絵に描いた餅の経済政策

石破自民党幹事長が来年9月の総裁選を睨んで下野するニュースが流れているが、消費税アップ後の消費落ち込みやアナウンス効果による人件費や資材高騰でが裏目に出て企業倒産が増加してきている現況を捉えて勝機があると読んでの事だろう。確かに、安倍政権は金融政策以外に効果は出ていなく、次の一手も即効性のある施策は少なく、経済の政策に疑問が出てきた。実際に、人件費の高騰と人手不足、それに追い打ちを掛ける資材費の上昇で住宅関連の企業の倒産も目立ってきた。人件費アップは安倍政権の政策の一つだが、当初から懸念されていた様に、経済が動いている認識が少なく、机上の理論で決めたことが企業に負担を強いている。インフレを起こすことが日本経済再生の道かもしれないが、同時に勤労者の収入が増えないと消費が下がるのは自明の理だ。円安は輸出企業に恩恵をもたらすと言う一点で円安を決めているが、グローバル企業となった日本企業に昔の様な円安効果は生まれない。逆に、エネルギーや農産物の多くを輸入に頼っている現在では、円安政策は両刃の剣だ。況してや、部品を海外の工場で生産している現状では完成品が必ずしも安くはならない。東日本大地震の復興に関しても進んでいない無能な国家組織には、複雑化した経済などに有効な手が打たれるわけがない。東京オリンピック誘致で喜んでいるが、最初から絶対的な労働力が足りないことを考えない部分最適な思考の官僚組織には国難を乗り切る力はない。

然し、小選挙区制にしたツケが回ってきたと思われて仕方がない。官僚組織は結果責任を取らない無責任組織ゆえに政治の働きが重要なのであった。中選挙区制度の時には、選挙民に媚を売らない政治家がいたが、小選挙区制度に変わった途端に天下国家を考える国会議員はいなくなった。選挙に落ちることを心配するだけの政治家は官僚の頭脳に頼り切っているが、優秀な日本官僚は死語に近い位に絵に描いた餅ばかりの経済政策の連発だ。それ以上に酷いのがマスコミだ。思考する頭がないくらいに大衆に迎合し、国民を間違った方向に導こうとしている。

単なる批判だけしても意味がないので、何が今の日本経済に必要かを考えてみると、国民の安心感だ。安倍経済が成功しないと思われる最大の理由は、社会医療の不足に使うと言って消費税を値上げしたにもかかわらず、簡単に反故していることがひとつだ。20年前に日本経済が失速した以降、バブル経済の責任は企業と個人に課せられ、官僚や政治家は何らの責任を取らなかった。然も、その後は不良債権の処理の過程で不条理な社会が出現し、約束を平気で破る連中が勝ち組と称して跳梁跋扈した。国家や企業に対する不信が消費の停滞を招き、国民を自己防衛に走らせている現実を考えないと日本再生など出来るわけがない。扶養手当を減らさないと主婦が必要以上に働かないと言った考えを持つ官僚や政治家がいる安倍内閣の周りにはいる様なので、それだけでも既にダメだ。しかも、共稼ぎは必要だと言いながら保育士の増加に消極的な官僚がいるなど政治の機能が働いていない。一事が万時なのが、安倍政権の経済政策が。日本再生の切り札にカジノ誘致と言った時点で利権しか匂いわない。IRを標榜した観光立国には別にカジノがなくても良いのである。家族旅行にカジノは不要だ。日本の観光に必要なのは、土日祝日に偏った観光客の分散と地域に適ったコストの考え方だ。中央基準のコストの考え方を改めない限り地方再生は出来ない。

なお、地方再生にコンパクトシティなど打ち出しているが、机上の理論で作った街づくりでは成功しない。赤字国債の解消が必要な時にコンパクトシティで新たなインフレを造るなど愚の骨頂だ。一事が万事であり、過去の手法を変えなければ何も変わらないのだが、これ規制緩和の問題とは別次元の話だ。

グローバルピッグファーム㈱を訪問して

会社案内の表紙に「いつも"日本一の豚肉"をめざして」を掲げているグローバルピッグファーム株式会社を訪問した。本社は群馬県渋川市北橘町上箱田800に所在し、立地的には赤城山の麓の山林の中にあり、羨ましい程の環境の良い所にあった。

訪問の理由は、伊香保カントリー倶楽部で弊社が主催するゴルフコンペに対して同社が協賛会社に応じてくれたからである。訪問前から伊香保CCの田中社長は車の中で美味しい豚肉を絶賛していたが、私は車外の風景を見ながら聞き流していた。協賛してくれた会社に対して失礼と思われるかもしれないが、会社自体ではなく、同社がクラブ側の主催するオープンコンペのスポンサーなのを知っていたので、田中社長の得意の宣伝と穿った見方をしたからである。

