経済が良くならないワケ

世界中の先進国では経済成長率による国家経営を考えているが、多くは計画通りに行かずに政権交代の繰り返しである。何処の国でも新たな政権が発足すると、景気刺激策を打ち出し、経済成長による国民の所得向上を約束する。この為に、政権は学者・経済評論家以外に企業経営者をブレーンやアドバイザーに就任させて経済対策を模索する。確かに、何十年か前は成功したモデルではあるが、昨今は成功していない。マスメディアや経済対策に参加した企業経営者は一様に役所の既得権の壁が厚く、更なる規制緩和をしなければ経済を成長させることは難しいと喧伝する。その議論は一面的に見ると正しいので、国民の多くが既得権と言う利権に対し憤りを持つことになる。

この様に書くとお前は既得権を擁護するのかと反論が出ると思うが、グローバル経済になった現在において企業経営者を政府の経済対策のアドバイザーに相応しいのかと言う議論がなされていないのに憂慮するからである。その理由としては、政治はローカルなのはご存知の通りだが、大企業はグロール経済では正にグローバルなのである。上場企業は多くの国の投資家や会社を株主としており、然も株主に対する高い配当を実現するために効率経営や資本回転率が求められれているので、ローカルな政治など考えていないのである。その様な企業経営者に経済対策のアドバイスを受ければ企業にとってはプラスになるが、国家と国民にとっては必ずしも良い結果を生むとは限らない点を理解していないことだ。

ひとつの実例としては、非正規雇用者の増加の問題だ。輸出企業は為替変動による需給バランスと国内に工場を残すためには、非正規労働者が必要と政府に求めたのである。しかし、輸出企業は過去の様に多額の内部留保金が生じても正規雇用を拡大する訳でもなく、国内に投資する訳でもなくなっている。多くの企業経営者は、国内に魅力的な投資案件がないからだと言ってるが、グローバル経済となり開かれた市場では人件費や物価が安い所に移動するので、人件費や生活の維持に費用が掛る日本では、投資する場所ではなくなっている事実だ。特に、グローバル経済となり世界共通語として英語が一般的になっている現代では、日本は不利な経済環境にある。安倍政権は法人税を引き下げて海外企業の進出や企業の投資拡大を期待しているが、グローバル経済では税収不足に追い打ちを掛ける愚策だ。企業経営者やグローバル経済を評価する学者や評論家の意見を聞いていたのでは経済政策は上手くゆくわけがない。今や政府と企業は利益相反の関係になってきている。勿論、国家は国民を雇用し、税金を支払ってくれる企業の存在なくして成立しないのは事実なので、企業を無視しろと言うことではない。グローバル経済では企業経営者は過去の様に国家感を持った経営者などいないと言う現実を見る必要があると言たいのである。正に、非正規雇用者などは企業にとっては利益を生み出す存在だが、国家を考えたら結婚も出来ない低所得者層を大量に生み出し、高齢化社会と相まって衰退させる原因になっているからだ。

この為、新しい時代における国の在り方を考えると、今の規模の国家が必要かに突き当たる。スコットランドが英国から独立する住民投票が行われるのもその流れである。明治維新が起きた理由はひとつである。藩単位では外国の侵略者に対抗できないと分かったので、日本と言う国家が必要になったのである。しかし、グローバル経済になり、EUの出現は国家単独の防衛ではなく集団自衛権に向かう事になり、国家の大きさは必要なくなってきた。国防の観点から国力が問われた時代と現代は大きく様変わりしている。逆に、国防の為に犠牲を強いられてきた地域格差の問題が集団自衛権に移行する過程でクローズアップされる可能性が出てきた。情報化の時代には世界が狭くなり、大きな国家の存在は邪魔になってきた。特に、日本の様な細長い国は国防の観点がなくなれば、国家でいる必要がなくなるのである。尤も、現在は中国や韓国が国家を維持する為に国民を反日に煽っているが、日本もお蔭で国が壊れないでいるだ。日本経済を良くするには、再度、国家のあり方を変えが得る必要があり、それには企業経営者のアドバイスは不要だし害になる。中央官庁は東京都や大阪府を直轄とし、地方の県は自治権を拡大し、江戸時代の藩に近い独立した存在が機能的には情報化には相応しいと考えられる。

