1945年、今から66年前に日本は敗戦し、その後は米国の日本弱体化の戦後プログラムに沿って歩んできた。途中で朝鮮戦争が起きてプログラムに若干変更が加えられたが、基本的には原案に近い形で遂行された。勿論、戦後プログラムは全てを否定するもではなく、農地解放の様な結果的には日本人に取っては幸運をもたらした政策もあった。最近、東日本大震災後に日本に帰化を表明したドナルドキーン氏も占領軍の一員として日本の土を踏んでいる。ドナルドキーン氏より早く日本に帰化した米国人の一人にウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏がいる。彼はメンソレータムの近江兄弟社を設立した人でもあり、当社と同業の設計事務所「一粒社ヴォーリズ建築設計事務所」を設立し、明治以降に多くの有名な建築物を設計した人物としても知られている。因みに、帰化後の日本名は一柳米来留(ヒトツヤナギメレル)であり、一柳は奥さんの実家の性であった。話は横に逸れるが、私の知人が偶然にヴォーリズムの出たコロラド大学に学んでおり、偶然に驚いた記憶がある。ヴォーリズは戦争中に帰化し、戦後日本の再生に役立つ事を決意した人でもある。このヴォーリズが戦後日本人の変化に逸早く気付いた人でもある。そして戦後プログラムで戦前の倫理観などを一掃された日本社会ではお金が基本になっていることに将来の日本人に対して懸念していたと言われている。それでも未だ明治生まれの人達が多くいた1970年代までは経済成長もあり、日本社会はどうにか秩序が保たれていたと考えられた。然し、次第に明治生まれの世代が引退し、大正時代の世代が経営者の主流になっていた時に経済バブルが崩壊し、その後は資産デフレとなり昭和時代の世代が台頭してきてから日本社会は米国の戦後プログラムの効果が出てきた。そのピークは小泉政権以降であると思われる。勿論、戦後プログラムだけでなく、日本の戦後社会では人格的に問題がある旧軍人が復活したり、隠退蔵物資を盗んで企業経営者になった人達が多かったので、戦後プログラムは無責任社会の進行を助長させただけなのかもしれない。今は正に、政治家も官僚も企業人も自己利益だけしか考えない戦中戦後世代が跳梁跋扈しているが、現代の米国にとっては予想以上の効果が出たので、中国の最近の台頭を考えれば、逆に時間を戻したいと考えているかもしれない。それにしても、情けない程小人物が政治家のトップになったり、大手企業経営者のトップになったりとバブル経済崩壊後に何も遣らない自己中の二流の人物がそれぞれの業界で地位を得たことが、無責任な日本社会を作り上げた。今となっては時間を戻すわけには行かないが、今後の日本は東日本大震災や二次災害の原発事故の試練によって変らなければ民族として生き残れないのではないかと危惧する。
標題はアップルの創業者、スティーブジョブスが好んで使う言葉なので、人口に膾炙している。今の日本を見ると、「Stay hungry,Stay foolish」の生き方など評価されないほど打算的な社会と思われる。尤も、年功序列制度が崩壊し、雇用もインフレ時代と異なり厳しい時代なので、利口に振舞わないと生きてゆけない背景があることも確かだ。勿論、若い方がベンチャー企業を立ち上げたり、企業家を目指して頑張っている姿を報道した新聞雑誌などの記事も眼にしているので、「Stay hungry,Stay foolish」の生き方で頑張っている人達がいるのは否定しない。スティーブジョブスと同時代にPCで成功した人物にマイクロソフトの創業者のビルゲイツがいる。ビルゲイツもスティーブジョブスもハードでなく、ソフト分野で成功した人物だ。PCではハードで成功して長続きした人物は少ない。そう言えば、日本にも孫正義と言いうPCソフトと携帯電話の買収で成功した同時代の人物もいる。3人を比較すると、ビルゲイツと孫正義は同類と思われるが、ジョブスは2人とは基本的に違う様だ。ジョブスは独創性に執着し、且つ妥協しない遣り方は事業家と言うより芸術家タイプと思われる。芸術家は才能を評価してくれる画商などがいないと世に出ることは難しいが、その点はジョブスは恵まれた環境にあった。勿論、ジョブスにも事業家としての才覚はあり、その最たるものがプレゼンの上手さであろう。しかし、ジョブスの根底には常に「Stay hungry,Stay foolish」の生き方があり、それが他の二人の追随を許さないものになっていると推定できる。日本の政治家と官僚に「Stay hungry,Stay foolish」の言葉を贈りたい。