しかし、会社の立地や敷地内に併設したショップを見てゆくうちに、会社の特異性を感じる様になった。この様に書くと、お前も田中社長と同じかと言われそうだが、その後本社家屋に入り、取締役副社長の樋田さんから会社について説明を受けて独特の経営哲学を持った企業なのが分かった。会社設立が昭和58年(1983年)であり、この社歴で無借金経営と聞いて驚いた。私も経営者の端くれであり、無借金経営は何代もに渡って経営が上手くいった会社にだけもたらされる恩典と理解していたからである。ちなみに、私事で恐縮だが、昭和58年は私が結婚して所帯を持った年である。その年に生まれた会社という事で親近感が増した。

樋田さんから提携している養豚農家の後継者を会社に預かって研修させるシステムや新卒獣医も現場で何年も働いた後に初めて評価されるシステムなど参考になった。同社の社員は一定の資格を持った専門家集団であり、一人前の専門家になって初めて評価されるシステムは正に品質を重視する会社と思われた。樋田さんの話を聞いているうちに私の頭の中にデジャビの様に浮かんだことがあった。それは未だ30才前後の頃に取引先の金融機関の子会社のコンサルタント会社の会員になった時の研修会でのことであった。新潟から参加した養鶏場経営の2代目の方が父親から言われた話であった。2代目の彼は養鶏場の将来を勉強するために東京に頻繁と出かけて経営セミナーに出ていた時に、父親から"鶏の事は鶏に聞け"と言うわれ、その後漸くその意味が分かったとの事だった。

昨今は情報化が進み、データ分析手法などが重視され、現場軽視の風潮があるが、現場を知らない経営者や社員は役に立たない。情報とは経験知と相まって初めて有意義なものが生まれるのである。久し振りに、本物の会社を見た思いであった。帰りに、ショップでしゃぶしゃぶ用のもちぶたなどを購入したが、協賛用の商品まで頂いているのに社員割引にしていただき恐縮してしまった。

田中社長から購入を大分勧められたのだが、ワイフがあまり肉を食べないので困った事は確かであった。しかし、会社で聞いた事を実際確認するには商品を賞味することなので、何種類かを購入したのである。早速、帰宅した翌日に豚しゃぶにして食べたのだが、肉を余り食べないワイフまで絶賛するほど美味しかった。肉の事など余りわからない彼女が、今まで食べていた豚肉はもう食べられないと言い出す始末だ。確かに、本当に掛け値なしで美味しかった。ゴルフコンペの協賛会社だから称賛するのではなく、立派な経営哲学を持った会社が地方に存在したことに驚き、更に言葉に違わぬ品質の良い豚肉を提供している姿勢に学ぶべき点が多いからである。この様な会社に勤務する社員は幸せであり、翻って経営者の責任の重さを痛感した次第だ。

ハンナ・アーレントが必要な時代

NCM_0255.JPGハンナ・アーレント生誕100年だそうだが、彼女ほど人間が思考しなくなる危険性を説いた人はいない。ユダヤ人として生まれ、第二次世界大戦時はフランスで収容所に入れられた経験を持っている。また、哲学を専攻し、師と仰いだ哲学者のハイディガーは、戦時中にナチスに対し共鳴するなど複雑な人生を歩んでいる。ハンナを有名にしたのは"全体主義の起源"の著作であるが、最も人口に膾炙したのはイスラエルで行われたナチスの親衛隊であったアドルフ・アイヒマン裁判を取材して書いた「イェルサレムのアイヒマン」である。この本ではアイヒマンの死刑判決に対しては当然との受け止め方であったが、多くのユダヤ人を収容所に送った張本人である裁判中のアイヒマンを見て愕然としてのである。悪の確信犯と呼べる男は、実際は結果など考えない命令を単に実行する忠実な役人であった事実に気が付かされた。この様な小市民的な男が大それた歴史に刻む大量殺人の当事者になったのかをハンナは考え続けた。一方、イスラエルの国に対しては、アイヒマン裁判をショーとして一個人の裁判でなく世界中に大量虐殺の悲劇を宣伝する事に対しても、亡くなったユダヤ人に対する冒涜と批判したために、イスラエルの国家からの反発と同胞のユダヤ人からも攻撃された。ハンナは同胞の悲劇を蔑にしたのではなく、人間が思考しなくなることの恐ろしさをアイヒマンから見せられ、大量虐殺が命令に忠実な多くの行政的な思考しない人間を介して行われた事実を喚起したかったからである。

現代社会においてもその危険性は内在しており、思考しない人間が増加すれば全体主義が出現し、悪が出現することになる。情報化社会だから過去と異なり、一人一人が多くの情報によって判断できると言われているが果たしてそうなのだろうか。逆に、情報量の過多が情報量の少なかった時代より多くの人の思考を奪っているのではないかと最近の社会の動向を見る限り思われてならない。一人の平凡な人間が歴史に残る大犯罪の片棒を担う姿は、IT社会になり、人々の判断が不確かな情報や偽造された情報の真偽が確認できなくなりつつある時代には、思考しない人達が増え、他者を攻撃する存在が顕著になり、正に政治と考えていることが少しも政治でないと言うことを理解しないと間違った方向に行ってしまう恐れがある。ハンナは大衆社会を批判し多様性を擁護しているが、IT社会のグローバル化による多様性の出現がハンナが期待したものであることを願うばかりだ。

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