名古屋の河村市長の勝利は彼が常日頃公言している「税金で食っている者が楽をして払っている者が苦労している」の言葉に対する国民の同調である。また、「言葉の軽さ」に対する怒りである。管首相は党の公約を簡単に覆す言動を行なっており、その理由に知らなかったことを挙げている。しかし、国民をこれほど馬鹿にした言葉はないだろう。1人当りの国会議員の報酬(秘書手当て・公的助成金・議員宿舎を含む)は1億円を超えるのである。その様な高額を税金収入で受けているにも関わらず知りませんでしたとは何事かであろう。百歩譲って言える事は、知らなかったなら即時に首相を辞めるべきであろう。知らない人に此れから勉強してもらう時間的余裕は日本にはない。今の国会議員どもは、「言葉の重み」など誰も尊重していない。勿論、この風潮を作ったのは小泉純一郎と言う元総理大臣である。馬鹿を世界中に晒した総理大臣であった事は周知の事実である。大人しい国民が限界を超えたのである。小泉の時には、国民も期待した一面があり熱狂的に支持したが、蓋を開けてみれば財務官僚の言いなりの政権であった。このため、構造改革と称しながら米国の手先になり、国民に痛みだけを与えた結果に終わった。小泉の構造改革は何故失敗したかは、「税金で楽した生活を送っている役人」が主導した政治だったからである。漸く、国民も何が真実かが分かってきたのが、愛知知事・名古屋市長選の結果である。管首相が国の為に消費税の大幅アップを必要と真剣に考えるならば、先ず国会議員の報酬を半減すべきである。自らのぬるま湯体質を改善してこそ国民に痛みを我慢してもらえるのである。それがなければ社会保障のために消費税を上げるといっても国民は納得しない。小泉で分かった職業政治家と役人が自分達のために行なった改革など国民は二度とは騙されない。本当に国を憂いるならば、報酬のことなど二の次の筈である。それが若手国会議員まで今の報酬でも足りないなどと発言する姿は国家を食い物にしているのが歴然としている。新聞なども作為的に報道するならば購読させない不買運動を広げよう。そうしなければ日本は滅びてしまう。
地方が疲弊したのには幾つかの理由があるが、今更過去を振り返っても仕方がない。グローバル化が進んだ現代において重要視されるのは中央集権制度ではない。逆に、ローカル単位で迅速に物事を決定することが重要であり、地方に権限を譲渡することにより、地方再生の道が見えてくると考える。国と地方自冶体の関係は東京都の様な財政が豊かな都市を除けば食肉として買われている牛の様なものである。餌を与えられて無目的に生きている姿に未来はない。財務官僚に騙された管政権は社会保障を餌に消費税の大幅アップを進めているが、現行の制度の中央集権にお金が集り、地方は物乞いの様な交付金によって成り立って中では何も解決しない。そう言えば、中央と地方の理想的な関係としては、大阪府と大阪市がある。大阪府の橋下知事は就任して初めて気が付き、本来は大阪市長にならなければ本質的な改革が出来ない事がわかり、大阪府と大阪市を合併させる大阪都構想が出てきた。しかし、この関係は、中央政府と地方自冶体の関係に置き換えると面白くなる。勿論、現行の大阪府と大阪市をそのまま中央と地方の関係に位置づける事ではないが、仕組みと関係は大分参考になる。大阪府と大阪市を産んだ背景は知らないが、多分、推測するには世の中と役所を良く知った人であろう。尤も、地方と言う位置づけからすると橋下知事が指摘するように屋上屋を重ねた組織となっているので、大阪都構想の中味を知らないのでその形が良いかどうかは別としてコスト削減の意味で言えば統合は必要と思われる。何れにしても、グローバル化の社会では中央集権の組織は時間的空間的にも対応すること出来ないと思料されるので、地方に権限を大幅に委譲して中央政府のあり方を変える必要があることは確かである。もし、百歩譲って財政再建のために消費税を大幅にアップするのを許容するのであれば、その条件として①国会議員定数の大幅削減(50%削減)、②地方自冶体に大幅権限委譲、③中央官庁組織の大幅縮小などと言える。勿論、現行体制では地方の公務員の能力は国家公務員と比較して大分落ちるので、中央官庁の組織縮小と相俟って国家公務員の地方自冶体への転職を行なうべきと考える。この様なblogを書いていると必ず何故政治家にならないのかと聞く人がいるが、年齢的にToo Lateだからと答えている。