私はゴルフを始めて今年で29年になるが、レッスンプロの指導を受けずに独学で学んだために最近は下手になるばかりである。世の中の事は全て一緒だが最初が肝心であることを情けない事にこの年で学んだ。然し、ゴルフは下手であるが、長年プレイしてきたので、徐々にではあるがゴルフの何たるかは幾らか分かって来た様な気がする。不思議な物で、上手くなろうとしてきた時には見えなかった事が、下手になって分かってきたとは皮肉だ。先週の連休の最後にゴルフコンペがあり参加した。コンペは2組だが、個人戦ではなく組み対抗戦とドラコンとニアピンと言う遣り方であった。このゴルフコンペを主催するのは紅一点の女性参加者であり、彼女のファンの男達が参加している。私は年齢的に上位から2番で長老扱いされている。私の組は老舗の会社の役員、コンサルタント会社の社員、開業医の構成であり、主催者の彼女とのゴルフでは何時も大叩きをしていたためか、4人の中では最下位に位置づけられていた。老舗会社の役員とは友達の輪を通して知り合い10年以上のお付き合いをしている。今回の暑い最中のゴルフではゴルフと性格について改めて気がつかされた。老舗の役員さんとは何回か一緒にプレイしているが、今回初めて彼が切れた場面に出合って驚いた。彼は東大の現役時代に司法試験に合格した程の英才であり、キャリア官僚を経て奥さんの一族が経営している会社で役員に就任し世界中を飛び回っている。その彼がバンカーショットのミスで切れたのである。尤も、その後は直ぐに冷静になったが、ゴルフと言うスポーツは本当に人の性格を映し出すスポーツと言う事が理解できる。彼は意外と短気であったのである。若い頃にゴルフを始めた時に良く言われた事は、ゴルフが上手いと取引先の金融機関から信用されないと言われたものである。然し、今ではゴルフが下手だと逆に経営判断の能力が問われる時代となり隔世の感がある。確かに、ゴルフが上手い人は努力家の人だから一部の人を除いて仕事も頑張って成功した人が多い。先の老舗の役員は負けず嫌いだから東大にも入り、司法試験も大学在学中に合格したと思われる。それがゴルフと言うスポーツに出合って初めて思うようにならないので切れたと思料する。翻って、私の人生は逆境の連続なのでゴルフで思うようにならない事などは想定内なので今では切れたりしないが、他人から見るとゴルフで大叩きしても常に冷静なので驚かれる様だ。なお、4人の中でコンサルタントの会社に勤務している若い方は相当飛ばすので余裕があったこともあるが、人を観察する習慣が身についていると思われた。良く他人のスイングやプレイを観察してひと言励ましの言葉を掛けていた。コンサルタントと言う仕事が観察眼を必要とし、常に客観的に人見る習慣を養ってるのではないかと思われた。矢張り若い方で1年前に開業医となった医者は後半のハーフプレイで突然OBの連発で崩れ、数ホールは酷いゴルフとなった。それでも開業医になって苦労しているためか切れる事はなく黙々とプレイし、必死で自分を抑えている様子が見て取れた。この様子を見ていたコンサルタントは医者の方が自分と必死になって戦っているので余計なアドバイスは不要(聞き入れない)と独り言をいった。ちなみに、今回のコンペは他の組に図抜けて上手い方が一人いた事と、医者の彼が後半のプレイで大叩きしたために我々の組は負けた。なお、老舗の役員の方は最初のハーフで切れたが、後半は冷静な彼に戻り、然もチャレンジャー精神も発揮して難関のホールを克服し、個人では2位に入った。流石であった。私はと言えば、ドライバーの距離が落ちたためセカンドを苦労し拾いのゴルフに終始したものの、パターが入らず8人中5位の成績であった。尤も、アプローチで久し振りにヒントを掴んだ(?)ので次回に期待したい。
