先日、20代の住宅販売の営業をしている若い方と話す機会があった。彼は俺達はバブル経済崩壊後の世代ですから少しも良い目を見ていないと社会に対して被害者意識が強かった。私はその話しを聞いて懸念した事は、バブル経済など数年間のことであり、確かにその時期に就職した人達は恵まれていたかもしれないが、バブル経済だからと言って全てがばら色であったわけでもなく、何時の時代でもそうだが、バブル経済のために破綻している人も多いのであり、良い世代と悪い世代などと考えたら果てしない論争になるのに、マスコミが作り上げた世代間の格差で不満が募っている社会現象であった。私の世代を振り返ると子供の頃は政府が所得倍増の政策を打ち出すほど未だ貧しい時代であり、高校~大学時代は学園紛争の真っ只中で過ごし、更に大学時代には田中角栄の日本列島改造計画で大インフレに直面し、挙句には就職時にオイルショックに遭遇して就職難であった。社会に出ても第二次オイルショックに見舞われ、福田内閣のデフレ政策で経済は低迷していた。然も、年功序列主義のために20代には安い給料で働かされた。我々世代も決して恵まれた世代ではなかったが、今の20代の人達の様に生まれた時から良い事は何も無かった世代とは考えなかったし、マスメディアもその様な位置づけをしていない。確かに、今の20代の人達は生まれて物心付いた時にはデフレ経済であったかもしれないが、年功序列制度が崩壊し、明治維新の時の様に若い世代が評価されて多額の収入も得るチャンスが生まれているので本当に良いことがひとつも無い世代と言い切れるのかと疑問に思ってしまう。最近20代、30台の人達を取り上げたTV番組を見ると、仕事を評価されないとかで簡単に会社を辞めるケースが多いのに驚くと共に資格を取れば簡単に高収入の人生が待っていると安易に考えている人が多いのに驚く。ひとつの仕事を覚えるには最低でも3年位の年月を必要とすると思われるし、幾らドッグイヤーの時代でも人の上に立つには5年の歳月は必要と思われる。また、現在は企業の方でも正社員と派遣社員の区別をしていないで使っているので自分の立場を誤解している派遣社員の方も多く、勘違いして仕事を辞めてしまう方も多いようだ。我々の世代は簡単に会社を辞める考えはなく、辞めたら希望する再就職は出来ない時代であったので我慢して頑張った。資格を取得しても実務経験を積まなければお金を稼げないくらいは誰も知っていたことなのだが、今の世代は良い事はひとつもなかったと言う割には考え方が甘いのには驚くのである。我々の世代からすれば今の20代、30代の人達は転職の自由もあるし、頑張れば高収入の道もあるので羨ましくて仕方ないのである。今の若い世代には、メディアが作った世代間の格差などを信じるのではなく、歴史を学んで何時の時代にも厳しい面がある事を知り、自分達の恵まれた経済環境に感謝する心が大事であることを言いたい。
尖閣諸島事件を起こした管内閣の馬鹿大臣どもと国民を煽る国賊マスコミ
今回の尖閣諸島事件では大きな点が一回も論じられていない。石垣島の漁業関係者がTVのインタビューで答えていた様に尖閣諸島周辺で中国や台湾の漁船が操業したのは今回が初めてではない。何度も繰り返されていることと言う事実である。海上保安庁は尖閣諸島周辺で外国の漁船を見つけた時には幾ら日本の領域とは言え政治的な問題に発展する可能性が高いので同庁長官に報告し、同長官は大臣に報告して対応を求めていたと推測できる。それが今回に限ってはなぜ中国漁船に停船命令を出したのかが大きな問題と言える。勿論、当初は停船命令で臨検し、本来の目的の漁業だけなら解放する予定であったのかもしれないが、問題は停船命令に従わなかった時の対応などの不測の事態を想定していなかった事にある。前原前国土交通大臣の愚かさは中国の出方を見誤ったことであると思われる。歴史を学んだ者ならば中国が領土に拘る理由は痛いほど分かる筈である。蒋介石が戦争終了後に国土を侵略した日本兵を無事に帰したのは戦後に欧米諸国と対抗するには日本と組まなければ出来ないと言う判断からであった。戦後の日本は米国の支配下にあり、現在も状況的には何も変わっていないのである。それが民主鳩山政権になって中国も日本に期待した面もあったのであろうが、管内閣になって自民党と同様な対米追従主義に方向転換したことが分かり、今回の強硬手段となったのであると推測される。