不動産の今昔その2-番外編2

番外編で地面師の復活だけで済ますと先祖帰りも聞いても仕方がないと思われるので、番外編2では地面師が進化した合法的な地面師が活動する現在の不動産業界に触れてみたい。サブプライムローンが引き起こしたリーマンショックから早いもので10年が経過した。不動産金融商品として世界中に売られたことにより同ローン破綻による金融ショックを防ぐために先進各国は財政出動し、現在漸くその混乱から抜け出しつつある。尤も、各国の財政緩和により世界中に膨大な投資資金が徘徊し、各相場が投機的な動きとなっているリスクが顕在化してきている。"羹に懲りて膾を吹く"という言葉は死語になったかと思うほど大胆な投資が多く見受けられる。今昔の在り様を比較するにはビジネスの前提が大きく変わってしまったので意味がないが、その原因は不動産金融商品の出現だ。勿論、仕組み自体が変わったのではなく、リスク商品が追加されたことによるもので、商品名も「プライムローン」に対する「サブプライムローン」とリスクを感じさせない表現が詐欺的でもある。国内でも不動産金融商品がクラウドファンディングと相俟って小口化して売られているが、大部分はメザニンと呼ばれるハイリスク・ハイリターンの商品だ。リーマンショックでは不動産の価値が急落してメザニンローンが破たんした。金融機関はシニアローンと言われる貸付で、金融機関の評価外の部分に貸付するのがメザニンローンである。勿論、不動産購入などには自己資金も必要なので、不動産を構成するのは①自己資金、②シニアローン、③メザニンローンとなり、棄損するのは自己資金からとなる為、ハイリスクの金融商品を購入するには対象不動産の評価が重要となる。この為、最近では不動産評価にAIなどを取り入れる業者も出てきているが、AIを過大評価すればリスクを見誤ることになる。此処で再度バブル経済時代を振り返ると、当時は不動産が超インフレで天井知らずの相場を形成していたので、金融機関のシニアローンに対する評価は上がる前提で不動産担保の100%所か120%評価も行われ、自己資金なしで不動産購入が可能な時期があった。この事実を何故触れたのかと言うと、表に見えない不動産投資に対する自己資金とシニアローンの担保評価如何でメザニンローンは不動産価格の小さな変動でもシャボン玉のように消えてしまうからだ。長く不動産業界いると人の考え方と評価に対する現実との乖離に驚かされる。金融機関の貸付金利が3%を下回るのに20%の高利回り商品を疑う事もなく購入する。良心的な5~6%の不動産利回り物件を無視してである。反対に東京オリンピックやインバウンド需要を見込んだホテル案件には低利回りでも投資するのだが、観光等に対する国内需要は急激に減少しているにも拘わらずだ。昔からホテル案件は貸しビルとは異なり、売り上げが需要動向に左右され、リスクが高いので少なくても12~14%の利回りを求められたものだ。尤も、グローバル経済で変わったと言われればそれまでだが、余計なお世話かもしれないがグローバル経済だからこそ需要が世界的に一様に動くと思われるので、ローカル的に考えてリスクをヘッジする必要があると思われる。書き進めてもう一つの言葉を思い出した。"嘘を付くなら小さな嘘ではなく大きな嘘を付け"と凡人には考えられない嘘だと真実になるらしい。AIが必要なのは企業ではなく個人かもしれない。

