経済学のデフレと現場の感じ方の違い④

タイトルと内容にズレが生じて来ていますが、私のブログの特徴なのでご容赦願うことにし、何故日本のデフレが執拗に続くかを改めて考えると、一番の問題は刷り込みに対する国民性に関係しているのではないかと。この国民性が戦前は日本を果てしない戦争に引き込み、現代は何の科学的根拠もなく、物の価格はもっと下がる筈と言う思い込みがデフレを長引かしている。

日本経済は開かれた欧州の先進国の経済と異なり、戦後の繁栄は国内的に高いコストを受容して「風が吹けば桶屋が儲かる」方式の鎖国主義的な循環経済で繁栄を享受していたと考えられる。この為、海外からは輸出製品と国内製品との二重価格を指摘されて非難を浴びたのである。勿論、全く同じ製品を違った価格という事ではなく、TVひとつとっても装飾的な面で違いがあり、国内仕様は木製の豪華版であった。勿論、戦後はインフレの為に物の価値が高く、従って豪華製品仕様にする必要があったとも推定される。1980年代のバブル経済までは国民は高くても製品を購入していたので、巡り巡って自分の収入に跳ね返ってきたのである。

しかし、バブル経済崩壊後にデフレ経済になり、その後はITと金融資本主義がグローバル経済を推進させて一物一価の理論が成立する考え方が浸透してきた。また、マスコミも国内価格が必要以上に高く、電気製品等に関してはガラパゴスと言って発展途上国仕様の必要性を囃したてた。勿論、デフレ経済で給料が上がらない状況においては、物の価格が安くなることは実質的に給料が増加することなので、国民は大いに物の価格引き下げに邁進することになった。茲に効率化と言う便利な物差しが出てきたので、全ての業界で効率化が進められてきた。尤も、海外に輸出する製品を持つ企業ならばこの考え方は間違いではない。しかし、国内需要だけの企業にとっては、利益率の減少と競争激化の嵐に晒されることになり、逃げ道がないのである。地方の疲弊は国内の消費に依存している企業が多いのでダメージは大きかった。然も、海外から安い輸入品が入ってくるので尚更厳しい環境となった。

国会議員、学者、官僚及び勝ち組と言われる人達は、企業も個人も創意工夫すれば成長できると囃し、金融政策や財政策を駆使すればインフレ経済になり、日本経済が再生すると訴えている。しかし、日本国民のスイッチをインフレ経済からデフレ経済に切り替えてしまった事に気が付かずに幾らインフレを起そうとしても無駄な事とは理解していない。20年の間に少子高齢化の社会を予測していたにも拘わらずに非正規雇用者を増大させて一層少子化になる政策を進めてインフレになる芽を全て潰してきたのである。部分最適な政策を進めてきた結果がデフレ経済の深刻化を招いたことに気づきもしていない。マイナス金利政策などその最たるものだ。安倍政権は大手企業の賃上げや消費に結びつかそうと労働改革に注力しているが、死んだこの齢を数える行為に過ぎない。国民はデフレ経済に満足しているおり、現状では生活が厳しくなるインフレなど少しも歓迎していない。

(次のブログに続く)

 

経済学のデフレと現場の感じ方の違い③

言いたい放題で書き進んできたが、世間でエリートと言われる人達は私の書いた者など一顧だにしないと推定できる。何故ならば、データの裏付けを明示していないからである。エリートの方と議論すると必ずデータの裏付けがあるのかと聞いてくる。人を納得させるには感覚的なものではなくデータが必要なことは自明だが、日本経済がデフレの循環に陥っているのは正にデータ主義と部分最適で物事が決められているからだと思われて仕方がない。尤も、データが大事と会社の業績悪化の苦し紛れに政府が発行する統計データを見て新規部門に特化して成功した企業物語もあるので、尚更データが大事となった。優秀な人だとデータをタテとヨコとナナメから分析するので、最終的には平凡な答えしか出ない。しかし、凡人はデータを見て特化した専業会社が居ない事に勝機を見て進出するので、偶然に時代が微笑みかければ大成功するのである。問題は偶然に時代が微笑みかけると言う点である。

余りにも人口に膾炙しているので耳にタコである、一代で大事業を築き上げた人の「会議で皆が賛成する事業は成功しないので行わない」と言う格言だ。データ主義は言い訳に使われ易いことを認識するべきだ。特に、データは切り口次第でどの様にでも料理できる代物であることも同様だ。昨今は人の消費行動を分析するメガデータの活用が指摘され、一定の成功を上げているので、尚更データ重視主義に陥っていると思われる。

それではデータ以外に何を信じて判断すれば良いかだが、経済の難しさはタイミングであり、黒田日銀総裁が行った異次元緩和も18年前なら成功したと考えられる。更に付け加えると、日本だけを見るとグローバル経済がデフレ現象を引き起こしていると思われる。50年前と違い、日本経済のGDPは500兆円もあり、輸出25%、内需75%で動いているのに生活感に豊かさがないのは非正規雇用者増大と地方経済の疲弊、更には生活様式の変化と指摘できる。地方の疲弊の最大原因は農業・林業・漁業の衰退である。地方が都会と比べて都会程の豊かだった時代はないが、それでも公共事業と円安時代の工場の地方移転で所得は上がった。地方が豊かになった歴史を見れば、今の衰退は一目瞭然だ。然も、多少豊かになった時代に行った無計画の街づくりも今日の衰退の一要因だ。

時間を巻き戻すことは出来ないが、地方を豊かにしないと日本将来はないことを考えると、景気や円高で変動する観光資源の活用ではなく、再度農業。林業・漁業に目を向ける事が重要と思われる。更に、交通インフラの整備は一見すると地方都市に貢献しているかのようだが、経済的にはお金が素通りしてしまう構造となっているので、必要以上の交通インフラ整備は無用と思われる。国土交通省がコンパクトシティなどを進めているが、地方再生には役に立たないプロジェクトだ。

