海上保安官による情報流失で分かった心の羅針盤を失った日本人

社会の規範・道徳がなくなった社会とは正に日本を指す言葉と言える。15年前の日本経済バブル崩壊後の失われた10年間に日本人は心の羅針盤を失った様だ。今回の流失事件の報道を見ていると国益と言う視点に欠けて全て法律論で論じられている奇妙さである。海上保安庁内のITシステムに開示されていたから職員は誰でも見れたので、その映像を世界中に流しても国家公務員の機密保持違反で起訴するのは難しいと言う議論には驚かされる。また、別な議論では、命がけで海の国境を守っている海上保安官に対して今回の尖閣諸島問題に対する政府の対応が良くなかったので、情報流失は当然であるといった報道である。そもそも論から言えば、公務員と言う存在は政党に対して不偏不党でなくてはならないと言う原則があり、自衛官、警察官、海上保安官及び消防隊員などの職種は危険性を理解して就く仕事である。それが命がけで業務を推進しているのに政府の対応が悪いからと言って個人の考えで情報を流失することが認められる事かと言う問題である。命が惜しかったら危険な仕事に就く事はないし、況してや何も公務員になることはないのである。特に、他の一般公務員と違って武器の携行が許される公務員の立場は重いものである。本当かどうかは不明だが、新聞報道などによれば情報流失した海上保安官は罪の意識もなく行為を正当化して言われるが、今回の事件は政府が不正を行った故の告発とは全く性格が異なるものであり、公務員が犯してはならない政治的な行動の類である。特に、今回の件は外国との関係が背景にあり、特に慎重に対応しなけらばならない問題であった。勿論、愚かな一個人の判断で大きな戦争に到った歴史は枚挙に暇がない。第一次世界大戦の引き金もオーストリア皇太子を襲ったテロ行為であった。日本の明治時代にも警護の警察官がロシア皇太子を襲った事件が思い出される。ロシア皇太子は怪我で済んだので戦争には到らなかったが、一人の行為によって導かれる結果の恐ろしさは歴史が証明している。尤も、この種の事件は政党政治が堕落して国民を省みない政治が行なわれている時に起きやすいのだが、過去を見る限りこの種の行為を国民が肯定したが為に後で払った代償(軍部の独走)が大きかった事を思い出すべきである。戦前の軍部の独走も若い軍人の正義感から出たものであった。しかし、政治を否定する事になる直接行動を国民が認めると国家の規律が乱れ、将来に禍根の芽を産む事になることを歴史を振り返って思い出すべきである。それでなくても心の羅針盤を失った日本人が漂流しているのであるから、今回の流失事件を起こした海上保安官に対しては最大限の処罰を与えるべきであると考える。

明治時代の国会と変わらない予算審議で予算項目を議論しない愚!!

誰しもが思い、誰しもが可笑しいと考える国会の予算審議で予算項目に対する是非を論じないで予算が決まることである。民主党政権になって初めて仕分け作業で予算の計上に多くの無駄があることを国民は知らされたが、本来なら国会の予算審議の過程で与野党が必要の是非を議論するべきものである。それが明治時代の国会創設以来、予算審議で予算に関して国民の前で議論された事はない。明治時代は予算の内容を分かるのは行政に携わった役人位であり、税収不足の中で予算を組めるかどうかが審議の対象であったのでやむを得ない面があった。然し、現代においては予算の仕組みや財政論に関しては周知の事実であるので、政府提出の予算に関して中味を議論するのは困難なことではない。それが相も変わらず国会の予算審議では政権打倒に向けた政府の欠点を指弾する場となっており、肝心の予算の中味に関しては国民の目に触れずじまいとなっている。特に、一般会計に関して論じる事があっても特別会計に関してはブラックボックスの様な取り扱いであった。地方議員も国会議員も予算を読むことが仕事であり、予算を読めなくては国民の利する代表にはなれない。しかし、実際には官僚出身の議員以外に予算を読み取れる議員が少ないのが現実である。野党議員などは官僚が資料を請求しても出さないと言って言い訳しているが、与野党問わず国会議員の要請に応じない権限は役人にはないので、もし出さないなら公の場にその役人を引きずり出して国民に問題提起すれば良いのである。大分古い話で恐縮だが、私の若い頃会社の仕事で東京都や中央官庁の各部署に予算を貰いに行ったことがあった。その時の役人との話だが、議員などは予算の仕組みなどに関して少しも勉強していないので何も分かっていないと軽蔑していたことである。東京都などは議会の為にポンチ絵を挿入した予算資料を作成しており、当時の役人が子供に説明するように作らないと議員は理解できないからと言ってたことが印象的であった。中央官庁に至っては、私が貰った予算について無知ゆえの質問をしたのだが、それに対して良く勉強している評価され、通常は出さない予算資料まで頂いた記憶がある。更に詳しい予算資料があるとのことであったが、それに関しては出しても良いが理解できないと思うので出した予算レベルで十分と言われたことが今でも鮮明に覚えている。今はどうか知らないが私の若い頃は行政側は要請すれば予算資料を開示したし、逆に仕事をしっかりと行なっている事を理解して貰いたい姿勢があった。役人が好き勝手にするようになった背景には議員と言う種族が余りにも勉強せず、政争ばかり行って肝心の国民のための政治の研究をしないためと思料する。その一つに予算審議おいて予算に関して議論しない悪習があると考えられる。予算審議で予算審議を行なわない愚が900兆円もの赤字国債の発行に繋がったのであり、この悪習を変えなければ議会制民主主義は形骸化してしまうと思われる。国会の予算に計上するまでには財務省と各省庁との攻防があり、その攻防の中味を知れば何故各省庁に財団法人が多く設立されたのかも理解できる。予算計上は突如として現れるのではない。必要を検証した上で計上されて来るのである。その過程を知らずして予算の無駄の議論が出来ない。少なくても解散のない参議院の議員は勉強する時間と機会があるので、予算審議で予算を議論しない愚を改善できる筈である。何れにしても、大臣になると省庁の代弁者になってしまうのは、仕組みが分からないために言いなりになるしか選択の道がないからである。勿論、議会には各委員会があるがそこでは役所が考える自分達の都合の良い議員の養成機関になっているから問題外であり、議員個人や党が独自に役所と議論できるブレーンと組織を有する必要がある。世代交代で若い議員が多くなっても従来と変わらない遣り方ならば意味がないのである。民主党の仕分け作業も結果を出すには役人に任せず党が実現のための法律改正まで踏み込まないと問題提起だけで終わってしまう。明治時代と同じでは国が滅んでしまうことを考える時期に来ている。

