心地よいひと時

先週週末に大学の学窓5人と神田の居酒屋「旅籠屋次郎」で久し振りに飲んだ。今回の飲み会の友は今は消滅した協栄生命保険会社本社(現ジブラルタル生命)の夜警のバイト仲間でもある。学窓の構成は建築学科3名、電子工学科3名の6名である。偶然だが、建築学科3名は都立大、芸大、筑波大の各大学院に進んだのに対し、電子工学科の3名は卒業後就職した。今回の飲み会は筑波大学の大学院に進み、その後茨城県に会社を作って活動している伊藤君の呼びかけであった。この伊藤君の呼びかけによる通知が電子工学科の3人には誤解を与え、滑稽な飲み会の始まりとなった。電子工学科の3人は当然に店の予約は伊藤君が行なったものと考えて店でその予約を確認して部屋に案内されたのだが、私は一番最初に入ったためか予約人数の多さに疑問を感じて他のお客が来る前に退散し、携帯電話で連絡を取り伊藤君が待つ部屋に移った。然し、電子工学科の他の2人南雲君と工藤君は違和感を覚えながらも間違った部屋で見知らぬ人達と歓談し、その後に間違いに気付いて漸く合流したのであった。伊藤君の舌足らずの案内が誤解を生んだのだが、実際の予約者は建築学科の佐藤君だった。このため、佐藤君が連絡した建築学科の松岡君は間違いなく目的の部屋に入ったので恥をかかないで済んだのだが、それにしても間違った部屋で2人が歓談した飲み会は彼等に最初は違和感を与えなかったそうなので、何の集まりだったのかも妙に気になった。何はともあれ、今回の飲み会は最初から大笑いで始まったのである。尤も、工藤君の生家は岩手県大槌町であり、ご母堂が3月11日に津波で行方不明と言うことを聞いていたので、今回の飲み会に参加するのかどうか気になっていた。飲み会の時間が大分経過し、それぞれで話が分かれた時に工藤君に聞いた所、1ヵ月後の4月に遺体が確認出来たとの事であり、然も幸運にも荼毘に付される前であった事も聞いた。彼によれば、遺体は棺桶の中にビニール袋に入れられて保管されていたとの事で、ビニール袋に入れていたのは腐敗しない為に液体を使用していた為であるらしい。又、ご母堂の顔の表情は海水から顔を上げて息を吸うような苦しい姿と説明してくれた。彼は他に親戚でも数人亡くなくなっており、不意に訪れた不幸に多くの言葉はなかったが、寂しそうに田舎に帰る故郷(家)がなくなったとポツリと言った事が印象的であった。勿論、工藤君は飲み会においては悲しみなど微塵に見せずに明るく振舞っていたが、私としては入学後に知り合った最初の同級生であり、私の田舎に泊まりに来た事もある友なので世の中の不条理に改めて怒りを覚えた。なお、飲み会は懐かしい話で盛り上がり10時近くで開きとなったのだが、学生時代に夜警のバイトをした協栄生命本社ビルも今は建替えられてビジネスホテルになっている寂しさもあり、皆で神田駅周辺を暫し歩き回った後に分かれた。尤も、協栄生命のアルバイトでは私が一番短かったのだが、不思議な縁で解体前に一度訪れている。経済バブル崩壊で金融機関が倒産する中で、協栄生命も貯蓄型の保険を売っていた為に経営難となり、米国のプルデンシャル生命に売却された。プルデンシャル生命では社名をジブラルタル生命と変更しリストラを進めたのだが、そのジブラルタル生命の財務担当役員が私の友人の知人であった。このため、懐かしさもあって友人と一緒にその知人を訪問して25~26年振りに旧協栄生命本社ビルに入ったのである。学生時代には威厳があり綺麗であった役員フロアも、経年劣化と経営難でメンテナンスが不足していたためか、精彩を欠いていた。しかし、20代の社会人になる前に企業の表と裏の現実世界を見せてもらったのは勉強になった。勿論、その経験を生かした人生ではないが、久し振りに会った学窓との飲み会は心地よいひと時を与えてくれた。

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