中国も当初は日本の政治的な早期解決を望んでいたのだろうが、管内閣の馬鹿大臣どもは政治問題にも拘らず司法に任せて状況を悪化させて最終的には検察に圧力を掛けて釈放すると言う世界に恥を晒した方法で解決した。弁護士上がりの法律論で行なった処理であろうが、官僚の入れ知恵に任せた愚かな判断と言えよう。政治家としての器の片鱗も見られない。前原外務大臣、仙谷官房長官の様な愚かな指導者に国を任せるリスクは高い。勿論、事件が大きくなって右往左往した管首相などは亡国の輩そのものである。これに付随して愚かなのはマスコミの報道であろう。日本政府が弱腰などと言いたい放題である。政治の延長が戦争であることを自覚して報道しているのかと言いたい。マスコミが尖閣諸島問題で囃し立てるなら、竹島に関しても奪いとる報道をしろと言いたい。尖閣諸島は日米防衛の範囲などの米国側のコメントを掲載しているが、中国に対しては今回の問題を余計に刺激する結果になるだけであろう。"トラの威を借る狐"としか写らないマスコミの報道は笑止千万である。中国に侵略戦争を起こした日本に対する中国国民の隠された怨念を忘れたのでは、危険この上ない。侵略した方は忘れても侵略された方は忘れるはずが無い。石原東京都知事の様に喧嘩も碌に出来ない輩が威勢の良い事を言っているが、喧嘩を遣ってきた者は悪戯に相手を刺激して喧嘩に誘うようなことはしない。前原外務大臣などもその類であろう。ペーパー試験で成績が良かった喧嘩も出来ない輩だ。仙谷官房長官の様に学生運動や労働運動に関わって来た者もいるが、学生運動や労働運動の指導者には碌な奴はいなかった。正義ずらした偽善者ばかりである。にマスコミも戦前に盛んに国民を煽り立てて国民を戦場に送り出した反省もなく又尖閣諸島事件を煽り立てるのは国賊者である。中国の当初の姿勢は偶発的な事件としての対応を日本に求めたのにそれを理解できずに司法処理を粛々と進めた結果が、腰砕けでは喧嘩も出来ないアホである。然も、司法に政治的な判断をさせた誤りは今後後悔することになろう。司法も身内がインチキを行なった事件もあったので内閣の意向に沿ったのだろうが、この国に人物はいないのかと考えてしまう。明治維新に生きた山岡鉄州のような「命もいらず、名もいらず」の様な人物の再来を願うのは現代では無理なのであろうか。この様に行き着くと戦後教育の間違いは取り返しが付かない。
情けない日本人
今朝は特捜検事のデータ改竄で逮捕されたニュースが流れていた。裁判所の裁判官に関しても和解を拒否した原告に対して不利な判決を言い渡す裁判官が増えてる事を承知していたが、検事の不正とは呆れてしまう。この様な人物が検事や裁判官に就いているのはペーパー試験だけで採用している弊害が出たのであろう。勿論、弁護士にも人格の欠片も無い非常識な者がいるが、これは最近に始まった事ではないので論外だが、少なくても公に従事する者に対してはペーパー試験以上に重要な人格的な面を判断する面接が疎かになっているとしか言いようが無い。尤も、財政赤字なのに報酬の引き下げを頑として認めない地方議員や国会議員を見るにつけこの国はどうなったのかと言いたい。そう言えば教養と言う言葉も死語になりつつあるかもしれない。今の日本は全てがお金の価値観で動いているので、お金を持っていない人に対しては蔑む様な目で見る傾向が強い。しかし、良く考えると今の社会にルンペンはいても乞食がいない。人生の綾でお金に恵まれない人達が増えているが、生活保護を受けない人達が多いのも事実である。人間としての矜持を失ったのではお終いであるが、最近の成功者と言える人達を見ると器が小さいと思えてならない。頭が良いので成功したのであろうが、トップに立つ器で無いのに頭が良いだけで偶々その地位を得ている人が多くなったので社会が歪んだのかもしれないと考える。何れにしても、政界にしても経済界にしても官界にしても小人物ばかりで規範となる人物がいない。明治維新は江戸時代の学問である朱子学・論語など道徳教養を身につけた人達が成し遂げたのであり、西洋の学問だけを学んだ人達ではない。人格形成には論語など中国の学問を学ぶことが重要であったことが分かる。少なくても公の仕事に就く人には論語などを学ばせることが必要なのではないかと考える。
前原外務大臣の就任で再び対米追従外交の復活か
