困ったものである。1919年の大恐慌時には情報が少なくて経済が混乱したが、今回の金融危機では情報過剰によって経済が混乱している。特に、インターネットを利用した悪質な「風説の流布」で株式市場を混乱させている売りの仕手筋がいる様だ。インターネットの掲示板は情報の真偽に関わらず掲載出来るのが問題であろう。尤も、総会屋類の村上ファンドが企業価値の向上を促す行為と評価された現代では何でもありなのかもしれない。企業もインターネットの掲示板などを常時チェックするセクションを置いてスピーディに対処する事が必要になって来た様だ。企業は多くの社員の生活の場である。それが投機の対象となり、企業存続の危機を齎すまでに影響力を持つに到ったインターネット利用については何らかの規制が必要だろう。しかし、悪質な利用者によってインターネットに対して国家権力の規制が入る前に業界自体が自主規制を行うべきと思われる。
国民不安を煽る年金報道の意図は増税の布石
NHKで年金支給率に関するニュースを流した。内容は平均給与に対する支給率が現行の60数%から50.1%に今後の受け取る年代毎に段階的に引き下がると言うものであった。此れに対してNHKの年金や保険の加入に関する番組でよく見かける年配の女性が、このニュースの内容に対して更に不安を煽るように国民は今こそ節約して貯金をしなければならないとコメントしていた。このニュースは国民に不安を煽り立てて増税を企む財務省関係者から出たものと直ぐ推測された。世界同時不況で国民が不安がっている時に流すニュースではない。増税に年金問題を利用されないように年金の最大の問題は仕組みにあることを公表すべきである。今の国民が受給している年金は自分達が積み立てた金額などでは到底受け取れない金額なのである。平均月額3万円を35年積み立てた額は1260万円である。勿論、積み立ては元本に対して複利計算であるので定年を迎えた段階では倍以上の金額にあっているかもしれないが、それでも3000万円である。この金額を今の年金利回り計算である年利4.1%で回しても月額約10.25万円である。然し、社会保険の加入者であれば月額平均3万円を支払った人が受給する金額は20万円を越えると筈である。年利4.1%で現在回っているかどうかも怪しいが、この様な計算を行わなくても今の仕組みでは少子化と低金利で年金が破綻するのは自明なのである。それが政治家も役人も責任を追求されるのが怖くて言えないでいるのが現状であろう。年配者が当然の如く受けている年金は自分の積み立てた以上のものを受け取っている事を徹底周知させて先ず年金問題に対する不満や不安を払拭させるのが政治の役目であろう。行政改革と政治改革で国家をリストラして初めて国民に増税をお願いするのが正道である。国民が働いて稼いだ税金で生活している役人が国民より贅沢な生活など許されるはずもない。税収に連動した公務員の給与体系とすべきである。
貸しビルの適正賃料評価に対する情報開示が必要な時代
バブル経済崩壊後の貸しビルについても思ったことだが、今回の金融危機による企業のコスト削減の矢面に立たされる貸しビルの所有者は所有ビルの適正な価値を認識する必要があると考える。確かに、米国では貸しビルに関して総合的な環境評価システムなどによって格付けの様な事を行っている。借り手側では価値あるビルを安く借りたいだろうが、貸し手側としては景気が悪化しても他のビルと根拠のない競争を行わないで済む様にビルに対する適正な評価による賃料水準を確立する必要がある。都内のビルに関して言えば、貸し手の努力では改善されない立地場所や建築時期に関係した固定資産税の様な税金があるので、その事だけでも賃料格差は生じるのである。況してや、計画修繕の実施度や運営管理の違いによる建物の価値などは当然に賃料に反映されて然るべきものである。この様な情報を借り手側に伝えることにより、安ければ良いと言う考えを変えてもらう必要がある。