「消えたヤルタ密約緊急電」を読み終えて

ヤルタ.jpg 日本のエリートと言われる人達が国民にとって信頼できない存在だと言う事実を突き付けられた本だ。書かれているのは戦前の出来事だが、著者は東日本大震災時の二次被害となった福島原子力発電所の事故対策にも相似した現象を見て相も変わらない日本人のインテリジェンス欠如を憂いている。否、日本人にも外国のインテリジェンス・オフィサーに負けない人材がいたのだが、日本の危機的状況時に指導者として地位にいる人達が臨機応変に対応できないと言う現実だ。確かに、福島原子力発電所の事故は人災と言われるほど思い込みで対処した結果がメルトダウンを引き起こし、今でも故郷に帰れない多くの人達を作った。その反省も誰も責任も取らないないままで原子力発電所を再稼働させる日本人は馬鹿と言っても良い民族と世界から嘲笑される存在だ。知人の会計コンサルタントがフランス人に日本人は哲学を知らない国民だから原発など持つべきではないと言う屈辱的な言葉を吐かれたと言っていた。

掲題の本では正に的確な情報を入手しているにも拘わらず不都合な真実ゆえに葬り去られた結果、太平洋戦争で防げたかもしれない沖縄戦以降の無謀な戦いと被害を拡大したと指摘している。本の中で「ヤルタ密約緊急電」を握りつぶしたと推測された元大日本帝国陸軍大本営参謀であった瀬島龍三のことが取り上げられている。瀬島龍三は陸軍大学をトップで卒業した軍刀組の一握りのエリートだった。このエリートは戦後ソ連に10年以上抑留されて帰国した為に山崎豊子の小説「不毛地帯」のモデルと言われて戦後英雄視された。伊藤忠商事で出世を遂げて財界人の仲間入りをし、政府の委員会の要職も歴任している。瀬島龍三の実像は抑留時代にソ連のスパイとして教育されたエリート軍人の一人であったのは今では承知の事実だ。その様な人物が戦後の日本で政府の要職に就いていたのだから山崎豊子に「不毛地帯」の題材を与えたのもソ連の協力者だった可能性も推測できる。ソ連は大物スパイとして瀬島龍三を育てて日本に送り込んだのに日本人は能天気に何らの疑いもせずに瀬島を英雄視して政府の秘密にまで近づける存在にした。中曽根康弘元首相はその一人だ。

翻って、今の日本を見ると本で指摘している日本人エリート層の欠陥を倍増している安倍お友達内閣と人事で動かされている官僚の姿を見ると国家に生命財産を預ける状態にはないと思われる。特に、安倍内閣に呼応して突っ走る日銀の姿を戦前の大本営発表と二重写しに見えるのは私だけではないと思いたい。戦後70年を経て日本人のエリート層が間違った選択を只管変えないで国民を奈落の底に引きずり降ろそうとする図は見たくないものである。特に、戦前の軍人達が国家社会主義に憧れを抱いたことがソ連と言う信頼できない国家を盲信し和平交渉を委ねた訳だが、現在は新自由主義と言うグローバル経済主義を信奉する経済産業省の官僚が似たような盲信する姿を見ると慄然とする。掲題書は正に憂国の本であり、是非一読をお勧めしたい。

政治家も官僚も企業家になった弊害③

今回のブログを読んだ方はタイトルとの整合性が取れてなく、話が飛んで分からないと指摘されそうだが、私のブログは毎度同様なのでご容赦願いたい。タイトルに関して結論的に言えば、経済が良くなければ国家の税収は増えず失業者が増えて政府や官僚が非難されるので経済に注力するのは当然だが、問題は企業家の発想で経済の再生を進めることが間違いだと指摘したいのである。日本は経済大国になって久しいのに、企業の経済活動に対して干渉しすぎる点である。最近は労働に関しても必要以上に干渉し、残業時間を少なくすれば余った時間を余暇に使い消費に繋がると言った馬鹿な政策を実施している。尤も、今回の時短に関しては、政策の本音が残業時間を少なくして余った時間を余所の会社で働いて労働力不足を補わせると共に増えない給与を補填させると言った穿った見方もしたくなる。更に、インバウンド推進の為に飲食店の全面禁煙を打ち出しているが、この政策など喫煙による罹患率を下げて医療費を低減させることも狙いとしてあり、一石二鳥どころか、一石三鳥を考えているのではないかと疑ってしまう。最近の官僚は姑息なことを考えて折角のアイデアも元の木阿弥にしてしまうことも度々見受けられる。

