日本の農業
私は茨城県の県北の寒村の生まれなので農業には従事した事は無いが、曾祖母や祖母と両親が農業をしている姿を記憶しており、子供の頃から農村の風景を眺めていたので農業の歴史は良く知っている。特に、亡父が地方議員の時に農業協同組合の役員や県の農業委員の要職に就いていたので、当家には頻繁と日本の農業を語る人達が集合して議論を重ねていたのを見聞きしていた。戦後の農業は農薬と近代的肥料の導入で一時的には生産が飛躍的に伸びた時代があった。しかし、機械化の導入は遅れていたので人口集約産業の域を出ず、隣近所との共同作業で成り立っていた。1960年代以降は工業立国とする高度経済成長によって農村の働き手は都市部に徐々に流失し、農村は次第に働き手を欠く様になった。1970年ごろには既に「三ちゃん農業(お爺ちゃん、お婆ちゃん、お母ちゃん)」と呼ばれ、日本の農業の将来に悲観的な見方が広まっていた。今は2010年である。農業に悲観的な見方が出てから40年以上も経過しているのである。この間、政治家や農水省は農業のために何を行なってきたかであるが、最悪だったのは田中角栄と言う政治屋が休耕田による補償制度を導入して農民を堕落させたことである。日本の場合は個人農業が主体なので耕作面積も少なく、然も農業は平面的な活用なので幾ら肥料を投入して農薬で害虫から防いでも工場生産の様な効率化には限度がある。1960年代には米作りと麦作りには既に限界が見えてきていたのである。このため、椎茸栽培や根菜類の生産活動に力を注いでいるが、問題は農村から働き手が少なくなったので、併せて機械化も進めたのである。しかし、収益と機械化導入コストとの収支が合わない農家も多く、農家は借金だけが増えたのである。1970年代以降には日本人の所得も向上しパン食も増えたので多くの日本の農家は畑を麦作りを止めて野菜作りを始めたのである。当然に寒い地方の農家が1年中野菜つくりを行なうにはビニールハウスを建てて暖房を必要としたのである。暖房の燃料は石油である。この野菜作りもオイルショックと言う出来事に遭遇し、燃料コストが掛かり途中で止めた農家も多かった。もちろん、止めた理由は他に台風によるビニールハウスの被害もあり、自己資金が少なく借入金過多の農家はビニールハウス事業を継続できない農家が多かった事も事実である。産業界の意向を受けてTPP参加を促すマスコミなどは如何にも農業従事者が補助金や個別補償に甘えて農業の効率化を行なわなかったから国際競争力がないなどを無責任に報道しているが、日本の農業の歴史は豊かな社会造りのために工業立国化する過程で若い働き手を取られ、農業に対する国家のビジョンがない中で農業従事者は頑張ってきたのである。マスコミがインチキなのは今回のTPPの参加に関する農業の問題に関して農業関係者の意見を掲載させないことである。掲載したのは農業など経験した事がない東海JRの会長などの電機産業と比較して農業は効率が悪い業界になっているので、効率化を図れば国際競争力が付くなどと言う与太話である。もし、マスコミが農業問題を報道するなら40年で壊滅的に縮小した農業なのに農水省の組織は何故縮小しないで残っているのかについてである。記者クラブ制度に縛られた事実上の報道管制でその事実も報道できないマスコミに農業問題を論じる資格はないと言いたい。なお、農業問題に関しては、悲憤慷慨していても始まらないので、日本の農業を残してゆくためにはどうすれば良いかを日本人全体で考えるラストチャンスとする必要があると考える。当社も微力ながら日本の農業を残すために何か出来ないかを考えてゆきたいと思っている。
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