郵政民営化のトップに金融機関出身者は相応しかったのか
郵政民営化とは①郵便事業、②郵便貯金事業、③簡易保険事業の三事業を民営化して効率的な経営に転換することであるが、このトップに西川社長を選択したのは②と③の事業に対し金融界で辣腕を振るった実績を評価し、民営化を軌道に乗せることを期待しての事と推察できる。此れに関しては異論がないが、①の事業に関しては金融マン的手法で解決できるほど甘くはない上に、郵政民営化で国民が一番影響を受ける事業に経験者でないトップでよかったのかと言う疑問が湧く。郵政民営化の本音は、西川氏をトップにした事で国に対する財投などの破綻に対する郵貯対策である事が分かる。誰もが懸念するように郵便事業が民営化に失敗して再度国営化して赤字の垂れ流しになることであろう。NTTやJRの様に同条件での競争相手がいない業界と異なり、郵政事業は大手運送業の会社と競合するので、過剰な人員と高い給料水準を維持しての効率経営など絵に描いた餅と思える。情報化の時代で通信手段が多様化する中で、郵政事業が優位性を維持するのは至難の業であろう。もし、この様な状況を乗り切れるとすれば、長年の間、民間で運送事業を行なってきた経験者の起用が重要であった筈である。もちろん、経験者と言っても実務から離れた年寄り経営者では時代に付いてゆけないので、起用する人材を確保するのは難しいと思われる。しかし、物流業界に身をおいて過酷な競争に打ち勝って来た経営者を見つけて委ねるしか郵便事業の民営化を成功に導く事は出来ないと思われる。
米国発の大きくて潰せない議論の滑稽さ
我々不動産業界にもふた昔前には「大きければ潰されない」と言う言葉が良く喧伝された。潰せないのは銀行であり、潰されないのは不動産会社である。もちろん、大きさの基準は時代によって変わるが、今日では融資債権を証券化して売却するなどの手法が開発されたので、大きくて潰せないと言った議論は沈静してしまった。金融資本主義ならば、何処の国でもこの様な話があった筈であるが、21世紀にもなって米国から「大きくて潰せない」議論が来るとは予想も出来なかった。グローバル経済の展開で資本の論理の比重が高まり、世界中をM&A資金が飛び回った。その結果、巨大資本の会社が生まれ、且つ寡占化の懸念が起きてきたが、企業が巨大化することに対する制約がなければ誰でも分かる帰結である。高度情報化社会が経験より理論先行型の人間を重視し、何時のまにか誰でも分かる経験に基づく問題が分からない社会になってしまっていた。日本ではIT社会による変革で世代交代が起きた事を明治維新と比較するが、明治維新時は人間の成熟度が全然違う事を認識していない。幼児化現象は日本人だけでなく世界的な問題なのかもしれない。市場主義者も市場が理論通りに動かない事を嘆いているが、不完全な人間が構築し、然も不完全な人間が関係している市場が理論通りの筈がない。ゲーム理論などが米国の考え方の主流であるが、合理的に反応しない人間には役に立たないし、合理的に動く事が人間として優れているわけでもないのにである。世界の全ては行き過ぎると是正する力が働く事を忘れた結果が金融危機である。東洋思想では西洋思想の様に固定して物事を考えるのではなく、全ては諸行無常の世界であり、世界をコントロール出来る様な考えはない。現代は知識はあるが知恵を持つ人は少ない。特に専門的に細分化された現代では多面的な能力を駆使できる存在が少なくなったために、「大きくて潰せない」議論の様な幼稚さが目立つ。