勿論、建物の価値は関係なく安く借りたいと言う借り手に対しては、不動産業界にある格言「お金がないは客じゃない」で対応すれば良いのである。そう言えば、米国のロスアンゼルスではビルの賃貸収入の減少を補填するためにビルの壁に大きな広告を掲示する様になったが、入居者にとっては窓が広告で覆われるなどの環境悪化に陥り、裁判沙汰になっているらしい。何時の時代もそうだが、安くすれば良いと言う訳ではない。賃料を叩いて入居すればそれなりのサービスしか得られないのは世の中の道理である。不景気になっても建築コストや取得価額による賃料限界があることを借り手側も認識すべきである。但し、景気が良いからと言って借り手側に根拠のない無謀な賃料値上げを行った貸し手に関しては配慮する必要はないと考える。借り手も貸し手もお互いに信頼関係を構築して共存共栄でなければ貸しビル業など成り立たない。
今回の経済危機は28年前のレーガン大統領の政策に起因
子供達に配慮しない格差社会
グローバル資本主義を導入し、インチキ構造改革を行った小泉一派が省みようとしない事のひとつに格差社会と景気後退のリストラによる被害者の子供達がいる。親が失業したため授業料を滞納する子供が増えていると言う。授業料を払わないで学校に通う子供達の心を知る政治家はいるのか。日本が一番大事なときに何時も政局で混乱して国民を裏切っている。バブル経済崩壊後の社会で成長する子供達の心象風景は如何なるものになるのか心配したが、今後押し寄せる世界同時不況の波は過去を上回る悪影響を子供達に与えると思われる。「親子間の殺し合い」、「増加する自殺者」、「働く気力を持たない若者の増加」、「無神経な老人達の増加」などバブル経済崩壊後の後遺症と格差社会の出現した社会現象は数え上げたら限がない。IT社会では簡単に多くの情報にアクセスできるが、一方では情報の真偽や情報過多による混乱も起きる。その上、知らず知らずに人間のぬくもりが希薄になってくる。しかし、今の子供達は情報化の社会で同じ境遇の存在を知る事により痛手を共有化してどうにか生きていると思われる。政治にも宗教にも救いの手がない中で携帯メールだけが孤独を癒してくれる子供達を見ると日本の将来はないと断言できる。そう言えば、大阪の橋元知事は財政再建の予算を組んでいるが、教育予算だけは要求より多く計上させている。子供が健全に成長できない社会に未来がない事を良く知っていると思われる。小泉一派や竹中平蔵が子供達の事に触れている発言を聞いた事がない。子供を抜きにして構造改革などありえない。
国民は郵政民営化の意味を理解していなかった!
留守中に自宅に配達証明郵便の案内がポストに入っていたので昨日の休日に受け取りに行った。経費節減で休日の窓口係員が少ない為か列を作って多くの人が並んでいた。私が一番後に並んでいたら、60歳を越えた方が後ろに並び、"混んでいるね。以前はこんな事はなかったよと独り言を言いながら、係員は一人しかいないのですかね"と私に話しかけてきた。私は、"内部にはいるのでしょうが、経費節減で人を少なくしているのでしょう"と答えた。すると、私の前に並んでいた70歳前後の方が後ろを振り返って"麻生の奴は4社に分割されるのが知らなかったとふざけた事を言ってる"と大きな声を出して憤慨していた。私は、"郵便事業は米国でも民営化していないのに"と話したら、後ろの方は"簡保などをめちゃくちゃに遣ったから民営化することになったんだよ"と答えた。年配の2人の方は既に会社定年を迎えて悠々自適な生活をしていると思われ、現役時代は高い役職を得ていた方のように見受けられた。この様な方にも、郵政民営化の本当の意味が伝わっていない事に驚きを感じた。今振り返ると、国会議員もマスコミも昔の国有鉄道の民営化と同様に郵政事業の赤字を指摘していたかもしれないと思った。郵政民営化は、郵便貯金を政府が財投資金に活用して破綻させている事に対する責任回避が主たる目的である。