情けない日本人

今朝は特捜検事のデータ改竄で逮捕されたニュースが流れていた。裁判所の裁判官に関しても和解を拒否した原告に対して不利な判決を言い渡す裁判官が増えてる事を承知していたが、検事の不正とは呆れてしまう。この様な人物が検事や裁判官に就いているのはペーパー試験だけで採用している弊害が出たのであろう。勿論、弁護士にも人格の欠片も無い非常識な者がいるが、これは最近に始まった事ではないので論外だが、少なくても公に従事する者に対してはペーパー試験以上に重要な人格的な面を判断する面接が疎かになっているとしか言いようが無い。尤も、財政赤字なのに報酬の引き下げを頑として認めない地方議員や国会議員を見るにつけこの国はどうなったのかと言いたい。そう言えば教養と言う言葉も死語になりつつあるかもしれない。今の日本は全てがお金の価値観で動いているので、お金を持っていない人に対しては蔑む様な目で見る傾向が強い。しかし、良く考えると今の社会にルンペンはいても乞食がいない。人生の綾でお金に恵まれない人達が増えているが、生活保護を受けない人達が多いのも事実である。人間としての矜持を失ったのではお終いであるが、最近の成功者と言える人達を見ると器が小さいと思えてならない。頭が良いので成功したのであろうが、トップに立つ器で無いのに頭が良いだけで偶々その地位を得ている人が多くなったので社会が歪んだのかもしれないと考える。何れにしても、政界にしても経済界にしても官界にしても小人物ばかりで規範となる人物がいない。明治維新は江戸時代の学問である朱子学・論語など道徳教養を身につけた人達が成し遂げたのであり、西洋の学問だけを学んだ人達ではない。人格形成には論語など中国の学問を学ぶことが重要であったことが分かる。少なくても公の仕事に就く人には論語などを学ばせることが必要なのではないかと考える。

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