故橋本元首相は財務官僚に騙されて「消費税アップ」と「財政再建」を進めてデフレ経済を生じさせた元凶と言われている。本人も退任後に財務官僚に騙された事を後悔し、再度総理大臣に就任し汚名を雪ごうとしたが、それを恐れた財務官僚が小泉を支援したため、実現しないで終わった。ifを言うのは死んだ子供の齢を数えるが如くであるので今更仕方がないことだが、再度橋本が首相になっていればと思わざるを得ない。先日の新年会で頭が良い奴が誤った考え方を持つとそれが実現してしまうので怖いと言う話が出たが、正に財務官僚はその典型的な事例であろう。此度、財務官僚は管と言う歴史に名を残したいと考えている総理大臣を騙して財政再建を行なわせようと企んでいる。尤も、財務官僚は今の様な赤字国債を放置していては官僚の中の官僚の名声を失う事になるので必死なのであろう。しかし、机上の空論だけで経済の実務を経験した事がない今の財務官僚の頭ではグローバル経済で日本が生きてゆく知恵など出てくるわけがない。官僚の言葉遊びに篭絡されるてしまう政治家の馬鹿さもどうしようもないが、財務官僚に洗脳された馬鹿な小泉を支持した国民は救いようがない。管の場合は、消費税を大幅にアップして国民に社会保障を保証すれば安心して一時的に落ち込む消費も回復すると読んだ財政再建と景気回復の一石二鳥の作戦だろうが、この政策は地獄の一丁目になると考えられる。インフレ時代なら兎も角グローバル経済で価格に転嫁できない状況にあって消費税の大幅アップは子供でも分かる話である。戦前に井上準之助と言う日銀出身の大蔵大臣が金の自由化を行なって日本経済を駄目にした。井上の理論は正しかったらしいが、日本企業の実力やタイミングを誤ったために大恐慌を招いてしまった。その後に大蔵大臣に就任した高橋是清は井上とは逆の政策で虎口を脱した。高橋是清は学問馬鹿でなく実社会の経験を積んだ政治家であったので、理論に捉われない自由な発想が出来たと推察される。今の日本の官僚は正に学問馬鹿ばかりである。然も、言葉遊びで政治家や国民を愚弄する亡国の輩ばかりである。その上、実社会の経験薄い前原外務大臣などの類が有望視される政治家にも期待できない。政策を失敗した結果、多くの国民が自殺などに追い込まれているのだから、今後は政策を失敗した官僚や政治家は身の安全を保証してはならないのである。失敗した責任は命と引き換えにする環境が必要と考えられる。テロも必要悪と認識しなければ何も解決しない。
頭の良い人は考え方が凄い
昨夜の新年会は銀座のブッテックホテルのバーの個室で行なわれたが、一人の参加者はアブダビ・ドバイ・チェンマイ・シンガポール・バンコックを巡って帰国したばかりであった。彼は東大時代に司法試験に合格したほどの優秀な方なのだが、育ちが良いためかそれを鼻にかけたことはなく、私の様な凡才とも親しく会話に応じてくれる。この新年会は紅一点の女性が幹事役で開かれているもので、主たる目的はゴルフを楽しむ会である。皆忙しい人達なので幹事役の女性の苦労は並大抵ではない。今年の新年会を機に幹事役を降りると宣言していたらしいが、今回の新年会の参加者一同の説得により今年1年幹事役を無理やり引き受けさせられた。私もそのお願いする一人になってしまったので、今後は出来るだけコンペに参加をしないとペナルティを課せられそうだ。話は逸れてしまったが、先のアジア歴訪の出張から帰国した彼との会話で成る程と思い知らされた。彼曰く、頭が悪い奴は間違った考え方をしても実現しないから害を及ぼす事はないが、頭が良い奴が間違った考え方を持つと実現してしまうので怖い。私は今までこの様な考え方に到ったことがないので、流石に頭が良い人は考え方が違う事を思い知らされた。その点から言えば私がblogで色々と書いていることなど頭の良い人は安心して見ている事を思い知らされた。
どっちもどっち、あれこれ
広島の秋葉市長が次期市長選挙に出馬しないことを「you tube」だけで表明した事に対し、マスコミや一部マスコミに同調した者が批判しているが、マスコミにとっては死活問題に繋がるので必死なのだろうが、中立的に見て両者とも自己中としか思えない。勿論、マスコミも記者クラブ制度に甘んじているから今回の様な事が起きるのであろう。少なくても、マスコミが販売だけでなく、取材にも競争を持ち込めば何れかのメディアは秋葉市長の不出馬のニュースを得ることが出来たと推測される。秋葉市長からすればマスコミは発言全部を掲載せずに抜粋して論評するので市民に真実が伝わらないと考えて「you Tube」で発表したのであろうが、マスコミが指摘するとおり、高齢者社会でどの程度「you Tube」が見られたかは疑問である事は確かである。何れにしても現代は、マスメディは従来の様に報道手段を独占できた時代とは違うので発言の一部を抜粋して自分達に都合の良い記事に仕立てる報道は改めるべきと考える。この問題は古くは1970年代の佐藤栄作総理大臣の引退記者会見にまで遡る課題である。今は情報化の時代であり、一般の人達がマスメディア以外から情報を得られるのであるから、十年一日の如くの報道を改めなければ生き残れないと思われる。尤も、報道人の間には情報の時代こそ我々が正しい方向に導かなければならないと言う馬鹿げた思い上がりがあると言われるので無理かもしれない。勿論、社会部の記者で社会や企業の不正義を糾弾し続けた者がいた事は確かだが、それは昔の話だ。今の記者連中でその様な志を持った記者など皆無な事は報道記事を見れば分かる。何時の間にか記者はエリートになってしまい、一般人を見下す存在になってしまった。高給取りになると堕落するには公務員ばかりではなく、記者も同じらしい。人間的に最低な者がマスメディアに従事したり、首長になったり、議員になったり、企業の経営者になる時代なので仕方ないかもしれないが、それも日本国民が選択した道と思うと自業自得なのであろう。