尖閣諸島購入を巡る寄付金に対する疑問

石原都知事が尖閣諸島の購入を米国で宣言して以降、東京都には購入資金に対する寄付金が寄せられ、現時点で4億円に上るという。マスコミなどは領有権に対する日本政府の弱腰に対する国民の憤りが寄付金の形で現れたと言う報道をしている。しかし、私はこの俄か愛国心に対して全てがマスコミの報道する様な善意の寄付とは到底思われないのである。尖閣諸島は中国がどの様に主張しようが日本の領土であることは疑いもない。中国としても尖閣諸島の領有権を主張しているが、韓国の竹島占有の様な強引な手法を取ることは国際法上難しいのは確かである。今回の展開を冷静に分析しないと戦前に間違った方向に導かれた事の二の舞となる。先ず石原都知事が尖閣諸島の購入をこの時期に宣言した理由である。然も、米国において何故宣言したかであることを考える必要がある。石原と言えば、三男か四男か知らないが、選挙に落ちて浪人している息子がいる。先の都知事選の出馬や今回の新党に対する動きも全ては可愛い馬鹿息子の為といっても間違いはないだろう。その様な時期に尖閣諸島購入問題に言及したと言うことは、裏で何かの取引があったと考える必要がある。尖閣諸島問題はに日中間の大きな政治問題になっている。この問題に火をつけるのは日本と中国との政治的な関係以上に企業における経済的な関係に影響を及ぼすことは目に見えている。敢えてその様な問題提議を地方政治家である石原が行うことは国家に対する越権行為である。先ず、この様な問題を分析する時に必要なのはマスコミの動きである。日本のマスコミは間違いなく米国の情報戦略に組み込まれているので、石原都知事の尖閣諸島購入に対してどの様な報道姿勢かで判断できる部分もある。面白いのは尖閣諸島購入宣言に端を発した寄付金である。いち早く取り上げて報道するところを見ると、石原都知事の発言には外国勢力が絡んでいると分かる。東京都に要請したいのは、奇特な寄付者の氏名公表を是非行って欲しいことである。国際謀略に石原都知事が加担していなければ公表できるし、逆に寄付金が疑わしくないと分かれば、今の時代に身銭を切ってまで愛国心を持っている人達に敬意を表したい。日中間で紛争が起きれば得をするのは日本人ではない。外国勢力である。中国の経済に奥深く進出し他国の追従を許さないほど先行利権を有している日本を外国勢力が黙ってみている訳がない。民主党の前原誠司が起こした尖閣諸島における中国漁船の拿捕も京大の米国シンパの流れを汲む事件である。日本人は明治維新の時には優れた人達が国際謀略を乗り越えて国を守ってきたが、大正、昭和と変わり、島国の悪い面が出て国際謀略に弱くなった。況して戦後の平成の時代では、外国勢力に利用される国賊紛いの政治家や官僚、そして学者で溢れている。勿論、日本国民を無防備にしてコントロールしているのは米国だが、それに一役買っているのは電通など広告会社とマスメディアだ。最近の動きとして日本における中国シンパに対する攻撃が激しくなってきていることから、欧米諸国は中国に対して人権問題で揺さぶる計画であり、それに日本を尖兵として遣う考えと推測できる。尤も、フランスではサルコジに変わり社会党の大統領が出現したので中国に対する欧米の中国に対する足並みが揃うかどうか不明だ。何れにしても、東京都は尖閣諸島購入に対する寄付金の氏名を公表し、外国勢力の謀略に乗じていない事を証明すべきだ。

過去を語ることの大切さ

私は戦前生まれでないので残念ながら戦前戦中の事は経験していないので経験談として話す事は出来ない。勿論、戦後の事も少なくても1965年以降でないと記憶に残っていないので語れない。人の記憶も年月が経過すると塗り替えられて"虚偽の記憶"が形成されるとの事なので、その事を理解して過去については語るべきと思われる。なお、経験しない時代の記憶でも親などからの情報で記憶されることになるので、先の虚偽の記憶を踏まえても書籍の情報よりは確かな過去の記憶をを入手していると言える。私が過去を語るときは少なくても書籍を通して得た知識ではなく、私自身の経験や身近な人達から聞いた事実を通してである。尤も、身近な人達からの過去の経験だけでは世界観が狭くなるので、ドキュメンタリーの本や過去を記した資料なども渉猟して過去を広げてはいる。しかし、責任をもって言えるのは少なくても私自身の記憶と経験した本人から聞いた記憶と言える。何故、過去を語る事に拘るのかと言えば、最近は余りにも過去の出来事が歪められて伝えられてきている怖さを感じるからである。終戦後に20歳であった人達も今や87歳である。一方で平成生まれの人達は23歳になるのである。過去を語る事は後世の世代が同じ過ちを繰り返さないことに繋がるので大事な事と考える。特に、最近は明治維新に習って改革を推し進めようとする人達が多いが、その人達の歴史認識や当時功績のあった歴史的な人物に対して学んだ形跡が少ないと感じるのは私一人であろうか。維新や改革の言葉は今や安売りの商品の如くチープなものに成り果てている。情報が氾濫する時代にあって偽の情報に惑わされずに知見を育てるのは難しい時代になった。しかも、議論のすり替えの類の情報で溢れている。この様な時代には、それぞれが過去を語る事が重要であり、真実を見極めるのに役に立つからである。地位の高い人や有名人が語ると真実と錯覚する間違いを指摘するにも役立つからである。

 

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