不動産の今昔その2ー番外編

所在者不明土地が全国に多く点在しており、公共事業の推進に障害となっているために、国土交通省が所在者不明土地の取り扱いに関して法的な整備を進めている。公共事業に関わる土地は国土交通省だが、それ以外に関しては財務省が対応することになると言われている。所在者不明の土地で思い出すのはゴルフ場の開発である。ゴルフ場は広大な土地を買収乃至は借地することで進められるが、予定地には共有地も多い。共有地は部落の人達が共有しているのだが、これは農業・林業・漁業の第一次産業が主要な時代の遺産ともいえる。開発する為には権利者に同意を取る必要があり、その方法として権利者の戸籍を調べるのだが、今の様な個人情報が厳しくなるとお手上げだ。戸籍を追って行くうちに海外に行った事実が判明し、子孫を追って海外にまで書面を送ったこともあった。農村が貧しい時代には移民として海外に人々は移動し、工業立国になって農村から都市へと人々は移動したのだが、戦前は長子相続により所有者が不明と言うことは考えられなかった。戦後は子供達が全員相続の対象となったので権利者は増加した。特に、相続争いも起きている他、所有者不明には様々な理由があると思われ、法的な整備で何処まで対応が可能か疑問である。そう言えば、私事だが、当家でも亡父の時代に所有地で思わぬ事実が判明したことがあった。当家も農家だったが、戦前は養蚕を営み、曽祖父の時代に部落の人達の絹糸を預かって県内の市場に持ち込み、詐欺師に騙されて絹糸を失った事があったそうだ。この時に、親戚の互助会組織が働き、親戚から借りたお金で部落の人達に絹糸代金分を支払ったとのことだが、田舎の事なので相続登記など行っていなく、亡父が必要があって相続登記を行おうとしたら親戚が抵当権を設定していたことが判明した。記憶を遡って上記の事実が分かり、親戚でも借入返済の事情を理解していた人が生存していたので事なきを得たが、その事情が分からない世代になっていたら解決に時間を要すことになったと思われる。当家の過去の出来事を見ても所有者不明の土地は何か理由があると推定され、法的整備だけでは事は簡単ではないと思われる。

次に、地面師について言及したいが、最近の都心は土地バブル様相で死語になったと思われた地面師と言う言葉が紙面を賑わしている。個人情報の強化の時代にと思ったが、犯罪者の知恵はそれを上回っているのか、それとも情報化の時代で容易く情報の入手が出来るので考える力を失った為なのか分からないが、決済が銀行振り込みになった事にも関係があるかもしれない。何時から不動産売買の決済を銀行振り込みになったか記憶にないが、昔は預手と言われる銀行振り出し小切手で決済した。登記所で受け付け完了しなければ信用できない程、不動産取引はリスクを伴うものだった。この為、取引では法務局に司法書士が書類を持参して受け付け完了したのを確認して決済した。勿論、登記に必要な書類が偽造されて司法書士も登記所も見抜けなければ防ぎようがないのは今も昔も変わらない。登記所も情報化時代に対応して権利証から権利情報に変わり、新たに登記をすれば新しいバージョンになるのだが、権利移転がなければ昔の権利証のままなのでそこに地面師などが介在する可能性がある。また、印刷等の技術の向上でパスポートなどの偽造も容易になった感があり、知らない内に他人が成り代わっていたり、印鑑登録が変更されたりと自分自身と所有資産を定期的に確認する必要が出来てきた時代でもある。不動産取引には実印と称する印鑑が必要だが、捺印した後に朱肉を良く拭き取らないと油紙で印影を写し取られるリスクがあるが、今ではこの様な事も死語になったかもしれない。経験が尊重されない社会とは犯罪者が喜ぶ世界でもある。AIなどを駆使すればするほど人自身はリスクに対する直観が働くなり、地面師と呼ばれる犯罪者の復活となる可能性がある。

不動産の今昔その2-④

不動産業界にも設計図はCADからBIMに次第に移りつつあり、更に新しい技術であるAI、MR、VR、ARを導入する動きが出てきている。特に、車の自動運転技術から応用した技術は既存建物を赤外線等で照射して立体的なモデルを構築できるので、図面などがない古いビルには利用価値がある。どの業界でも同様だが、新しい技術を使うには多額の投資資金が必要になるので、中小の不動産会社にとっては厳しい現実が待ち受けることになる。更に、新しい技術は既存の業務を消滅させる場合もあり、下請け業務としてどの分野が残れるかも重要な点だ。ブロックチェーン技術を使ったインターネット上での契約締結などが顕著な動きだ。人型ロボットの出現なども同様だ。造れば売れる時代から売れる物を造る時代になって久しいが、売れる物を造るにはデザイン重視となり、一時期はデザイナーズマンションがブームとなった。今はデザインは当然として環境に優しく、更に消費者目線で売れる物を造ると言う脅迫観念に近い要求が求められている。その結果、人を超えるAIの利用ともいえるし、購入前にバーチャル世界で物件に対する疑似体験出来る誤差のない安心の世界が提供される様になりつつある。消費者がエンドユーザーの場合には理想の販売方法だと思われるが、収益不動産の場合には物件購入者の先にテナントと言う利用者がいるので、新しい技術が賃料アップや入居率アップに直に繋がるかを検証することも求められる。AIの技術は不動産の評価や適正賃料などに利用されてデータに客観性を持たせることに利用されている。不動産の直接的な技術ではないが、車の自動運転技術は駐車場の面積縮小にも効果があるので、ショッピングモールや駐車場の運営者にとっては副次的な経費節減効果となる。新しい技術は今後も思わぬ副次効果をもたらすと考えられるので注視する必要がある。

