今の政治家の発言を聞いていると行政マンと同じ発想であるのに驚く。政治家が行政マンと思考や方法論が同じならば存在の意味がない。検証した事でなくて恐縮だが、若いときに「東海道新幹線の建設」に絡んだエピソードを何かの本で読んだのだが、それには当時の日本の財政では建設に際して世界銀行(WD)から資金を借り入れる必要があり、借金返済に対しての考え方について行政マンの限界と政治家の発想の違いが際立っていた事が書かれていたので今でも鮮明に記憶している。世銀の借り入れに対し「東海道本線を担保」にしなければならず、万一にも想定している経済成長の予測が狂い、財政的に返済が出来なくなったら「東海道本線」が取られてしまうとの懸念で行政マンは建設計画に反対した。それを当時の建設大臣が、「東海道新幹線」を造るのだから「東海道本線」を取られる心配をする必要があるかと言って建設計画を断行したとの事である。この結果については謂わずものことである。東海道新幹線の建設がその後の日本経済の成長に如何に貢献したかは論を待たない。然るに、今の政治家の議論は行政マンの域を出ないのには情けない。この原因は色々あると思うが、一つには実社会の経験が乏しい者が政治家(2世議員)になっていること、二つには行政マンとして教育された者が政治家に多いこと、三つにはインフレ成長時代に長くサラリーマンとして生きてしまった者が政治家になっていること、などが上げられる。何れにしても、この範疇に入る政治家は行政マンの限界かその議論に反論出来ない輩なので何も期待できない。森、小泉、安倍、そして福田の全員が行政マンを越える経験者でないのが分かる。尤も、民主党の小沢代表も然りであるので、今の政治の貧困さが分かる。