それが簡保事業などの赤字問題にすり替えて国民を騙したことを今更ながら思い知った。そう言えば、郵政グループ社長の西川さんは「かんぽの宿」などの不動産売却には一切関与しなかったそうだ。本来ならば、金融機関時代に不良債権の処理を行った経験を有しているので経験が活かせる筈だったが、利権の伏魔殿となっていた現状を見て近づかなかったのであろう。"李下に冠を正さず"の心境だったのだろうが、西川社長が不動産売却に采配を振るっていたなら今回の様に不動産売却に疑義が起きることもなかったかもしれない。米国のグローバル資本主義の手先になった売国奴に郵政民営化は今後も翻弄され続けると思われる。
又始まったマスコミの経費節減キャンペーン
不景気になると必ず報道される経費節減の大合唱。経費節減などは新たなテーマではないと思う。インフレ経済時代なら兎も角低成長時代に経費の垂れ流しを行っている企業などは少ないと思う。大部分の企業はスリム化しており、マスコミがキャンペーンする程効果はないと考えたら、"敵は本能寺"であることに気づいた。マスコミ各社は景気後退に直面すると広告収入が激減するので、要するに企業に早くリストラをさせて見かけ上の業績を回復させることにより、早期に広告収入を戻す事に本音がある。今朝、TVニュースでJALが経費節減に取り組んでいるのを流したが、この経費節減は機内のリモコンの修理をスチュワーデスが行うと年間2億円の経費が浮くというニュースであった。聞き流すと如何にも経費節減していると思うが、高給取りのスチュワーデスの労働時間に換算すると幾らになるかを聞きたいと思った。社内で行うと経費節減できるなどは昔の話であり、外注のほうが安く出来るので変更したと思うが、先祖帰りの様なニュースには驚いた。低成長時代には分業分担が安く付くのは当然であるので、社内に戻したと言うニュースには違和感を覚える。内需と言うのはお金を回す事で成り立つ社会である。自分の企業だけお金を回さないで利益を上げる考え方は通用しない。日本経済の回復を輸出に依存した結果が今後欧米から押し寄せてくる不景気の波である。30年以上も貿易黒字を続けているのに内需主導の経済を構築できなかった政治の責任は重い。100年に一度の不景気と言われる今日ほどお金を回す重要性を説いて内需主導の経済構造の構築を推進する時であることを国民が自覚すべきである。最近、江戸時代に行われた藩財政の建て直しの美談が注目されているが、この時代にはお金がなかったので、厳しいリストラを行い、然る後に新田開発や殖産振興を促したのである。今の日本経済は国は赤字財政だが、国内には1400億兆円の富が眠っているのである。お金を使わないで豊かになれるわけがない事を知るべきである。
「かんぽの宿」売却の問題点とは何か
日本郵政がオリックスに一括譲渡する予定であった「かんぽの宿」70施設の内容を知っているわけでないので、私の見解は推測の域をでないが、もし私の指摘が違っていたら今回の問題は単に売却方法に誤りがあっただけであろうと思う。先ず、「かんぽの宿」を語るにはその成立まで遡る必要がある。「かんぽの宿」の事業は簡易保険が源である。保険金の運用のひとつに「かんぽの宿」があるのだから事業収益の考え方は、一般的な不動産事業、レジャー産業やホテル・旅館業とは違うのである。何が違うかと言えば、事業資金の考え方である。一般的には事業資金は、「自己資本」と「他人資本」で構成されるが、保険金を使う事業は全く次元が違う事を知るべきである。保険の加入金で行う事業は、保険の支払金(事故率)に関係して仕組まれると同時に保険金額の増加とともに資産を増やす必要になる事と関連するからである。勿論、それだからと言って事業収支が赤字でも良いというわけではないが、一般的な温泉旅館と運用の組立が違うことを言いたいのである。そもそも論から言えば、何故簡易保険に乗り出したかと言うことと、官僚の天下り問題に主たる議論が移り、一括売却と異なる議論にすり替えられる恐れがあるので、その問題はここでは取り上げない。