管首相と前原外務大臣は北方領土返還は当然の如くコメントしているが、戦争で失った領土を戻す事は簡単でないのは子供でも分かる。沖縄が平和的に戻ったので北方4島も戻せると思ったら大間違いだ。尤も、ロシアが日本から米軍基地を全て撤去させるなら戻すと言ったら管と前原は何と答えるのか見物である。沖縄が戻ったのはベトナム戦争で疲弊した米国としては沖縄の統治が負担となったからである。その代わり、沖縄の基地の継続と維持の負担をさせられたのである。マスコミなども報道した事はないだろうが、米国が統治していた沖縄では全くと言ってよいほどインフラ整備などが行なわれていなかった。沖縄本島については米軍の利用上不便なので多少は投資したが、沖縄諸島に関しては全くと言って良いほどインフラ整備は行なわれなかった。米国に沖縄県民は少しも感謝などないのである。石垣島に旅行した時に島の長老が目に涙を浮かべながら日本に戻ったので今の豊かさがあると言っていた。更に、ベトナム戦争がなかったら今でも沖縄は日本に返還されなかったのは疑いもない。殆んどの日本人は日本が軍備を持たなかったので経済繁栄を遂げる事が出来たと思っているが、それは一面的な見方に過ぎない。米軍が日本に駐留したのは自国の利益を守るためで日本の為などではない。自衛隊など米軍の用兵の様な存在だ。米国が日本を真の独立国家などにさせる訳がない。何度も言うが、尖閣諸島事件は前原民主党議員が米国の意向で起こしたもので、その効果があり、国民の目を隠して年1800億円の米軍に対する支援金を5年間延長させてしまった。ロシアから北方領土の返還を得る機会があったが、日本にはドイツの様な政治家がいなかったので、戻せる好機を逸してしまった。原油価格が高くなり、資源の重要性が増した国際情勢で北方四島の返還など実現するわけがない。前原がロシアとの外交交渉の場で日本から米軍基地を全部撤去すれば戻すと言われた時の顔が見たい。管首相にも前原外務大臣にもマキャベリの君主論とクラウゼビッツの戦争論を読めと言いたい。
職業政治家が増加するにつれ、選挙民より自分の選挙と収入だけしか考えない議員が多くなった。何時からなのか記憶が定かでないが、立候補者が有権者に「お願いします」という様になった。議員と言うのは本来身銭を切って得る名誉職であり、社会での経験を万人のために活かす立場と思うのだが、現在は職業となってしまった。もちろん、職業となったので一生懸命議員活動を行うと言う見方もあるかもしれないが、落選したら食ってゆけなくなると言う現実の前に議員としての信念を期待出来るのか疑問に思う。何度もblogに書いたが亡父が地方議員時代には日当制であった。議会が開かれていた時だけ報酬を貰えた。それが何時の時代からか給料制になり、職業政治家が出現した。色々な意見があるので一概には言えないが、少なくても議員の職が自分のためでなく選挙民のためならば選挙の時に「お願いします」は言わないと思う。私の亡父は選挙の時に一度も「お願いします」は言わなかった。理由としては身銭を切って村民のために仕事するので、「お願いします」は選挙民の方だろうという信念があった。今回名古屋市長として再選を果たした河村さんも職業議員が議会制民主主義を悪くしたことを指摘していた。河村さんも名古屋市長になって財政難を打開するために自らの報酬と市職員と市議会議員に報酬を削減することを提案したが、市議会の多数野党の反対で挫折した。財政難なのに平気で報酬を貪る市議会議員の姿は全国区到る所で見られる。就職先として公務員が一番である社会は駄目なのである。況してや議員が職業化したら選挙民に阿る政治しか期待できない。今回の名古屋市長選における河村さんの再選は選挙民が自分のことしか考えない職業政治家はいらないと言う判断を下したので、そのことに乾杯である。漸く、日本の政治が変わるかも知れないと言う期待が生まれたのである。