どっちもどっち、あれこれ

広島の秋葉市長が次期市長選挙に出馬しないことを「you tube」だけで表明した事に対し、マスコミや一部マスコミに同調した者が批判しているが、マスコミにとっては死活問題に繋がるので必死なのだろうが、中立的に見て両者とも自己中としか思えない。勿論、マスコミも記者クラブ制度に甘んじているから今回の様な事が起きるのであろう。少なくても、マスコミが販売だけでなく、取材にも競争を持ち込めば何れかのメディアは秋葉市長の不出馬のニュースを得ることが出来たと推測される。秋葉市長からすればマスコミは発言全部を掲載せずに抜粋して論評するので市民に真実が伝わらないと考えて「you Tube」で発表したのであろうが、マスコミが指摘するとおり、高齢者社会でどの程度「you Tube」が見られたかは疑問である事は確かである。何れにしても現代は、マスメディは従来の様に報道手段を独占できた時代とは違うので発言の一部を抜粋して自分達に都合の良い記事に仕立てる報道は改めるべきと考える。この問題は古くは1970年代の佐藤栄作総理大臣の引退記者会見にまで遡る課題である。今は情報化の時代であり、一般の人達がマスメディア以外から情報を得られるのであるから、十年一日の如くの報道を改めなければ生き残れないと思われる。尤も、報道人の間には情報の時代こそ我々が正しい方向に導かなければならないと言う馬鹿げた思い上がりがあると言われるので無理かもしれない。勿論、社会部の記者で社会や企業の不正義を糾弾し続けた者がいた事は確かだが、それは昔の話だ。今の記者連中でその様な志を持った記者など皆無な事は報道記事を見れば分かる。何時の間にか記者はエリートになってしまい、一般人を見下す存在になってしまった。高給取りになると堕落するには公務員ばかりではなく、記者も同じらしい。人間的に最低な者がマスメディアに従事したり、首長になったり、議員になったり、企業の経営者になる時代なので仕方ないかもしれないが、それも日本国民が選択した道と思うと自業自得なのであろう。
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