飲食店の賑わい

東北太平洋大地震から1ヶ月以上経過してマスコミ報道と違う動きが東京では起きている気がする。尤も、4月の時期特有の動きなのを誤解しているのかもしれないが、少なくても飲食店は懸念された様な売上げの落ち込みにならないのではないかと思われる。確かに、3.11直後は自粛ムードで飲食店には人が少なかったかもしれないが、都心に限れば計画停電や余震で何時電車が不通になるか分からない状況では帰宅が早くなるのは当然と考えられる。しかし、余震は続いているが、地震に対する馴れの感覚と計画停電の取り止めなどから多くの人の生活が通常に戻りつつあり、次第に冷静になると消費の落ち込みによる経済悪化の懸念の方が気になり、自粛ムードに反対する意見が出てきた。この流れが飲食店の賑わいに繋がってきている様に思える。確かに、今回の大地震や原発事故を見ると、明日の運命など誰も分からないと言う思いが強くなったのではないかと思料する。年金受給の不透明さや高齢化社会による経済悪化などの予測から、リーマンショック以降は老後の事を考えて外食などの消費を控えてきたのが実情であった。しかし、大地震以外でも交通事故や通り魔に遭遇しないとは断言できず、刹那的とは言わないが一日一日を悔いのない生き方をする考えに変えたことが飲食店の妙な賑わいになっている気がする。勿論、個人の生き方以外に大災害後のビジネスの今後の動きに関する情報を求めて人の交流を増やしているのも事実であり、その動きも飲食店の賑わいを後押ししている面がある。何れにしても、以前はインフレで見た目の給与が上がった事や豊かな社会でない中で育った世代は将来に対する不安がなく思い切り消費にお金を注ぎ込んだのが経済成長を促したのである。今回の大災害で日本人の考え方が変われば社会が変わるかもしれない。期待したいものである。

「お願いします」の立候補者には票を入れるな

統一地方選挙が行なわれているが、立候補者の相も変わらない「お願いします」の連呼が不愉快だ。職業政治家とすれば生活が掛かっているので「お願いします」は普通なのかもしれないが。議員の報酬は税金である。住民の為に働いて初めて得られる報酬だ。日本語の解釈では、「お願いします」は自分の為の言葉である。朝の通勤者に呼びかけるなら、「お願いします」でなく「私は・・・・・を実現します」と言い方であろう。その政策に賛同した選挙民が票を入れるというのが選挙であろう。百歩譲って、足早に通る通勤者に主張を聞いてもらえる時間がないと立候補者が言うならば、端的に理解してもらえる標語を作るべきであろう。今日の立候補者の公約で評価できるのは、議員定数の削減と報酬の削減である。財政難の陥っている自冶体で最も必要な事は経費削減である。現役の議員は現行の報酬を減額されると政治活動に支障が来たすと言うが、それなら立候補しなくて良いと言うのが選挙民の声だ。今の議員が365日政治活動を行っているかと言うと大半が何もしていないのが実情だ。借金過多の財政の自冶体にした現役議員などは立候補を辞退すべきなのに、平気な顔をして立候補してきて当選後4年間自分の生活の為に報酬を得ているのである。議会制民主主義は職業政治家の登場で議員の利権の場になってしまった。議員の他に仕事を持つ事でその経験が生かされるのは議会制民主主義と考えるが、職業政治家の出現で若き頃から政治活動しか経験がない議員が多くなり、政治に知恵がなくなった。悪く言えば、議員と行政マンである公務員との区別がなくなり、議員など居なくても良くなっているのが現実だ。良く考えれば、下は市町村議員、中間に県(都・府・道)議会議員、上に国会議員がいるのだが、議員活動で重複している部分が多いので、それぞれの議員数を大幅に削減しても住民にとっては何等困らない。逆に必要な人達は議員ではなくボランティアの扱いの地域の民生委員であろう。議員を減らして民生委員を増やして手当てを支給したほうが余程世の中の為になる。