戦前戦後ともアジアで孤独に欧米諸国と対峙してきた日本が漸くアジア諸国の経済発展で欧米諸国に発言権を有するエリアになろうとしている矢先に時代錯誤対米追従主義の考え方の持ち主の民主党の前原と言う議員の存在感が増してきた。日中韓の北東3国が連帯し、尚且つ東南アジア諸国と経済的融合を図るリーダーシップを取る時代になったが、前原が露骨な対米追従主義の考えで米国の思惑に沿った行動を開始した様だ。羽田空港の国際化で露骨な米国航空を優先した前原が、尖閣諸島で中国と軋轢を起こした。海上保安庁の今回の中国漁船の拿捕とも言える行動は、前原国土交通大臣でなければ発生しなかったものと思われる。推測だが、従来ならば単に警告を発して追い払ったのではないかと思われる。しかし、今回は従来と異なり停船命令を発し、中国漁船を拿捕する行動に海上保安庁が出た背景には、前原の強い意志が感じられる。海上保安庁が前原の意志に従った背景には、ヘリコプター墜落事件で前原に借りを作ったことに起因しているのではないかと思われる。以前のblogで書いたが、海上保安庁のヘリコプター墜落事件で前原が取った行動は完全に海上保安庁を擁護するものであった。米国の思惑で前原が中国と軋轢を起こしたとすれば戦前に多く見かけられた国賊者の政治家・官僚と一緒であるので要注意である。米国は国力を付けて来た中国の防波堤に日本を利用しようとしているのは間違いが無い。その戦略に乗ってしまうと折角のアジア共同体が吹き飛んでしまう。戦前はペーパー試験で出世した実務を知らない馬鹿な軍人のために中国を侵略し国を滅ばしたが、今回も又、前原の様なペーパー試験で上がってきた実務を積んでいない議員が国を誤らせる可能性が高い。私は尖閣諸島を放棄しろとは言っていない。トラの威を借りる狐の様な行動を慎めと言っているのである。尖閣諸島問題で中国と対峙するなら海軍同士の衝突も考慮した上で対処しろと言いたいのである。然も米軍などに頼らずである。悪戯に日中関係に水を差す行動は、日本がベトナムやフィリピンの中国との領土問題で日本の仲介の機会を失わせるばかりでなく、アジア諸国の分裂を招いて欧米を利する行為である。"政治の延長は戦争である"とはクラウゼビッツの戦争論の一説である。前原の今後の行動次第では政治的に失脚させることが国益に沿ったものであることを肝に銘じたい。
大阪府・橋下知事の維新の会発足による地方からの改革に期待
日本の経済が不調なのは現実の経済活動と乖離した税体系に問題がある
米国の税体系は本当に現実の経済活動に即したものと言えるが、反面、日本の場合は逆に企業の活動を阻害する税体系となっている。消費税をアップするなら企業の経済活動に即した税体系に変更しなければ国民に負担を掛けて国家は疲弊するだけである。以前から指摘しているが、自動車税がその典型である。排気量に課税しているので新車も中古車も税金が変わらない。米国は売買価格に対して課税するので正に現実的である。また、固定資産税にも異議を唱えたい。日本の場合、米国の様な売買価格に対しての課税でなく固定資産税評価額で決定されるので住宅以外は小規模宅地の軽減措置はあるが、基本的には土地上の収益とは関係なく課税されるので、老朽化した建物でも土地価格が高ければ固定資産税が高い。特に、日本の場合には土地と建物に対する固定資産税は土地の方が圧倒的に高く、本来なら土地上の生産活動に対して課税する必要があるのに全く課税では無視されている。米国などは売買価格に従って固定資産税に相当する税金が課税されるので、正に現実的である。もちろん、別途教育税なるものが州によって課税されたりするので、財政赤字の州では一概に有利とは言えないかもしれないが、日本のように土地価格に比重を置いた不公平な現実の経済と乖離した課税ではないことは確かである。固定資産税の現実的な課税とは、売買価格に対する課税は当然だが、新築などに対しては建物7に対して土地3の比率で課税するのが経済原則に即していると考えられる。老朽化して賃料が取れない建物でも土地に対する課税基準は新築と同じでは不公平な税制度と言われても仕方が無い。情報化社会になって多くのデータ処理が出来る時代になったので、税制度も一律ではなく実態に合った課税に切り替えることは難しくないと思われる。しかし、何故か日本では、米国のオバマ大統領が景気回復で打ち出したような一定期間内の工場などの建物建設に対して2年で一挙に償却できる様な思い切った政策を打ち出せないかと嫌になる。