大きく紙面を飾ったので京都地裁の判決「更新料の無効」については周知の事実と思うが、この判決には色々と考えさせられる。最近特に思う事だが、次第に過保護社会になり、企業の差別化の活動にも影響が出てくると思われる。訴訟に於ける陳述書などを見ていないので軽率には判断できないが、2年契約で2ヶ月分の更新料は確かに通常と比較して大きいとは思われる。しかし、賃貸契約締結時の礼金・賃料、更に更新時の更新料は一体化したものと考えられるので、問題は礼金が何ヶ月だったのかと賃料が相場と比較して安かったのかが意味を持ってくると思われる。消費者契約法では、「消費者の交渉力の格差をを考慮し、消費者の利益を守る」ために制定されたのだが、住宅の賃貸などは仲介業者などの専門家が介在する場合も多く、また昨今は比較物件も多いので、何も知らないで賃貸契約を締結したとは考えられない。然も、情報化社会なので必要以上に専門知識が得られる時代にあって「情報の質や量、交渉能力の格差」を強調する消費者契約法などは企業の活動を制約する悪法になるかもしれない。当社もプロパティマネジメント業務を行なっているので、入居率が悪いマンションなどについては賃料を低くして2年後の更新料で収入を多少カバーする案をオーナーに働きかけるケースも有り得る。今回の様な判決が出ると、借主にもマイナスの影響が出る恐れもあり、慣習的に行なわれてきた更新料を簡単に新しい法律で否定するのも考えものである。そうでなけてば契約の締結など意味を持たなくなり、契約社会が混乱するだけである。
減点主義が日本社会を脆弱にした
経験が必要と言うと、直ぐに一個人の経験などは不確定部分が多すぎて参考にならないと反論される時代である。しかし、私が言うところの経験は、一つには"物づくりの経験"での事であり、二つには"失敗の経験"である。前者は言うまでもないが、タイトルの問題は後者についてである。直近の事例では、北海道の大雪山系の山での遭難事故に見られる様に、順風満帆での登山経験しか持たないガイドなど非常時には役に立たないのである。実社会でも、挫折や失敗の経験のない者は非常時に弱いのである。特に、若い世代は便利な情報化社会の中で育ち、然もPCを使えば簡単に答えが出るような生き方であるので、尚更、経験を重視しない傾向が強い。減点主義は戦後の長いインフレ経済時代の産物だが、極論を言えばインフレ時代は失敗の経験など必要ない様に錯覚したのである。然し、デフレ経済や低成長経済の時代では、効率至上主義となり、経費を極限まで削減するので、成功体験しか持たない考え方には大きなリスクが内在することになる。昨今の日本社会を見ると、成功者に対して過剰な評価が目立つ。少なくても、自己資本の創業者の成功に対しては間違いなく成功に至る過程で資金確保の苦労や失敗体験を有していると考えられるので多少過剰評価になっても大丈夫だが、サラリーマンの経験しかない社内ベンチャーの成功者に対しては先の創業者と同様な評価をすることはリスクがある。尤も、茲で論じているのは能力のない失敗者ではない。有能であるにも拘らず失敗体験を有する者の方が、成功体験しか持たない者より非常時や危機に対応する能力が優れていると言いたいのである。