不動産の今昔などと言うタイトルで書いたが、情報化時代は誰もが多くの情報に接することが出来て情報に追われる生活を余儀なくされており、数年前の出来事が大分古い出来事の様に錯覚する時代にどの時点をとらえて今昔として見るかは個人差があるので意味がないかもしれない。私は若い頃に編集記者となり記事を書いていた時期があった。この時には締めが終わった時から次の締めに追われるので時間経過が早く感じた。我々は相対的な時間空間に置かれているので、仕事によって時間の経過が異なると思われる。良く新聞記者が早く老成すると言うのも締切に追われる仕事ゆえかもしれない。情報化時代で時間軸が短くなっているのは仕事や個人差ではなく、今後は全体的な動きと見ると時間軸の捉え方にも格差が出て来る可能性もある。情報化時代の前にスローフードなどの動きがあったが、今後はその様な動きが広がって不動産業界にも影響が出て来るものと思料する。

不動産の今昔その2-③

不動産は証券化で動産的な要素が加わり投資資産として扱い安くなり、また開発業者も購入者にリスクを転嫁できることになり、景気回復に国民の金を使わせるシナリオとなっている。国債同様に不動産証券化も小口化を推進する規制緩和が進んでおり、正に相続税の強化と相俟って国民の不動産に対する投資意欲は盛んになった感がある。タイトルが今昔なので比較する必要があると言われそうだが、本質から見れば手持ちの現金以外に借入して不動産開発ないしは証券化商品を購入した場合のリスクは変わらない。尤も、株やFXの様に信用取引による購入システムは不動産取引ではないので売買で実体以上に損失を被ることはないのだが、問題は不動産リートや私募ファンドの借入金比率である。配当率を上げるには借入比率を高めることなので、急激に担保評価が下がった場合のリスクは大きい。マンションを主体とするリートと私募ファンドは相続対策でアパート・マンションが需給を無視して建築ラッシュとなったので近い将来は入居率が下がる可能性があり、賃料の下落圧力が高まると担保評価に問題が出る。オフィスビルも建築ラッシュが続いており、今後はマンション・アパートと同様に担保評価で困ることは目に見えている。不動産証券化の出現によって不動産の流動化は高まったが、一方不動産の賃貸収入で生計を立てている個人や企業は需給を無視した開発の煽りを食らう事になる。20年以上前の経済バブル崩壊では不動産の価値は大幅に下落したが、不動産が証券化で金融商品となった今日では過去の様な大幅な下落があるかと言うと、正に事例として不動産の証券化の本家である米国を参考にすることが出来る。結論で言えば大幅な下落は起きる。下落率はエリアによって異なったが、一番下落率が低かったNYでも半値の2割引きになった。ちなみに、米国の不動産はリーマンショック後の暴落後に景気回復や外国人の投資に伴って上昇しているが、中国人や中国企業の投資が急激に落ちたので、最近は危うい状況にあると言われる。日本も海外投資家の影響を受ける様になったので、米国の動きが今後は参考になると思われる。