推測だが、官僚に減税に相当する他に見合った税収先がないと出来ないなどと言われて馬鹿な政治家が納得してしまうからだろう。新築の減価償却税などは造ってナンボなのにである。マスコミも必ず官僚と同様に鸚鵡返しにその様な減税政策や支出をするのにそれに充てる税収先があるのかと必ず問題提起する。予算を固定した考え方にしたらその様な議論になるかもしれないが、不要不急な支出を先送りすれば幾らでも予算は捻出できるのである。また、その前に行政改革であるが、最近は官僚が強くなったので行政改革など過去の話の様にマスコミは沈黙している。尤も、マスコミなどは名目金利0.3~0.5%の報道しか流さないので国民の財布は締まるばかりで一層不景気になる。デフレ1.5%なので実質金利は2%位になっていることを伝えるのが必要なのにそれを知っている官僚だけが予算の無駄使いを行なっているのが実情である。兎に角、日本の場合は、抜本的な改革をしなければ景気回復はできないと思われるが、知識だけの優等生が支配する日本では沈没するまで何も出来ないと思われる。そう言えば、前原国交省大臣が海上保安庁のヘリコプター事故の時に他所のイベントで酒を飲んでいた事を指摘されたが、その時に「海上保安庁長官に大丈夫かと聞いてその結果を踏まえて適切に指示しした」と言ったそうだ。大分前に自民党の馬鹿総理であった森も水産学校の研修船が米国の原潜と衝突事故を起こし沈んだ時にもゴルフプレイをしていて事故後の一報が入った後もプレイを続けて顰蹙を買ったが、その時の台詞も官僚から問題ないと言われたのでプレーを続行したと釈明していたことを思い出した。この様に、官僚からの情報だけを信じて動かない政治家の姿を見ると失望せざるを得ない。平和になると昭和の軍人の様に出世だけを考える利己的な秀才だけが跳梁跋扈し、国家を誤らせる輩が精神論を振りかざすのは何時の時代も同じの様だ。自ら変える事が出来ずに経済戦争に勝てるわけが無い。
行政の形式主義が国民に負担を掛けている
管より小沢が評価されるのは消費税アップの前に行政改革を唱えている事
クリーンな政治が政治家の官僚化を招いた皮肉な結果
企業献金を不正の元凶として個人献金を主体とする政治システムに切り替えるのに政党助成金制度を設けたが、結果的に苦労しないでお金が政党に流れ込むことによって政治家が官僚化し、国民や経済界の声を聞かなくなった。中国に「水清ければ魚住まず」の故事があるが、「クリーンな政治は国家の危機の声聞かず」であろう。消費税を上げて財政悪化を食い止めるなどと簡単に言うが、その金は誰が稼いでいるものかを理解していない様だ。政治家と役人に金を与えてよい結果が生まれた試がない。現行の財政状態だと医療や年金の支給が出来なくなると国民を脅かしているが、必要な所にお金が流れないシステムにしている現行制度が問題なのであってその解決なくして健全財政など出来る筈もない。民主党の事業仕分けが今どうなっているかを追跡調査すれば何も予算の削減に結びついていないのが分かる。役人の悪知恵で法律を変えなければ大幅な予算の変更が出来ないなどと戯言を聞いて黙ってしまう政治家など話にならない。私のブログで何回も指摘しているが、農林水産業に係る就業人口が過去40年で何分の一かになっているのに農水省の役人の数や出先機関、関係団体などは少しも減少していない馬鹿げた結果を見ただけで予算の無駄使いが歴然としている。前原国交省大臣は偉そうに言っているが、公共投資事業を減らすなら国交省全体の役人の数から出先機関の統廃合、意味の無い団体を廃止を行なって初めて公共投資事業の予算を廃止した事になるのだが、これ等に関しては何も手をつけていない。何れの大臣も自民党と何等結果的には変わらない。官僚政治が続いているだけである。然も、政治家が官僚化して官僚の言い分に理解を示してくれるので、役人にとっては笑いが止まらないであろう。国民の声を聞かないクリーンな政治など何の意味もない。クリーンを売り物にして何の政策も持たない議員では役に立たないのである。昔の様に企業から献金を受けるのにこの円高では貰いにも行けないので、円高対策を敏速に行なったのである。しかし、今は政党助成金があるから円高を放置したままである。後の祭りとはこのことか。
赤字垂れ流しの実質的な倒産の地方公社(三セク)解散に対しては歴代関係者に責任を取らせるべきだ