東電・効率経営の大きなツケ

金融資本主義が日本を席巻し、日本企業は「選択と集中」、「効率経営」などに邁進した。確かに、日本企業は資産の有効活用が少なく資本の効率が悪い面があったのは否めない。また、多くの不採算部門の事業もインフレ時代は省みられなかったが、デフレ経済に入り、重荷になったのも事実である。更に、自己資本と比べ借入金過多の経営もデフレで継続できなくなって来たのも事実である。しかし、効率経営しなければ生き残れない民間企業と異なり、準公共事業会社として赤字経営にならない電力会社が安全を無視して効率経営に邁進したのは誤りと言える。JR西日本の事故も効率経営から起きた悲劇である。顧客より株主優先した結果が多くの乗客の人生を奪った。福島第一原子力発電所の事故を起こした清水社長は経営の合理化・効率化で出世してきた人らしい。福島原発に対するIEAの調査による安全弁の設置に関しても直ぐには実行せず再度の勧告でしぶしぶ実施したとの情報もある。今回の福島原発事故でこの弁がなかったらモット最悪な結果となったと推定されている。ここ15年で起きた工場などの事故は効率経営の結果で起きた安全に対する配慮を欠いたものが殆んどと思われる。安全とは、孔子・荘氏の「無用の用」である事と思料するが、欧米かぶれの経営者は省みもしない。清水社長がトップに立つまでにどの程度の経費を節減したか知らないが、誰が考えても福島原発事故で発生する賠償額の方が格段と大きいと思われ、効率経営の大きなツケとしては痛すぎる結果だ。清水社長と言う人物は東京電力の使命を忘れた最悪な経営者であろう。勿論、社長に登用した現会長も同様な責任があることは言うまでもない。

東北の復興の有り方が今後の日本の針路を決める

西日本からの勢力が関東東北の勢力を平らげて日本統一を成し遂げたのだが、その後幾たびか関東東北地方で反乱が起きては鎮撫されてきた。日本は外見的からは単一民族の国家なのであろうが、近年のDNAの研究で分かったのは、日本人が出アフリカから枝分かれした全てのDNAの継承者であり、内面的には単一民族とは程遠い人種であることだ。私の故郷は北関東の茨城県北部である。江戸時代は水戸徳川藩35万石の領地だが、その前は守護大名の佐竹藩の領地であった。他県人から見ると、茨城県と言ったら水戸黄門であり水戸徳川藩であるが、土着の人々にとっては長く続いた佐竹藩に対する思慕は深く、水戸徳川藩は進駐軍の位置づけであった。特に、佐竹藩の出身地である常陸太田市周辺の民は心からは水戸藩に靡かなかった。それでも水戸徳川藩には土着の多くの人が藩士として召し抱えられたので、水戸藩士の気質は関東武士そのものであった。水戸藩が全国的に有名になったのは、江戸時代末期の「桜田門外の変」と「坂下門外の変」の井伊大老の暗殺と安藤老中の暗殺未遂の事件である。水戸っぽと言われる性格は正義心が強く短気なことである。明治維新後も茨城の青年は5.15事件の犬養毅などの要人暗殺事件を起こしているので、水戸人の近代史は暗殺で血塗られている。この5.15事件が2.26事件と繋がってくるのだが、軍部を揺るがした2.26事件は東北地方の貧しさと旱魃による女性の人身売買を悲憤慷慨して起きたことである。2.26事件後には日本は中国侵略に邁進することになったのである。近代史で東北が日本の方向を変えた瞬間が2.26事件とも言える。私の浅学な知識で歴史を論ずるなどおこがましいが、今回の東北太平洋大地震による東北地方の復興が正に2.26事件と同様に今後の日本の進路をかえるエポックになるのではないかと思えて仕方がないからである。ちなみに、先に触れた佐竹藩は、今回の原発事故のエリアも勢力範囲であり、仙台の伊達藩と死闘を繰り広げた場所が相馬地域である。今でも方言的には、茨城県北部といわき平及び相馬方面とは同じである。私が子供の頃の盆踊りの民謡は相馬盆唄であった。今回の大地震と津波、更に原発事故は日本人の生き方まで変える様な出来事になると考えられ、それが東北地域に端を発した事に意味があるように思われて仕方がない。近年、国が赤字国債の発行で900兆円もの負債を抱えたので地方都市の公共投資などは無駄なものとして取り扱われる様になったが、日本の工業化や経済成長のの犠牲になって来たのは常に地方なのである。日本の農業が何故駄目になったかは、今の中国と同様に経済成長の為に多くの若者を地方から奪ったからであり、そのために農業が犠牲になったのである。危険な原子力発電所も同様である。日本の経済成長の為に産業界の要請で電力料金が安くなる原子力発電所の建設を邁進したのである。都会の人達は地方の犠牲の上に自分達の豊かさが築かれているのも忘れ、地方に対して切捨て論まで出てきたのである。都市の豊かさと快適さは地方がリスクなどを代行しているから得られていることに漸く今回気付いたと思われる。日本が物質的な豊かさだけでなく、心の豊かさを持てる様な国づくりを行う事が求められてきているが、正に東北の復興が今後の日本の針路を決めることになるのではないかと思われる。

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