<次号に続く>

不動産の今昔その2-②

前回、都内のファミリーマンション販売で大手不動産会社のシェアが高まり、これまでの様な中小不動産による価格破壊が消えつつあると書いたが、マンション価格が高くなりすぎて中小では手が出せなくなったのも事実だ。マーケットがグローバル経済になり、買い手が国内に留まらないと言う現象も中小不動産会社にとってはリスクを取れないのも事実だ。過去の経験など生かせないと言う現今の不動産について今昔などと書いて比較しても意味がないと言われそうだが、物事の本質を考えると何も変わっていないのに気づく。良くマーケティングで考えろと言う言葉を目にするが、マーケティングとは何かと言えば消費者の心を把握するという事になり、消費者目線で考えろで周知の事実だ。今の時代に殊更強調されるのは従来の手法では物が売れなくなったことや集客出来なくなったことだが、それは情報化の時代になって製品の情報が溢れている事やデフレ経済で一律的に給与が上がらなくなり、然も所得格差が拡大したことの社会的要因が背景に存在する。今後はデザイン思考が必要との表現も世界に稀に見る中流社会が壊れて誰もが右倣えであった時代が終わり、個別的な需要に対応せざるを得なくなったに過ぎない。本質を見る眼がなければ時代に翻弄され、大したことでもない事を尊重してしまう事になりかねない。本質的な目で民泊を見ると二つの意図が見えてくる。一つは、円安で海外から観光客が増加し、宿泊施設が足りないので、個人の住居やマンションを宿泊施設の代替として利用する事だが、これは要するに宿泊施設の非正規雇用者同様の為替変動を意識しての調整弁であると言える。二つには、聡明な方は直ぐに理解したと思うが、少子高齢化社会で過剰になりつつある住宅を維持し、且つ住宅は景気対策の重要な柱なので需要減を避けるため方策だ。この様な政策に企業が飛びつくと火傷することになる。

次に、視野を世界に拡大すると、実体経済の数倍の資金が運用先を探して市場を翻弄している世界的なバブル経済に直面する。日本の不動産も海外の投資資金を考慮しなければ需給判断に間違いが生じることになるが、海外の投資資金は逃げ足も速いので、安易にのるとやはり怪我をすることになる。尤も、不動産リートや私募ファンドの発行が増大し、オフィスビル建築などはテナント需給を無視した状況を呈しており、海外の投資資金以前に問題を抱えている。更に、不動産業界は相続対策商品ならお客が付くと言われ、住居用の投資マンションが供給過剰になってきている。金融庁がアパートローンの過剰貸し出しに警告を発したが、金融機関も貸出先がないので相続対象商品に融資が集中してしまう弊害が出てきている。今の社会は過剰包装と同じく本質を間違わせる様な見掛けを変えて如何にも新しい時代に合った商品の様に見せる技術が横行している。正に、詐欺師にとっては垂涎な社会と化している。

<次回に続く>

不動産の今昔その2ー①

かなり以前に「不動産の今昔」を書いた記憶があるのでタイトルにその2と書きました。情報化時代と言われて気が付くとふた昔前の事であり、今はIOTから更にAI、VR、AR、MRと単なる情報のスピード化やデータ保有量でなくなりました。確かに、情報化以前の時代に教育を受けた世代と情報化時代に入ってから教育を受けた世代とは、世代間ギャップ以上に多くの点で違いがあると思われますが、前者を時間軸にゆとりを持っていた世代と後者を時間軸が短くなった世代と表現を変えてみると、両者の優劣は一概に判断できないと考えられます。良く考えると、10年ひと昔が、5年ひと昔、更に3年ひと昔と事業の有効性は年々短くなってきていますが、正に情報化のなせる業であり、簡単に世界中の情報が一瞬の間に把握できることによる後発の有利さと断言できます。大学教育も私の時代には10年一日の授業でも教授の職が確保されていた時代でしたが、今は新しい技術が次々と生まれ、つい最近まで実現には長い時間が掛る考えられていた量子コンピュータも実現するなど正に2045年に起きる技術的特異点(シンギュラリティ)を予想される今日では、誰も自分の地位を保証できるものではなくなりつつあります。しかし、人の頭(知能)は技術と比較して成長していないと言われ、現代の様に時間軸が早いと逆に退化するのではないかと危惧されます。従いまして、時間に追われた世代でなく、逆に時間を持て余した世代の私が最近の不動産の動きについて過去と比較して分析することは無駄でもない様な気がしますので言及したいと思います。テーマはランダム的になることを許容していただきますが、先ずは都内のファミリーマンション販売に関してです。大手が販売戸数を増やし、今では価格さえもコントロール出来る程にシェアを拡大してきていることに驚いています。過去には大京というマンション販売会社があり、バブル経済時代に国内と海外の過剰投資で銀行管理に置かれた時に、取引先の金融機関から就任した社長がマンション価格をコントロールする為に販売シェアを拡大する戦略を採用したことがありました。当時はマンション販売はメーカーの生産・販売とは違うので出来る訳がないと思われ、実際に拡大路線が裏目となり、最終的にはオリックスによる救済を受けて系列企業になりました。その時の記憶がありましたので、都内のファミリーマンション販売が大手不動産によって寡占化が進み、価格さえも左右するかもしれない現状には驚きを隠せません。この背景には都内のマンション用地の不足があると思われ、それが続く限りは大手不動産のシェアが拡大し、販売価格にも影響が出ると思われます。

<次回に続く>

新年早々に時代の変化を考えさせられた!!

