過剰公共投資事業の責任を国民に転嫁する世論誘導は言語道断

過去の予算編成によって生み出された巨大な国家借金は国民がおねだりした結果の様な論調であるが、八ツ場ダム計画一つとってもが地元住民の要請で始まったものではなく、官僚と政治家が勝手に地元の意見など無視して決定したものである。道路計画でも予算ありきから地元に要望を聞いたのである。逆に、国民が希望した施設などは無視されるか、受け入れられたとしても話にならない程小規模な事業なのが現実であった。「おねだり民主主義の限界」などと書いた記事を見ると、現場を何も知らない記者や学者が意図的に政治家や官僚でなく国民に責任転嫁させる悪質な世論誘導と思わざるを得ない。民主党政権になって「子供手当て」や「農業個別所得補償制度」などが予算計上される様だが、国民は財政赤字を拡大してまで要求していないのである。又、高校まで義務教育化に関しても国民が優先的に行なって欲しい事でもないのである。今の政治は正に街頭で行なわれているアンケート調査と同じで、本人が答えを出す前に意図的に答えを誘導するやり方である。今、国民が一番願っているのは国会議員から地方議員までの大幅な議員数の削減であり、行政組織の整理統合である。私の故郷の茨城県の県会議員どもは県の住宅供給公社が1000億円ものの赤字を作っているにも拘わらず放置しており、市町村議員が合併により削減されているのに議員定数を減らす考えもない。もちろん、それらの議員を選んでいるのは県民なのでそういう意味では県民の責任ある。しかし、マスコミなどが報道を行なわなければ国民は日常生活に追われて県や国の財政問題などは普通は考えられないのが実情である。現行制度では投票率に拘わらず議員が選ばれてしまうことや拒否権はない。このため、政治を良くするには選挙イコール議員選出でない制度の確立を求めることが必要であり、その実現を約束する政治家を選べば社会は変わると考える。

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