平成ミニバブルも土地神話の亡霊が徘徊した結果だった。確か、失われた10年で不動産の価値は土地でなく建物と言う考え方に移って来たと見ていたが、実際は違った様だ。平成ミニバブルの真っ只中でリクルートの創業者である江副氏が書いた本ー日本に土地は余っているーが話題になっていたが、新興の不動産経営者は誰も省みなかったようだ。平成ミニバブルの過程で驚いた事は、設計や建築工事に対するコストダウンの圧力であった。設計事務所では経験知識・デザインが価値であるが、殆んどの不動産会社はそれを評価しなかった。経験知識を安売りすような設計会社に良い仕事が出来る訳がないのにである。また、建築会社に対しても何の根拠もなく工事費の削減を強いる姿は、不動産業界に"物造りの心"を持つ経営者がいなくなったことを示していた。その結果、多くの新興不動産会社が破綻したり、破綻予備軍となってしまった。土地の価値とは本来活用しての評価であると思うが、何時の時代にも勘違いした新規参入者が土地神話の亡霊を目覚めさせてしまう。少子高齢化社会、工場の海外移転、低成長経済、財政赤字による公共投資事業の抑制・補助金の削減など客観的情勢を見れば土地神話の復活などは有り得ないのである。米国景気と相関した中国特需でデフレ経済から脱却したと錯覚して不動産投資を行なった結果がこの有様である。然も、2000年ごろに危惧されたオフィスの供給過剰の警鐘などを忘れて建築ラッシュに走った重いツケが回ってきている。そう言えば、インフォメーションとインテリジェンスの区別も分からない経営者が多くなり、社員に情報収集の経費も使わせない姿は悲劇としか言いようが無い。外資系は交際費などの経費を余り使わない様に見えるが、実際は生きた情報にはお金を掛けているのである。表面的な事しか見えてない経営者が最近多い。今回の平成ミニバブルで逃げ切れなかった会社の多くがその類である。
6月24日(水)付け日経新聞の「大磯小磯(民主党派遣禁止法案)」(吾妻橋)のコラムに憤りを感じる。派遣労働者の様な景気変動に対する雇用者が存在しないと日本の工場はみな海外に避難するしかないと書いているが、高給取りの正規雇用者のために同じ日本人が何故犠牲にならなくてはならないのか。何等生産性を上げないマスコミや金融機関に勤務する正規雇用者が必要以上に高級を取っているから販売コストを上げているのにである。経済成長が望めなくなったから景気変動に対する生産調整のために非正規雇用者が必要と言う論理は間違いである。グロバール経済にあって非正規雇用の低賃金の労働力によってしか工場が国内に存在できないなら、最初から国内に工場を造る訳が無い。企業が必要以上に利益を出すために導入した工場の非正規労働者などは言語道断である。私は何も全ての派遣社員制度を否定している訳ではない。事務職などの派遣労働者と比較して低賃金の工場労働者派遣社員制度に対して憤りを覚えるのである。特に需要があって賃金が低くない建設労働者に対して派遣制度を適用させない悪法だからである。賃金格差による格差社会が経済を発展させるなどは幻想に過ぎない。厚顔無恥な人間しか成功しない社会であるから問題なのである。日本の社会は欧米などと違い一人の人間が高給を取れるようなシステムではない。金融の為替ディーラーならば稼いでいると言う方もいるであろうが、それならば損失を与えた時はそれまで得た収入を全部返すのかと言いたい。サラリーマンなどは一人の力や看板なしでは大して能力に差がないのである。差が有るように思えるのは自己PRと自己弁護が上手いからである。以前から指摘しているが、今回の様なコラムを書くなら立場を明確して発言するべきである。それが出来ないなら偉そうな事を言うな。
誰も不思議と思わない選挙時の光景が続いている。マスコミさえ取り上げた事がないのは、候補者が「お願いします」と言う言葉だ。幾ら議員が職業化しているとは言え、「お願いします」はないと思う。政治家を志す人は他人のために尽くすことであり、自分のために政治家になる訳ではない筈である。それが「お願いします」は自分のための言葉であるのに誰も気づこうとはしない。私の亡父は若い頃地方の議員であったが、選挙の時に一度も「お願いします」を言った事がなかった。亡父は、村民のために身銭を使って選挙を行なうのに、何で私が村民に「お願いします」と言わなくてはならないのか。私の政策に賛同するなら村民が私に「お願いします」と言うのが道理であろうと言って決して選挙では「お願いします」とは言わなかった。今の政治家は自分のために政治家になっているのだから初めから期待するほうが間違っているのである。議員の世襲制が問題になってきたが、今更何を言うかであろう。何処の親も辛い仕事を子供に継がせないのが常識であろう。それが2世、3世議員が多いということは楽してお金も名誉も入るから議員を継承しているのである。ちなみに、私は亡父を見ていたので政治家にはならなかった。母は自分の父親も議員であったので心の中では私に期待していた様だが、私は亡父の様な清廉な地方の発展に身を捧げた政治家を落選させる住民のために議員になる考えはなかった。次元が違うかもしれないが、米国のオバマ大統領の選挙演説には「お願いします」の言葉はなかったと思われる。崇高な使命感を持った候補者には「お願いします」とは言って欲しくはない。選挙の時に「お願いします」の候補者に投票をしないことが政治を良くすることではないかと思う。