 

設計施工発注方式の問題点

建築会社に設計施工で発注することが主流になった理由には幾つかあるが、大きく流れが変わったのは1998年(平成10年)の建築基準法改正からと思われる。この時の改正で建築審査の民間委託が決められ、確認申請時の資料が簡素化された。この改正は建築審査のスピード化で景気回復を狙ったものと思われるが、拙速極まりない民営化であった為に構造偽造事件が起きて建築に対する不信感を招くことになった。事件が起きた背景は一般には容易に理解できない事であったので、事件以降は小規模な設計事務所にとっては非常に不利な結果となった。然も、この事件が設計施工の発注を増加させたと思われてならない。

この様に書くと設計施工の発注で何が悪いと反論が出ると思うが、例えて言えば設計施工とは、"泥棒に鍵を渡して家を守らせる"と同じであるからだ。勿論、発注者側に建築の専門家がいて施工監理できる体制があれば設計施工でも問題はない。問題なのは、工事を監理するのは設計をした設計会社であるが、設計施工は造る側とチェックする側が同一なので、現実的にはチェック機能が働くなるリスクが内在していることだ。スーパーゼネコンなどは、施工の品質を守る為に社内検査を実施しているのだが、工事進行中のチェックは行っているケースは少ないので、設計施工を分離する程厳格ではない。

最近の事例では、一つは工期の遅れに対してチェック機能が働かずに青田売りの契約で買主からペナルティが課せられた問題だ。勿論、発注者の体制にも欠点があることは確かなので、余計に発注者側では設計と施工を分離することが重要となる。もう一つは設計会社を選んでおきながら設計施工で発注し、わざわざ建築会社の下に入れた事例だ。小規模設計事務所の悲哀だが、耐震偽造事件の影響で設計事務所がミスを犯した場合の責任能力が問われたケースと言える。私から言えば、構造偽造事件は意図的な犯罪であり、設計ミスではない。PCが普及する前の手計算時代なら兎も角、現在のPC普及の時代には計算ミスは考えられない。過去には小規模の設計事務所では構造計算を大手の構造設計事務所に依頼するなど建物規模によって発注者の信頼を得る方法を採用していた。しかし、現在は先ずはコストありきなので、大手構造設計事務所に外注することが厳しくなっているのも確かだ。設計施工の発注も始まりはと言えば、建築工事費を安く抑える為なので、今では大手デベロッパーも設計施工の発注が多い。

設計施工費が安くなるのは設計計画の費用が工事費の中に含まれている為に安くなるのであり、建築会社の殆どは設計を外注にしているのが実情だ。この為、本来ならば設計など工事費と比較して金額的にはプロジェクト経費の中では小さいので、もう少し設計費に予算を付けて設計会社に工事費の積算を行わせた方が工事費が安く付くと思われる。建築確認申請の民営化で建築確認資料が簡素化された時には必要最低限を設計事務所に委託し、その後は建築会社に設計の不足部分を遣らせる変則的な設計施工が見受けられた。日本人は右倣え国民なので、直ぐに業界全体の方式となった。愚かな選択と言えよう。逆に、今では構造偽造事件が起きたので、設計の資格の強化や建築確認資料の必要以上の提出が2004年(平成18年)から始まったので、設計事務所にとっては費用が増すことになり、設計施工の発注方式に費用的に対抗できなくなった。改悪の典型的な事例だ。

建築業界は手書き設計からCADに移り、今では立体化設計のBIMに移行してきている。設計施工現場では別な次元での間違いが発せいし、完成まじかのマンションの解体なども起きている。その他にも、大手デベロッパーが分譲したマンションでも工事上の欠陥が見つかり、購入者とデベロッパーと建築業者との間で裁判事件まで起きている。信頼関係がなくなった現代において何が必要かが問われる時代にあっては、再度原点に戻り、足元を見直すことが重要と考えられる。30年前には考えられない技術により考え方が変わってきたが、それと比例して物づくりの現場やメンテナンス現場は多くのリスクを抱えているかのように見える。データー主義が効率とコスト削減をもたらしたが、データ解析が万能薬ではないことに気付くべきだ。特に、物づくりの現場では、多くの視点に曝してこそミスが防げる。

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