マスコミなどは日本製品の高品質や食の安全が昔から存在していたかの様に報道しているので、年配の人達まで間違った情報を刷り込まれてしまい、若い世代と同様に中国などと日本は違うと思わされている。しかし、日本製品が飛躍的に高品質になったのは戦後に米国から入ってきた品質管理運動(QC)の成果であり、日本の食の安全は高度経済成長以降の豊かになった日本人が総中流階級意識を持つに到った時点からである。日本のマスコミはアーカイブスがない報道なので、日本人は恰も古来より高品質の製品を作り、食に対する安全を確保してきたと錯覚してしまうが、歴史を読めば高品質や食の安全は高々40~50年での成果であることが分かる。勿論、長い年月を経た個々の技術においては高い評価が出来る物もあるのは確かであるが、茲での議論は全体の話であり、日本人の意識の話である。明治維新の成功は、江戸時代に学んだ中国の論語など道徳的な背景に西欧の科学を取り入れた事によるものである。明治維新後の学校教育では道徳を重んじたものの、それ以上に西欧の学問を重視したので大正から昭和に移るに従って日本人は倫理観を失ってきているのである。第一次世界大戦時に西欧に輸出した日本製の缶詰には石が入っていた事で欧州国から非難されたのも事実である。戦前は軍事費に国家予算の50%を投入していたので、日本のインフラ整備は遅れ、更に地主制度が多くの日本人を貧困状態に陥らせていた。正に、現代以上の格差社会であり、典型的な資本主義社会であったので、日本人は次第にお金中心主義に傾いていった。その結果、中国進出であり、太平洋戦争に突入していったのである。尤も、戦前の資本家と呼ばれる人達は高い教養を持った人が多かったので、渋沢栄一の様に経済人として論語の必要性を説き、事業と社会奉仕を一体化して考えた人が多かった。しかし、戦後の新興企業のオーナー達は少なからず事業資本の元手を軍隊の隠退蔵物資を掠め取ったりや闇市で稼いだり、泥棒紛いの商売で儲けた金で得たこともあり、事業の柱に倫理観など期待できるものではなかった。勿論、戦前の財閥企業の高学歴社員などは倫理観を持って経営者になった者も多かったのでその点は救いであった。戦後の経済発展の過程は正に論語の「衣食足りて礼節を知る」を地で行く状況であった様だが、次第に豊かになり、製品の品質向上や食の安全にまで気配りが出来る様になったのは承知の事実である。戦後の教育では倫理観の授業には余り時間を割いていないので、社会に出てからの価値の基本は豊かさと共にお金中心となっていった。その典型的な政治家として田中角栄の出現がある。盟友の企業人の小佐野賢治は泥棒で捕まった事もある人物である。日本人の心にはキリスト教的な博愛主義がないので、事業でお金儲けをしても社会に還元する意識がない。それでも戦前には孔子の論語などを尊ぶ風潮が残っていたので、事業家は儲けたお金を学校を作る資金などに寄付して社会に還元してきたのである。しかし、戦後の金持ち達は自分の事以外にお金を使う教養がなく社会奉仕など皆無に近かったが、その代わりに行政が機能して社会を豊かにしたのである。バブル経済の崩壊後は戦後では経験していないデフレ経済となり、更には米国経済の成長を促した規制緩和による金融資本主義が台頭し、格差社会を生み出したのである。現代の社会は先祖がえりの面があり、格差社会の出現により、戦後生まれの倫理観のない日本人に食の安全など期待する方が可笑しいのである。それでも製品類に関しては未だ高品質が維持されているが、マスコミの報道によりその高品質もガラパゴスと言う表現で一掃され様としており、駄目になるのは時間の問題と思われる。その魁が、福島第一原子力発電所の人災による事故である。日本人が古くから高品質な製品を作り上げてきた神話を作ったマスコミの責任は重い。社会に豊かさがあり、行政が機能していたからこその成果である事を忘れた結果が原発事故による放射能拡散である。40~50年の成果など長い歴史から見れば数秒の事である。日本自身が自分手で折角作り上げてきた成果を今正に壊そうとしているのである。
焼肉店の食中毒事件は今の飲食店チェーン店では何処にも存在する危険
震災復興も財政再建論で中途半端になる!
