剰需要の減少などに関して冷淡で、バブル経済で設備投資を行なった企業に対してバッシングの嵐だった。それが世界的な金融バブルの需要に対する設備投資に関しては報道のスタンスが全く異なる。日本国内で起きた経済バブルであろうが、世界的に起きたバブル経済だろうが、バブル経済なのは変わらないからバブルが弾ければその分の需要が減少するのは当たり前の事である。世界経済の回復は、バブル需要部分の過剰分の在庫が整理され、且つ過剰設備が償却されて元に戻るまで時間が掛かるのである。この様に考えていた時に、広告の電通の「戦略十訓」を思い出した。この十訓は電通でも既に死語になっていると思われるが、この中のひとつに「混乱をつくり出せ」の言葉がある。この十訓の言葉をつくり出した原典は、1960年代のヴァンス・パッカード著「浪費をつくり出す人々」と言われている。この教えからすれば、今回の世界的な金融危機に際してマスコミは、需要を引き出すために「混乱をつくり出す」役割を担っているのかも知れない。確かに,日本経済はバブル経済崩壊後は15年もの間マスコミによる「混乱をつくり出せ」の渦中に置かれていると思った。古い時代の考えでシステムされているマスコミには未来がないことが分かったが、その報道で動かされている大多数の日本人は海外の餌食にされてしまうと今更ながら思った。