日本の農業

私は茨城県の県北の寒村の生まれなので農業には従事した事は無いが、曾祖母や祖母と両親が農業をしている姿を記憶しており、子供の頃から農村の風景を眺めていたので農業の歴史は良く知っている。特に、亡父が地方議員の時に農業協同組合の役員や県の農業委員の要職に就いていたので、当家には頻繁と日本の農業を語る人達が集合して議論を重ねていたのを見聞きしていた。戦後の農業は農薬と近代的肥料の導入で一時的には生産が飛躍的に伸びた時代があった。しかし、機械化の導入は遅れていたので人口集約産業の域を出ず、隣近所との共同作業で成り立っていた。1960年代以降は工業立国とする高度経済成長によって農村の働き手は都市部に徐々に流失し、農村は次第に働き手を欠く様になった。1970年ごろには既に「三ちゃん農業(お爺ちゃん、お婆ちゃん、お母ちゃん)」と呼ばれ、日本の農業の将来に悲観的な見方が広まっていた。今は2010年である。農業に悲観的な見方が出てから40年以上も経過しているのである。この間、政治家や農水省は農業のために何を行なってきたかであるが、最悪だったのは田中角栄と言う政治屋が休耕田による補償制度を導入して農民を堕落させたことである。日本の場合は個人農業が主体なので耕作面積も少なく、然も農業は平面的な活用なので幾ら肥料を投入して農薬で害虫から防いでも工場生産の様な効率化には限度がある。1960年代には米作りと麦作りには既に限界が見えてきていたのである。このため、椎茸栽培や根菜類の生産活動に力を注いでいるが、問題は農村から働き手が少なくなったので、併せて機械化も進めたのである。しかし、収益と機械化導入コストとの収支が合わない農家も多く、農家は借金だけが増えたのである。1970年代以降には日本人の所得も向上しパン食も増えたので多くの日本の農家は畑を麦作りを止めて野菜作りを始めたのである。当然に寒い地方の農家が1年中野菜つくりを行なうにはビニールハウスを建てて暖房を必要としたのである。暖房の燃料は石油である。この野菜作りもオイルショックと言う出来事に遭遇し、燃料コストが掛かり途中で止めた農家も多かった。もちろん、止めた理由は他に台風によるビニールハウスの被害もあり、自己資金が少なく借入金過多の農家はビニールハウス事業を継続できない農家が多かった事も事実である。産業界の意向を受けてTPP参加を促すマスコミなどは如何にも農業従事者が補助金や個別補償に甘えて農業の効率化を行なわなかったから国際競争力がないなどを無責任に報道しているが、日本の農業の歴史は豊かな社会造りのために工業立国化する過程で若い働き手を取られ、農業に対する国家のビジョンがない中で農業従事者は頑張ってきたのである。マスコミがインチキなのは今回のTPPの参加に関する農業の問題に関して農業関係者の意見を掲載させないことである。掲載したのは農業など経験した事がない東海JRの会長などの電機産業と比較して農業は効率が悪い業界になっているので、効率化を図れば国際競争力が付くなどと言う与太話である。もし、マスコミが農業問題を報道するなら40年で壊滅的に縮小した農業なのに農水省の組織は何故縮小しないで残っているのかについてである。記者クラブ制度に縛られた事実上の報道管制でその事実も報道できないマスコミに農業問題を論じる資格はないと言いたい。なお、農業問題に関しては、悲憤慷慨していても始まらないので、日本の農業を残してゆくためにはどうすれば良いかを日本人全体で考えるラストチャンスとする必要があると考える。当社も微力ながら日本の農業を残すために何か出来ないかを考えてゆきたいと思っている。
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