財務官僚の懲りない面々が財政再建を旗印に日本経済を駄目にしてきた。東北震災復興も財政再建論で中途半端になる可能性が出てきた。この財政再建論にはマスメディや御用学者も追随しているから至極当然と思われ、然も年金支払を人質にされているので高齢者も財政再建には増税しかないと思い込んでいる。財政再建の良い見本は米国にあるのに財務官僚はそれを無視して増税論議で世論操作してきている。財務官僚は数字を扱う職業だが、この職業は会計士や税理士と同様に入力結果が明確に出力結果に出る方法しか選択出来ない訓練を長く受けてきているのでボケる確率は高いと言われている。数字を扱っていると頭を使っていると考えられているが、一つの事しか遣らないでいると人の頭脳は退化するらしい。財務官僚など典型的な動脈硬化を起こして財政再建には増税しかないと思っているので始末が悪い。米国が長く苦しんでいた双子の赤字から脱却できたのは経済成長であった。この経済成長には、レーガンの小さな政府から始まり、IT関係の起業を助成したことにより、改善不可能と言われた双子の赤字をクリントンの政権で解消し、財政の健全化を成し遂げた。尤も、ブッシュになってイラク戦争とアフガン戦争で積み上げた国の財産を再び浪費し、再度双子の赤字に舞い戻ったが。何故、日本経済がデフレ経済の罠に入ったかは議論が錯綜しているが、当初のデフレは景気回復より国際会計基準などや財政再建を優先した政策により始まったのは間違いない。岐路に立っていた総理大臣は橋本龍太郎である。財務官僚に騙されて消費税値上げを初めとして多くのデフレ経済になる政策を実施した。橋本龍太郎も退陣後に財務官僚に騙された事に気付き復讐を誓ったが、橋本の復権を恐れる財務官僚が小泉を支援したために総裁選挙に敗れて再起出来なかった。小泉の小さな政府は米国のレーガン政権と同様に思えるかもしれないが、財務官僚主導の小さな政府は誤魔化しであり、似て非なるものであったために多くの金持ちだけを輩出し、一般国民の生活は苦しくなっただけであった。然も、悪い事にはブッシュ政権の金融自由化促進が世界経済を混乱に落としたために、小泉改革は悪い事だけが残る結果となった。このため、民主党政権になってからは財務官僚は一層動脈硬化を起こして増税しか能がない政策を遮二無二推し進めているのが現状だ。菅政権は米国と財務官僚の言いなりになれば長期政権が作れると勘違いしてますます国民から乖離し、日本の全てを壊す破壊者になりつつある。将棋や碁で言えば、震災復興は攻めであり、財政再建は守りである。将棋や碁を聊かでも遣った人ならば中途半端に攻めと守りを繰り返したら負けるのは承知の事実だ。財務官僚の若手は特に入省してから財政再建しか教育されていないので最悪な世代である。若手の記者や学者も同様だ。高齢化少子化で経済成長は望めないと言われるが、正に公理で決められた方程式しか解けない優等生の答えである。その様な頭しかなかったら中小企業は潰れてしまう。最初から結論決めて行なう日本の官僚の頭では無理と思われるが、考え方や見方を変えれば答えなど無数にある。日銀の社員が上梓した「デフレの正体は人口減」がベストセラーになっているが、一部の原因をすべてに置き換えた主張が横行しているのが怖くなる。考え方を単純化するのは良いが仕組みを単純化したのでは国家は危うくなる。国民が考えなくてはならないのは増税による財政再建ではなく、デフレ脱出による景気回復であり、その結果の財政再建である。知恵のない増税による財政再建なら政治家や官僚不要だ。震災復興の財源を増税に置換した政策は否定するべきである。そうでなければ未来に向けた東北震災復興が中途半端になる。