今回の一番の問題は、民営化に当って事業収支がマイナスである「かんぽの宿」を売却することになった経緯と議論である。民営化に伴って簡易保険事業を廃止するのであれば売却決定は当然のことだが、民営化ではかんぽ保険事業を継続するのに単純売却するのは早計であるのである。一部識者が指摘しているように、70施設の建設工事費に2300億円の資金を投じているのであるから減価償却費は大きな額となっているはずである。年間50億円の赤字が当然に減価償却費を控除した結果とすれば、108億円の売却金額に対して鳩山総務大臣が怒るのは当然である。70施設の平均客室数を25室と仮定すれば、全体で1,750室である。安すぎると言われる「かんぽの宿」だから1室単価を1000円値上げすれば、1,750室×1000円=1,750,000円×365日=638,750,000円の売上げ増である。然も、保険事業の資金を投じたのであるから事業収支は全く考え方が違うことも指摘した。保険事業が赤字ならば民営化に際して廃止すべきであろう。「かんぽの宿」の売却で処理する次元の話ではないのである。「かんぽの宿」は民営化後に事業再生の努力をし、然る後に施設の老朽化に対する再投資の問題が生じてから不採算施設の売却を行うほうが損失は少ないと思われる。今回の問題に不正があったかどうか分からないが、郵政の民営化に現場を離れた裸の王様になった年寄り経営者や実務をしらない学者が出した結論などは、企業の餌食になるだけである。
不安を助長させるマスメディアに存在意義はあるのか
対前年度と言う比較は正しいか
政府やメディアは対前年度比と言う言葉が好きだが、この比較は経済成長率を前提としており、日本の様に経済規模が大きくなり低成長率やマイナス成長で物事を決めなくてはならない国には正しい比較とは思えない。日本経済を牽引してきた自動車産業を例に取れば、30年前には国内に自動車メーカーが多すぎるので生き残れないと言ったニュースが多かった。この見解を振り返ると、当時自動車産業は国内のマーケットが主体で海外の輸出が今の様に増加するとは品質面から考えられなかったためであろう。しかし、日本に自動車メーカーは、省エネ技術やIT技術による制御技術の進歩によって性能を向上することが出来て輸出が増加し、トヨタなどは自動車王国のGMやフォードを脅かす存在にまで成長した。しかし、今回の金融危機によって自動車各社は大幅な減産見通しとなり、トヨタは知らないが、マスコミは悲観的な報道ばかりである。翻って、成熟してしまった国内の自動車販売は若者の自動車離れもあって減少の傾向にあると報道されているが、この報道は本当に正しいのであろうか。もし、比較するなら30年前の販売台数に対して現在の数字を見る必要がある。若者の人口が減少しているので、30年前と比較すると一定の年代の購入率は減少しているのは当然なのである。この減少は景気や社会現象と何等関係がないと言える。問題は其処まで掘り下げたニュースであるかで記事の信憑性が確認される。日本国民が考えなくてはならないのは、成熟した社会は常に何処かが伸びれば何処かが下がるのであり、古いものは新しいものに取って代わられることに気づくべきである。勿論、多くの産業は需要が少なくなってもゼロにはならないので、生き残ればそれなりの果実は得られる。輸出の予想外の拡大で成長した業界に対して対前年度比を比較しても意味がない。問題は、今回の金融危機から生じる景気の落ち込みが20世紀経済の終焉であり、21世紀に向けて新しい経済モデルの構築をする必要があることであろう。21世紀経済モデルは今実用化に向けて研究されている多くの新しい技術によって構築されるであろうが、それ以上に重要なのは日本の様な成熟した社会では物質的な豊かさだけでなく、生活レベルは下がっても安心できる社会の構築であろう。この構築に一番邪魔なのは対前年度比と言う言葉ではないかと思う。