(次のブログに続く)

経済学のデフレと現場の感じ方の違い②

アジア通貨危機は正に日本の金融機関にとっては金融機関の主導(共同債権買取機構)で行ってきた不良債権処理を国の主導(整理回収機構)に転換することになった事件である。また、同時に日本の金融機関の不良債権処理がフェイズⅢになったので自分たちの出番と海外のハゲタカファンドが日本に大挙して上陸してきたのである。

1997年~2005年には金融機関の不良債権処理も一段落し、大都市などでは不動産価格も上昇したが、その後2007年に米国発のサブプライムローンによるリーマンショックが起きたので、国内の景気はデフレ脱却には到らなかった。しかし、1998年はウィンドウズ98が発売され、インターネットのブームが起こり、世界経済はグローバル経済に急速にシフトして行くことになる。国内に目を奪われると見えなくなることだが、バブル経済崩壊後でも少しも業績に影響を受けなかった産業がある。自動車産業である。また、国内の消費の低迷から海外の販売に注力した企業は業績を拡大し、売上的には大幅に増加している。更に、国内でもデフレに対応した低価格販売を推進した企業は大きく成長している。

バブル経済真っただ中のGDPは320兆円、バブル経済崩壊後の2000年のGDPは500兆円を超えている。GDPは増加してるのにデフレは続いているのは何故か。金融資本主義の導入で勤労者の対して利益を還元しないで株主に還元する経済システムになったことも一つの要因だが、最大の要因は価格を破壊するデフレ企業に金融機関が積極的に貸出しているからだ。

飲食店舗に目を向けると、バブル経済崩壊前は開店資金が多額なので容易には出店できなかった。しかし、リース会社の丸ごと店舗などにより資金が無くても出店が可能になり、飲食店舗業界は供給過剰になった。その結果、価格破壊が起きてしまった。このブログを読んでいる方は価格破壊が起きて何が悪いと言われると思うが、金融緩和でお金が市場に回されるほどデフレ企業の投資が盛んになり、デフレ企業同士の競争が激化し、更にデフレになる悪循環が起きていることを言いたいのである。

翻って、付加価値の高い物を生産したり提供すれば良いと反論が出ると思うが、少子高齢化社会の到来で社会医療保険の崩壊も指摘されている中で、国民はお金を使わないと言う現実だ。安倍政権は金持ちを作ればベンチャー企業に投資し、新たな企業の出現で雇用も増えるので、格差社会でも十分に景気回復は可能と判断しているが、少数の金持ちが使うお金より、普通の人達が使う金が経済的には遥かに大きいことに気が付いていない。基本的に金持ちはケチだから金を蓄えたのであることを忘れている。

この様に書き進めると悲観論者の様に見えるが、私は悲観論者ではない。私が言いたいのは現在のデフレは国内の金融機関の貸出先の問題とグローバル経済の構造的な要因で起きているので、金融政策や財政政策を行ってもインフレにならないという事である。

(次のブログに続く)

経済学のデフレと現場の感じ方の違い①

日本が経済デフレに陥って景気が回復しないと言う考え方が一般的だ。しかし、私は別な観点から日本が置かれている現在の経済的環境は古典的な経済デフレではないと最近考えるようになった。勿論、私は理系の人間で経済学など学んだ経験がないので、私が思うのは独善的な解釈である。確かに、日本が経済学的なデフレに陥ったのは経済バブルが崩壊して資産が下落し消費が減少した為との説は経済理論から当然な分析結果と否定はしない。しかし、安倍政権になって過去にないデフレ退治の政策を行っているにも拘わらず一向にデフレから脱却できないのは承知の事実だ。専門家は金融政策、財政政策などマクロ経済からデフレ脱出の処方箋を提案してるが、実際に動いている現場の構造の変化を理解しないとマクロ経済など偉そうに論じても的を得た分析になっていないと思われてならない。私が敢えて市場と言わないで現場とミクロ的な表現を使ったのは、そもそも市場と言う捉え方が間違っていると考えるからである。

尤も、経済理論を批判する考えはないので、何とか理論など無視して私の荒唐無稽な分析を述べることにする。日本はバブル経済が崩壊し、不動産担保金融が破たんして金融機関は10兆円を超える不良債権を抱えることになったのは事実だ。しかし、バブル経済と言っても企業にとってはその需要に合わせて設備投資しているので問題はバランスを欠いた設備投資となった分に対して如何に償却を図るかだが、日銀は実態と合わない金融政策を導入して無理矢理バブルを壊して不良債権を築かせたのも紛れもない事実である。その上、バブル経済が起きた原因を分析せずにバブル経済崩壊後にとった政策が全ての間違いと考える。

バブル経済が起きた原因はオイルショック後の日本企業の回復とその後の急速な円高、更には米国の圧力による内需拡大政策であった。また、更に悪い事には重厚長大産業による設備投資が減少し、大手金融機関にとっては安定した貸出先が望めなくなったことであった。円高になっても未だ国内の需要もあり、国内工場の海外移転が加速することはなかった。しかし、バブル経済の崩壊により、国内の需要が減少するにつれて輸出に注力する企業は国内工場を中国や東南アジアにシフトし始めた。国内設備が供給過剰でありながら輸出の為に海外に工場建設して軌道に乗ってきた時にアジア通貨危機が起きて元の木阿弥どころか金融機関取っては国内と海外とのダブル貸し出しの不良債権になってしまった。

(以下は別のブログに続く)

 

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