先月末に森ビルが自社オフィスに実験場「MORI WORKING LAB」を開設し、「働きやすさ、業務効率、環境対策など」を追求したワークスペースの提案を行なって行く事を発表した。オフィスの利用の仕方は業種によって大分異なるので一概にモデル化出来るものでもないが、確かに当社もPM業務や内装工事業を通してオフィス内の利用の仕方や省エネ、更にはリラックスルームの確保など貸し手と借り手の境界、更には貸し手側のサービスの拡大を考える時期に来ていると思う。未来のOFFICEの姿を想像する事は出来るが、現実的には理想のOFFICEは経済コストが絡んでくるので貸し手と借り手のコラボレーションがないと難しい。PCのクラウドコンピューティングについてもコスト削減や社内の情報管理において導入する会社が増えてくると考えられ、現在のサーバー室のスペースが減少することになるが、全ての情報管理を外部に依存する事は不具合の出た時の回復時間を危惧すると万一の場合のバックアップ機能が求められる。勿論、このバックアップ機能まで外部に依存すれば良い事だが、後はコストとスピードの問題となる。何れにしても、現在の様に会社側が大小に拘わらず社内に一通りのOA設備やリラックスルーム、会議室を設けているには無駄を省くと言う観点からすれば他社と共有した方が安上がりである。ソフト面では既に多くの業務が外注化され、PCを通して遠隔地の業者に委託している。その様に考えると、未来のOFFICEとは、ハード関係に関して共有化や統計的に算出した在席率によるデスク予約管理システムの導入などの姿が見えてくる。この様に考えてくると、過っての貸ビル業界においては大型ビルに必ず貸し会議室を設置していた事を思い出した。高度経済成長を遂げて会社の規模も利益率も増加してくる過程で、会議室スペースは社内に置けるようになり、大型ビル内の貸し会議室の需要は減少した。しかし、ここ数年を見ると事務所の需要減少による空きスペースを利用した貸し会議室専門業者が現れてきており、グローバル経済とは先祖帰りの面もあるのかと驚かされる。尤も、若い世代からすれば新鮮なビジネスに写るのかも知れないが。此れまではビルはオペレーションに関しては金食い虫の様な面があったが、省エネを考えると地域とのビルとのコラボレーション、周辺環境を変化させることによるエネルギーのコントロール、自然エネルギーの利用は最低限取り入れる必要が出てくる。森ビルなどは大規模開発の自己完結型の街づくりだが、当社では大型規模以下のビルが林立するエリアに快適な空間を作り出し、自然エネルギーの利用なども複数のビルがコラボレーションする未来都市を創造するプロジェクトを行ないたいと思う。農業と街づくりは同様で農業の様に一種類の作物しか作らないと害虫が押し寄せてくるが、同じエリアに多種類の存在こそが益虫と害虫のバランスが取れた空間が出来るのである。未来のOFFICEに対する街づくりは自然に則った形で配置するビルが理想的と考える。荘氏の"無用の用"を忘れてる様な街づくりに未来はない。
米国で起きたトヨタのレクサス暴走事件を思う
米国でレクサスのフロアマットがアクセルに引っかかって起きた暴走事件があり、一時はレクサス車の欠陥を指摘されたがこの程設備的には問題ないことの判定が下された記事を読んだ。運転席のフロアマットが原因でアクセルに負荷がかかることは世界的な自動車メーカーとなる前のトヨタの車に起きていた事であった。私はこの記事で思い出したのは、古い話だが亡父が当時乗っていたクラウンでフロアマットが重すぎこともあり、フロアマットがずれるとアクセルが足で踏み込んだ状態になったことであった。今回のレクサス車が全く同じ問題であったかどうかは不明だが、当時のクラウンは車種的にはセンチュリーに次ぐ高級車であった。今のレクサスはトヨタのイメージと言うより、トヨタブランドでも特に高級車として位置づけた販売戦略をとっている様だが、高級感を出す事に拘りすぎてクラウンと同じ様な仕様を採用してしまったのかもしれない。経験知は大分時間が経過すると忘れられて再度同じ様な考え方で物事が選択されると言う典型的な見本を見た思いである。時代は常に変わるので新しい考え方や流れに乗る事は大事だが、PCの発達でデータの保存料が飛躍的に増えた現代こそ過去の教訓を活かせるようにデータベースすることが必要と思える。勿論、DBしても省みなければ何にもならないが、トヨタも海外展開で成功して過去の技術などを省みなくなった弊害も出たのかもしれない。過大な成功は技術者に慢心を生み、過去の失敗から学ぶ姿勢がなくなり、会社の衰退に繋がる危険性がある。そう言えば、トヨタの新社長は社員訓示で会社は衰退期に入っていると警告を発したと言う記事を読んだ。私が感じたような事をトヨタの新社長も別な次元で感じているのかもしれない。謙虚さは成長の不可欠な要素である。
沖縄は独立せよ!
沖縄の今後の発展を考えたら日本に属するより独立を考えた方が良いのではないか。沖縄は薩摩藩に侵略される前は琉球国と言う一つの民族文化を有した独立国であった。石垣島に旅行した時に驚いたことだが、日本の歴史に翻弄されたにも拘らず、沖縄諸島の人々は既に本土では失われた日本国民の意識を持った健気さには驚いた。日本政府も政治家も口には出さない占領時代の米国の横暴に沖縄諸島の人達は苦しんだのである。太平洋戦争の沖縄戦で指揮を執った牛島中将の遺言を戦後の日本は殆んど省みていない。しかし、沖縄諸島の人達は日本返還を喜び本土並みの公共事業だけで感謝している姿には日本人として忸怩たる思いである。民主党政権になって基地問題で米国と新たな関係を構築する方向で動いているが、民主党政権の行動は沖縄県民の意思を本当に斟酌しているのか疑問を呈せざるを得ない。米国は日本は米軍駐留のお陰で防衛費が少なく経済繁栄を遂げたと言っているが、正にお為ごかしも甚だしい。自分達の国の防衛線を遠隔地に設けたに過ぎないのに何が感謝か。それならばもう日本には米軍の基地など沖縄に必要ないから退去要請に従ってグアムに全部移転すれば良いのである。北朝鮮問題でクリントンの時の様に日本の意思を無視されるようなら日本の安全を確保するために米軍基地を日本から退去させるべきである。それと同時に沖縄県民はアジアで中立な国家として経済繁栄を遂げるために琉球国として独立することを考える時期に来ている。地方切捨ての時代に沖縄諸島が日本に属している価値はなくなることは間違いなく、今後は台湾・中国などと交流を深めて行く事を応援したいと思う。私の義兄の父親の故郷の沖縄諸島であるから尚更である。