サッカーの女子ワールドカップでなしこジャパンの優勝が見えてきた。最近の日本女性の活躍は目を瞠るものがある。、私の友人は20年以上前からこれからは女性を上手に使う会社が伸びると遇う度に指摘してきた。友人は長く米国に生活していたので女性の社会進出を見て来たゆえであろうが、同時に彼の奥さんは通訳のキャリアウーマンであることも影響していたのであろう。3年前に転職して再度米国に戻ったのだが、その会社でも友人のキャリアウーマン好きは有名らしい。尤も、最近は男性と違った女性の扱いの難しさも経験している様で手放しではキャリアウーマンを絶賛はしていないが。サッカーのなでしこジャパンの強さは現代の日本社会を投影している事は確かだ。男性が内向き思考になっているのに女性は外向き思考が強い。この差は何処から生まれてきているのかと考えると、家庭と母親に行き着く。勿論、女性の強さは何も今から始まったことではなく、社会的な活躍は女性の社会進出の増加と相俟ったものと言える。問題は男性がなぜ女性に比べて弱くなったかの方が問題と考える。最大の原因は母親が父親を子供の前で一家の大黒柱として尊重しなくなったことが大きいと思われる。私が育った環境から考えると母親は優しく、父親は強く怖い存在であった。確か、何かの本で読んだのだが、母親が強く父親が弱い家庭の子供は不良になる確立が高いと書かれていたのを思い出した。現代日本においては、母親が父親の不甲斐なさを子供前で平気で口に出すことが子供の成長に、特に男子の成長に害をもたらしているのではないかと考えてしまう。私の母は父に対して多くの不満を持っていたかもしれないが、子供の前では一度たりとも愚痴などを言った事はなかった。勿論、同じ年で結婚したので良く喧嘩はしていた。私は末っ子なので母から一番可愛がられていたために、両親が喧嘩をした時に父から不条理ともいえる扱いを受けたこともあった。尤も、不条理なのは時間的な問題で、叱られた内容に関しては当然な理由があり母としても庇えない知能的なものであった。何れにしても私が不良にならなかったのは、母が父の威厳を子供たちに見せる努力をしていたからと理解できる。確かに、日本女性の活躍はあっぱれであるが、現代の女性達が母になった時に優しさを兼ね備えた強さを持ち、且つ子供の父親に対して一家の主として立てる聡明さがなければ間違いなく日本の良き社会は崩壊すると断言できる。いや、もう崩壊しつつあるかもしれない。到る所で子供を叱る母親を見ていると、何時の間に母親が父親になってしまったのかを考えてしまう。少なくても私の子供時代には母にヒステリックに叱られた記憶がなく、優しさだけ思い出される。
福島県南相馬市の畜産農家の放射能汚染牛が市場に出回り衝撃を与えている。マスコミによれば行政指定の飼料でなく汚染された干し藁を食べさせた事による汚染とのことで、政府と行政の責任逃れのインチキ報道だ。被災に遇い、資金不足の農家が行政が指定した飼料を購入出来るのだろうか。原発事故直後にも放射能拡散地域から食肉牛が取引されて市場に流されたとの週刊誌記事を見た。今回の事件はその教訓を生かしていない政府と行政の怠慢が引き起こしたと思われる。放射能拡散地域の農業と畜産の農家が補償の範囲も対称も金額も分からない中で犠牲を強いられている。農家はサラリーマンの様に仕事をしなくても給料が貰えるシステムではない。全てがスローペースで行なわれているのは給料取りの役人と政治家の原因だ。そう言えば、自民党の代議士が蓄えのない者は他人が一生懸命に働いている時に遊んでいた者なので擁護する必要がないと言った事を思い出した。零細農家や畜産農家が借金を抱えて中小企業の自転車操業と同様であることなど省みない。今回の大地震と二次災害の原発事故で途方に呉れている農家に対して何等の手も差し延べていない。働かなければ食えない人達は放射能が怖くても移転はできない。然も、補償も対象かどうか分からない自主避難のエリアなら尚更だ。NHKの報道で司会者が、被災地の方は被害者だが、放射能汚染牛を売ったならば何時までも被害者とは言えないと暴言を吐いた。政府と行政の怠慢が引き起こした事を追求しないで畜産農家を非難する報道は許せない。そもそも自主避難とはどの様なことを意味するのか。官僚の無責任な意見をそのまま採用する民主党政権は何が政治主導だ。指定した飼料は価格は幾らか。畜産農家が原発事故の被害者であるのに、何故強いられて負担を掛けさせられるのか。政府が進めている補償の仕組みも出鱈目だから被害者が加害者扱いされてしまう。被害者を加害者などと言うNHKなどに放送料を払うな。政府擁護の国営放送などに金が払えるか。日本は全てが狂っている。
