過去を語ることの大切さ

私は戦前生まれでないので残念ながら戦前戦中の事は経験していないので経験談として話す事は出来ない。勿論、戦後の事も少なくても1965年以降でないと記憶に残っていないので語れない。人の記憶も年月が経過すると塗り替えられて"虚偽の記憶"が形成されるとの事なので、その事を理解して過去については語るべきと思われる。なお、経験しない時代の記憶でも親などからの情報で記憶されることになるので、先の虚偽の記憶を踏まえても書籍の情報よりは確かな過去の記憶をを入手していると言える。私が過去を語るときは少なくても書籍を通して得た知識ではなく、私自身の経験や身近な人達から聞いた事実を通してである。尤も、身近な人達からの過去の経験だけでは世界観が狭くなるので、ドキュメンタリーの本や過去を記した資料なども渉猟して過去を広げてはいる。しかし、責任をもって言えるのは少なくても私自身の記憶と経験した本人から聞いた記憶と言える。何故、過去を語る事に拘るのかと言えば、最近は余りにも過去の出来事が歪められて伝えられてきている怖さを感じるからである。終戦後に20歳であった人達も今や87歳である。一方で平成生まれの人達は23歳になるのである。過去を語る事は後世の世代が同じ過ちを繰り返さないことに繋がるので大事な事と考える。特に、最近は明治維新に習って改革を推し進めようとする人達が多いが、その人達の歴史認識や当時功績のあった歴史的な人物に対して学んだ形跡が少ないと感じるのは私一人であろうか。維新や改革の言葉は今や安売りの商品の如くチープなものに成り果てている。情報が氾濫する時代にあって偽の情報に惑わされずに知見を育てるのは難しい時代になった。しかも、議論のすり替えの類の情報で溢れている。この様な時代には、それぞれが過去を語る事が重要であり、真実を見極めるのに役に立つからである。地位の高い人や有名人が語ると真実と錯覚する間違いを指摘するにも役立つからである。

 

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