日本の最高峰の大学と米国のアイビーリーグの大学のMBOを取得し、日本の大手不動産会社と外国の投資会社を経て不動産リートの立ち上げの経験を有する方と新年の挨拶を兼ねた情報交換を毎年行っている。年齢は未だ50才半ばなので今年も威勢の良い話を期待していたが、どうも勝手が違った。アセットマネジメント会社の代表として預かり資産残高は多く保有しており、遣ろうと思えば世界中にいる彼の人脈で投資資金を日本に持ってくることが出来る人の言葉なので実務経験がない人達とは言葉の重みが違う。その方が「今は私の経験など役に立たないと言った言葉」は衝撃的だった。大分前にブログで"人の賞味期限"についてやはりアセットマネジメント会社の代表が書いた投資家に対するレターに言及したが、今年早々の"過去の経験など役に立たない時代"を聞いた時には衝撃的だった。しかし、良く考えると経験が邪魔する時代と読みかえれば、現在の時代を考える上で参考になる。不動産ファンドなどは5年を目途に出口戦略を考えての投資を行い一定のリターンを実現してきた。昨今を見ると、出口戦略など先を考えていない投資が行われており、全く無責任と言わざるを得ないものが横行している。今の日本はグローバル経済的には世界の投資家にとって不動産の資産ポートフォリオに入っていない地域らしく、その気になれば3%位の利回りでも投資家はいると言われている。しかし、少子高齢化社会で先が見えない中で東京だけを見た投資戦略では遅かれ早かれ運用が行き詰ることは目に見えており、詐欺師でもなければ投資に躊躇するのは当然の成り行きだ。日本の経済は正に今は目先だけで動いており、"後は野になれ山となれ的な投資"が横行している。金融庁がリスクを回避させる為に金融機関に貸し出し抑制を指導した「相続対策用のアパートローンの過剰貸し付け」など典型的な目先しか考えなくなった愚かな行為だ。勿論、目先にしか考えない無責任な社会を憂いているだけでは何の解決先にもならないし、ビジネスマンはやはり無責任な学者とは違うので、現在の社会で何が起きているのかを分析し、何が今後事業として成立するかを考える必要がある。昨今はデータ主義が持て囃されており、更にデータ分析や対応にAIを導入する動きも出てきており、過去の経験が役に立たないと言わしめた背景の一つの現象が起きている。データだけで事業の課題が解決するなら人間は必要なくなるが、逆説的に考えると誰もが同じことをしたのでは利益を生ませることが出来ないという過去の経験は生きる。情報過剰の時代には信号と雑音を区別することが難しくなると言われており、更に人は情報過多に際しては気に入ったものしか興味を持たなくなるそうだ。時代の変化の時にはチャンスもあることは確かであり、目先経済が横行するならばリスクも並行して起きているので、過去の経験はリスク対策に生きてくることは確かだ。

曹洞宗 薬王寺 田中住職の賀状について

毎年、北海道札幌市の曹洞宗 薬王寺の田中住職の賀状を楽しみにしている。お会いする機会が少ないので賀状にて教えを乞うているのだが、今年は昨年12月に和尚が正当法要の導師を勤めた全日本仏教会会長を務めた高階瓏仙大禅師の五十回忌法要後に百人近いブラジルの参禅者を前に法話した内容が書かれていた。

『見えているのに観ていない世界がある。見ようとしなければ観えてこない心の世界がある「見る・視る・観る」 仏道は菩薩行の実践「思いやりの行い」「優しい言葉」「支え合える事」そして「気づく事」 この四つの行いをする人を菩薩と云う。今年は貴方の心に何が観えるでしょうか?』

昨年末に長く務めてきた社員が病に倒れた。私がその会社の社長を引いた後であったので、新社長の対応がどうなるか気になって越年した。この為、今年の賀状は特に心に沁みた。

合掌

  • entry667ツイート
  • Google+