今夏は福島原発事故の影響により大半の原子力が稼動せず電力が不足するので政府は節電を呼びかけている。然し、良く考えると、福島原発事故において東電の社長が辞任した位で、会長は居残り、政府も関係省庁も誰も責任を取っていない。原発に関しては安全検査が官僚の天下り利権と政治家の建設などの利権で甘くなったために起きた事故なのにである。現在は事故の原因より再生可能エネルギーに眼を向けさせて経済産業省にだけ責任を強いる世論誘導は許せないものである。福島原発事故は人災なのが分かって来たのだから、東電の経営陣に対する責任と今回の事故に対する政府の対応の責任を明確にして初めて再生可能エネルギーの問題の取り組むべきだ。日本人は今回の節電に対して無批判に受け入れているが、この様な考え方が戦前の無謀な戦争に突入させ、戦争に反対する者を糾弾したのである。政府や関係省庁及び東電が何等責任を取らないのに節電などに協力する必要がない。若し、節電しなくて大停電が起きたら政府の責任として内閣は辞職すべきであるし、関係省庁のトップ並びに東電の経営陣も停電に対して責任を取るべきである。国民が甘いからマスコミもインチキ書き放題だし、政府も役所も遣り放題だ。節電などに協力しない事が日本を良くする最大のチャンスだ。膨大な財政赤字にしても国民の要請で使った様な言い方で責任転嫁しようとしているが、役人の天下り先と政治家の利権でもって増加した大量の国債発行のために国民が負担する謂れがない。国に金がなければ役人を減らし、政治家を減らし、組織を縮小してから国民に負担を強いるべきだ。節電にしても電力が足りないから節電しろなどと国民に転嫁する遣り方が通用しない事を見せるべきだ。節電などする必要はない。大停電を起こさせて菅首相を退陣させろ。経済界で主流である破壊と創造を国政にも導入することが重要だ。国民が政府に従わない事が破壊に繫がる。壊す事を怖がっていては改革はできない。壊してもこれ以上悪くはならない。政治家と官僚の利権を崩壊させ、公益事業を新しい時代に改変させる事が重要だ。
日本人は昔から危機管理が欠如した国民ではないと考えるが、現代の日本人を見る限り多くの人は危機管理能力が低い様に思えて仕方がない。特に、エリート呼ばれる上級官僚や政治家に危機管理能力と迅速性が欠如していることは憂いることである。何故、現代日本人が危機意識が低下したかを検証してみると、国家の基本である国防に対する意識の欠如がもたらしたものではないかと推測する。この様に書くと国防の意識は多くの国民が持っていると反論されると思うが、国防の意識とは米国依存の国防体制を当然と考える国民の意識が緊張感と危機意識の欠如の原因になっている懸念である。確かに、日本は低い防衛費で経済大国になったが、その代わりに危機意識の欠如など失った代償は大きかったかもしれない。日本の多くの若者にとって戦争とは、自衛隊と米軍が行うもので、自らが戦争に行く事は全く想定外と思われる。このため、この事が尖閣諸島などの国境紛争エリアに対する日本の若者の強硬論となっている様に思えて仕方がない。隣国の韓国は徴兵制度を設けており、成人男子は一部の例外を除いて全員が2年間(?)の軍隊生活を送る。軍隊で教わる事は敵を殺す事と自分の命を守ることである。一瞬の判断ミスが命取りになる戦場では、危機管理能力が必要以上に高められる。グローバル経済になって韓国が強みを発揮してきた背景には、徴兵制度で危機管理意識や迅速性などを鍛えられた若者が企業で活躍しているからとも理解できる。日本も戦前の戦争体験を持った世代が、行政や政治家や企業の現役であった時代は、職場に危機管理意識を持ち、迅速性の体制が出来ていたと思われる。日本が現代の様に危機管理能力とスピード制に欠ける社会になったのは標題の国防の米国依存の他に17年前のバブル経済崩壊があると考えるがその事は何度かblogで書いたので、本題では他国依存の国防が如何に日本人の決断能力を喪失させているかを論考したい。現代の若者は国境問題などに関して意外と強硬論者が多い。