老後は新NISAでお任せと言った類の広告記事が目立つ。新NISAは一石何鳥かを狙った政策と思われる。年金が減少する分新NISAで手当てしろとの事だが、現状の株価がバブル期の株高を超えた状況で始めるのは無謀と見るのは私だけであろうか。NISAで1億円を稼いだ記事を見ると株価が低い時期に積立投信を行った先見性に脱帽するが、株高になった現時点では幾ら新NISAで課税面で優遇されようとも始めるにはリスクがあると思われる。私自身は投信に関してはバブル経済における株価暴落で大損した記憶があるので、新NISAを否定はしないが株高の時期に始めるのは愚の骨頂ではないかと考える。しかも、日銀が日本株の主要株主であるので、その出口に関して如何なる考えを持っているかを推測すると余計に積立投信を始められない。過去に大蔵省(現財務省)の役人の考えがバブル期に10万円の記念金貨を発行したことがある。金貨発行には意味があり、一つには金保有量が少ない日本が金を保有する手段であり、もう一つが金貨発行に相載って財政の改善を考えたことだ。当然に後者の意図により10万円の金貨が実質的に金としての価値は7万円位になった。国民に金を保有させる意図が重要であったのに財政の健全化の資金をねん出しようとして失敗したバカな事例だ。当時は大蔵省と言った官庁の中の官庁の時代だが、周知の諺の"二兎を追う者一兎も得ず"を知らなかったのかと思った。今回の新NISAも日銀が保有する投資信託の出口に新NISAを利用する考えが裏にあると見るのは穿った見方であろうか。折角、国民に年金の減少を補う救世主の様に謡っているが、裏には日銀の過剰に保有している投資信託の出口に利用する狙いがあるとしたら太平洋戦争で嘘八百を国民に告げて無謀な戦争を推進した軍部と国民をだます行為は変わらない。戦後80年近く経つと干支の周期の60年を上回り愚かな考えに戻るのかとため息がでる。
AIと藤井聡太と一般人
三題噺の様な標題になったが、11月の旗日に藤井総太の師匠が書いた「藤井総太はこう考える」を読んだ。その後にアマゾンのビジネスモデルが中国のECサイトに押されているとの記事を目にした。ご存じの通り、アマゾンは欲しい物を検索して購入するシステムだが、中国のECはインフルエンサーの商品を消費者に提示するシステムだそうだ。AIと一般人の間に藤井総太を入れたのは、将棋界で主流になっているAI活用に関して藤井は必ずしもAIの推奨手を好んで打たないと言う事を書きたかったからだ。逆に、藤井はAIが薦めない打ち方を選ぶ傾向があると師匠は書いていた。更に、藤井は将棋士に多い、先入観や固定観念を持たない打ち手とも書いている。この様に書き進めるとお前は何が言いたいのかと短気な方はしびれを切らして謗ると思われるが、AIを使うことは人間に頭で考えさせないことになる事の懸念を抱いたからだ。その傾向は既に中国版のECサイトがアマゾンを押しのけて来ている事実だ。確かに、人は選ぶと言う行為を苦手としている。売り場などでは同じ商品の選択肢を増やすと迷った末に買わないで帰ることをデジタル社会以前から指摘されていた。この現象は人が欲や間違いをするリスクを避けたい意志が働くためと思われる。尤も、今の若い人たちは類似商品を閲覧して一番価格の安い商品を購入する術を心得ている。自分でその様な術を行使しなくても良ければそちらを選択するのは自明だ。しかし、AIとインフルエンサーは似て非なるものだ。インフルエンサーによっては企業から報酬を受けて行っている人もいる為だ。AIは過去の膨大なデータから最適な解をを提供するのであるから間違いはないとの考え方はあるものの、藤井総太の八冠を見る限り、勝負事は単なる最適な解だけでは通用しない事が分かった。勿論、一般人は藤井総太とは違うので勝負事でも十分に利用価値はあると思われるが、問題は哲学的な思考で発展してきた人類がその頭を使わなくなるデメリットだ。安直に答えが得られるのは受験勉強時代に準備された答えが書かれた安直な問題集を思い出す。問題が解けなくて直ぐに回答を見てしまうと力が付かない苦い記憶だ。AIに関しては正に安直な問題集と言えるが、要は使い方次第であろう。藤井総太はAIの研究も行ってる上での対応を行っているからだ。グーグルなどが出現してから物を調べることに関しては楽になったが、果たしてそのれが人にどの様な悪影響が出るのかであるが、既に出て来ているのではないかと懸念される。
老兵の訪問
私が建物の管理業務の部門を立ち上げた時に大手のビルメンテナンスから移籍して協力してくれた方が会社に来たことを社員のラインの通知で知った。私の自宅に電話を掛けたが、現在使われていないとのアナウンスを聞いて心配しての来訪だった様だ。ラインの通知では持参したお菓子の件と訪問者の方の自宅の電話番号が記載されてあった。この為、翌日に自宅に電話を掛けたらアナウンスで録音するとの後で呼び出し音がなって本人が電話に出た。録音のアナウンスはオレオレ詐欺を警戒しての措置と推定され、現役時代の技術者の姿が蘇った。電話口には80才後半になるのに現役時代と変わらず元気の良い声が聞こえて来た。当社に勤務していた時に親しかった社員の消息を聞いてきたが、二人とも既に亡くなっていることを告げたら驚いていた。特に、事務方の窓口として接触が多かった若い社員が58才で亡くなったことを告げると余りも早いのに嘆いていた。私の事を聞かれたので5年前に後継者に経営を譲ったことを知らせた。久し振りに訪れた虎ノ門周辺が高層ビルに囲まれて大分様変わりをしたことに驚きの感想を述べたので、私も30年前には現在の光景は想像できなかったと答えた。私に関して何処にいるのか聞いてきたので同じ住所であるが、携帯電話がメインになったので固定電話を解約したことを話し、心配をかけたことを詫びた。私が部長時代にビルのメンテナンス部門を立ち上げる以前に本社ビルの現場管理設備要員としていた方だが、当社に移籍してから私が常務取締役、代表取締役社長に就任した中で一生懸命働いてくれた。今の若い人たちにとっては経営者と従業員の関係が退職後も会社や経営者を心配することには理解が出来ないかもしれない。昭和、平成、令和と元号が移ってきたが、正に昭和の時代に生きた人達の運命共同体の姿と言える。何度も若くして亡くなった事務方の社員の早世を悼んでくれた。私の年齢にももう少し若いと思っていたらしく何度も聞き返された。若しかしたら、ある時点で私に対する記憶が止まっているのかもしれないと思えた。家庭の事情で辞めた後に再度復帰を要請したらビルシステムのバージョンアップについて行けずご迷惑を掛けたくないからと丁寧に断られた。プロの仕事師と理解した。その事を記憶していたのかもう少しお手伝いが出来れば良かったと話された。"老兵はただ去るのみ"の言葉が頭に浮かんだ。母が先月に99才で亡くなったこともあり、老兵の訪問には感傷的になった。