記者クラブ制度と情報操作加担で日本の新聞は滅ぶ
日本の新聞が記者クラブと言う情報談合の制度を壊さないで何を言っているのかと思うのは私一人ではないだろう。その上、露骨に意図的な世論調査や似非学者の意見を掲載して情報操作している姿を見ると新聞の断末魔の声が聞こえてくる。インターネット以前の時代なら兎も角、現代の情報化時代に記者クラブの発表記事など掲載していたのでは購読者など減少する一方だろう。私が住んでいるマンションでも新聞配達は急激に減少しており、特に若い人たちは新聞を取っていない。私が若い頃に韓国関係の情報収集を担当していた当時、日本経済新聞の一面の記事が韓国の経済紙に掲載された記事と全く同じであった事に驚いた。企業で海外勤務を経験した人達には分かっていた日本の新聞の海外新聞丸写しの記事の掲載であった。記者クラブ制度で育った記者は取材する能力が鍛えられないので、海外に出たときには翻訳記事やインタビュー記事しか本社に遅れないのだと理解した。夜討ち朝駆けによる取材などと言われるが、実態は親しくなった政治家や企業人からリークされた記事を掲載して一方の暴露に組しているだけの話である。尤も、毎日新聞の記者の様に男女関係になった女性から寝物語で聞いた沖縄返還密約を記事を書いた者もいた。この記者が特ダネをとるために女性を利用したかの様に書かれているが、本当の話は男女の中になった偶然から拾った特ダネだろうと思料する。言論の自由などと大袈裟な事をマスコミは唱えるが、記者クラブや企業広報、更に意図的に流された情報を鵜呑みにして記事にする日本のマスコミ関係者がその背景にある信用を失くしたのでは、意味がない。最近の新聞は特に政治や外交に対して目に余る干渉を世論調査や学者などを利用して行なっている。米国のCIAや財務官僚の手先と思える記事を掲載していたのでは日本の新聞は風前の灯火であろう。先ず、新聞が生き残るには記者クラブ制度を否定し、企業広報の代理店を否定することしかないと考える。しかし、自らが出来ない事を書いているから信用を失っていることに気付くべきと思われるが、先ず無理と考えた方が正解であり、遅かれ早かれ日本の新聞は消え去る運命だろう。
司馬遼太郎の作家原点が今尚続く日本の悲劇
司馬遼太郎は昭和20年(1945年)8月15日に陸軍少尉で終戦を迎えた時に「なぜ、こんな愚かな指導者ばかりの国にうまれたのか。昔はそうでなかったのではないか。」と言う思いがあり、その疑問の答えを見つけるために歴史小説を書き続けたと言う。この愚かな指導者の言葉は正に現代の日本にも当て嵌まり、太平洋戦争の責任を問わなかった日本国民の未だに続く悲劇かもしれない。今は平成の時代だが、愚かな指導者を産んだ時代は昭和であった。私も昭和生まれだが終戦を大分過ぎ朝鮮戦争特需に沸いた世代であるので、子供時代に戦争の話は聞いたが実感の湧かない事であった。しかし、無謀な戦争に導いたのは日本陸軍参謀本部の作戦参謀と言われた陸軍大学卒のエリート官僚と聞いて今は、東大卒の財務省主計局のエリート官僚がオーバーラップする。昭和の時代にはテストの成績が良いものが要職に就き、次第に実務知らずの机上の妄想に走り、国家を破滅に導いてしまった。現代の霞ヶ関の官僚なども同様であろう。政治家や地方首長などに言葉遊びで翻弄して頭の良さを得意がっている姿は亡国以外の何物でもない。特に、官僚の問題点は、失敗の責任を取らないと言う正に致命的なシステムに国家の運命を委ねている点である。民主党の代表戦が始まったが、管にしても小沢にしても経済など何も分かっていないので期待は出来ないが、2人とも間違いなく司馬遼太郎の嘆いた「愚かな指導者」の範疇には入る。世の中は人脈で動くので仕方ないが、致命的な失敗をした輩が昔の陸軍参謀と同じ様に直ぐに要職に返り咲く。敗者復活戦をなくせと言うのではない。問題は失敗の原因を解明して責任を取った上での復帰なら問題が無いが、当の本人が反省も無いのに復活させている現代のエリートと呼ばれている連中の互助会組織が日本国家の崩壊に導く恐れがある。尤も、日本崩壊など既に始まっており、沈む船と運命を共にするのは何時も庶民である。しかし、平成の愚かな指導者に対しては断じて看過しないで責任を追求する必要があり、愚かな政治家、官僚、学者の氏名を挙げて責任を取らせる必要がある。