確かに、自らが戦争に行くことがなければ、戦争が起きても怖くはない。人間の危機管理能力は生存するために培われた本能である。その本能が現代日本人に希薄であるとすれば、民族として生き残れる可能性が低くなると言う事である。米国に国防を依存したために、日本の教育現場でも理想主意が横行し、如何なる暴力行為も否定されてしまった。国際社会の現実は理想社会とは程遠く、弱肉強食である。それなのに、現代日本人は能天気に構えて外からの圧力でしか動かない国民気質を造り上げてしまった。東日本大震災や二次災害の福島原発事故などによる対応は正に危機管理能力とスピード感覚の欠如がもたらした最悪なものである。大震災後3ヶ月になって漸く動き出したのである。勿論、標題以外に情報化社会の現場軽視が危機管理意識の欠如を助長していることは確かである。この様な現代社会にあって一つの朗報もある。それは山ガールの存在である。現代の日本社会において女性の方が危機管理意識が強く残されている様に思える。この理由は子育てに対する本能にあると考える。なぜ山ガールの出現が期待できるかと言うと、登山こそ危機管理能力と迅速性、更には決断力が求められるスポーツだからである。山ガールが増加し、子供に対する教育に自然と登山で培われたリスク管理が継承されれば、米国に国防を依存した危機管理能力の欠如を補えると思うからである。
アップルコンピュータのジョブスの影響が大きいのかデザイン思考が前面に出てきた。物の売れない時代でもデザイン一つで成果を上げられると言うマインドが主流になり、日本でも積極的に採用され、成果を上げてきている。私自身もデザイン思考には賛成で、アレクサンダー・ゲルマンなどの作品には深い感銘を受ける。然し、世の中には当然ホンモノ以外にニセモノが出現するので、社会は混乱する。特に、ニセモノは強引な手法で営業を展開するので社会に浸透し、ニセモノのデザイン思考がホンモノと錯覚させるので厄介だ。確かに、ニセモノも時流に乗るので表面的には成功するのだが、問題は中味が伴わないので、多くのトラブルを引き起こす事になる。アレクサンダー・ゲルマンやアップルのジョブスなどは天才であり、その天才が只管に努力するので、中味もホンモノとなる。しかし、ニセモノは表面上の誤魔化しのために直ぐにボロが出るし、次第に馬脚を現す事になる。杉並区に30年以上築年数が経過した賃貸マンションをデザイナーズマンション紛いに改修工事し、オーナーにはサブリースを提案して成功したかの様に思わせた会社があった。この会社は入居率が低い賃貸マンションのオーナーに、デザイナーズマンションに改修工事を行わせ、未入居部分をサブリースして稼いでいる。この会社は若い未経験の設計士達を競わせ、奇抜なデザインで眼を惹く遣り方を採用しているが、奇抜なデザインは経験不足の怖い物知らずの面を持っている。杉並のデザイナーズマンションは、各階の廊下の照明をダウンライトにしたために、頻繁と電球が切れて苦情が起きている。玄関を東から北に変えたためにエントランスに風で木の葉などのゴミが集積されるようになった。更に、廊下や壁を紺色に変えたために汚れやすく、然も照明の効果が少なく、階段等が暗く歩きづらくなった。尤も、この会社は改修工事に際して入居者がいるにも拘わらず大騒音の工事を平気で行い、入居者の妊婦が流産してしまったのであった。この様な会社だから工事説明も行わず、クレームが起きてから工事会社が行うと言うお粗末さだ。この会社に関しては最初からマンション管理能力を危ぶんだが、最近では自転車置場に無断駐輪の撤去通知を出したのだが、従来の権利者などお構いなしの警告書であり、クレームには誠意のない対応で平然と間違いましただけで誤りもしない社員の姿勢には驚いた。この会社は大丈夫なのかと念のために信用調査のデーターを取り寄せたら案の定今年の決算が赤字だった。ここ数年で50億円の売上げの会社になったが、サブリース賃料の設定やニセモノのデザイナーズマンションで入居者にとって使いづらく、入居率が落ちているのではと思われた。デザイン思考重視が中味のないニセモノを生み出していることを考えると、一見成功しているように見えるこの種の会社はデフレ経済の申し子と言えそうだ。要注意である。