何れにしても政治家や官僚は企業家になるのではなく、企業活動にプラスになる税法の改正や新設、企業活動の自由を阻害する規制の撤廃、国土保全と食糧の自給率の確保、国民の生活・安全の追求など正に政治の役割を行う事だ。農林水産業が国土保全の役割を果たしていることを省みない輸出重視の政策など企業家の考えだ。九州の北部で起きた水害は正に農林の衰退による山林の脆弱さから起きている事を懸念した政治家や官僚は居るのかと言いたい。日本国土は平野が少なく大部分は急峻な地形に囲まれている。自然はその様な国土を維持するために雑木林で構成されていた。しかし、住宅政策もあり、山は成長が早い杉などが植林されて多くの雑木林を失った。それでも農林業が盛んであれば山林の手入れがなされて台風や集中豪雨などに耐えうるのであるが、昨今は営林署もなくなり、動物も生息できなくなるような荒れた山林になってしまった。その結果が山の脆弱さが露呈し、今回の様な水害被害となっている。農地も同様だ。農地があるからこそ多くの生物が生息し、自然再生のサイクルが維持されて来ているのである。農林水産業は単に国民に食糧を供給しているだけでなく、国土の保全を維持しているのである。その事を省みないで今後も優位に立てるかどうか分からない自動車の輸出の為に国土保全を捨てる政策を推進しているのである。企業家なら分かるが政治家や官僚が考えることではない。

新規に農業に参入した企業が植物工場は既存農家の様な固定資産税などで優遇されていないので不公平だと優遇税制の撤廃を求めている。先ほどの国土保全の役割を担っている農林業を分からなければ不公平に腹が立つ人も多いと思われる。しかし、国土保全の役割を行っていると言う付加価値を認めれば、その付加価値を持たない植物工場に対して優遇税制を施す意味がないことに気が付く筈だ。しかし、昨今の政治家は農業の効率化と言った話題にしか考えが及ばず間違った議論を進めている。私は農村に育ち父が県の農業委員の要職に就いていたこともあり、農業に関しては子供の頃から問題点を熟知している。農林水産業は労働集約産業であり、人手不足を機械化によって克服してきても自然や販売など多くの難しい問題を抱えているのが実情だ。然も、工業立国として農林水産業を鬼っ子扱いされてきた歴史がある。日本の国土は米国とは異なることを考慮して農業を考えないと取り返しがつかい事になる。政治家も官僚も企業家になりたいなら早く転職すべきだ。真の政治家と官僚が出現しなければ日本の再生は実現しない。

 

 

政治家も官僚も企業家になった弊害②

行政に効率は必要ないとは何事かと言われそうだが、行政に必要なのは効率と言う一言ではなく、「業務のスピード化」と「無駄を省く」と言うことだ。しかし、この様に書くとそれが効率だと反論が出ると思うので付け加えると、本来の意味の効率とは「機械が有効に働いてなした仕事量とそれに供給したエネルギーの比率」のことであり、コストパフォーマンスを指している。これに対して、私が指摘する行政の問題は能率と言った方が分かりやすい。勿論、能率だけでなく、無駄を省くと言う視点が大事だ。尤も、無駄を省くと言うと、直ぐに公共事業の縮小や補助金打ち切り、更には平等の大義名分により弱者切り捨てと誤解されるが、日本文化を再認識すれば、「無駄を省く」という事が理解できる。日本の建築美と言われる「桂離宮」然り、日本語の俳句然り、必要最低限で機能させることである。

日本の行政でも見習う企業はある。メーカーではなくサービス業の星野リゾートだ。行政はある意味ではサービス産業である。その様な意味では、星野リゾートの考え方を見習う必要があるが、日本の場合は工業立国の意識が抜けないので、政治家も官僚もメーカーに範を求めてしまう。勿論、メーカーにも参考になる点はあるのだが、行政の人の使い方を星野リゾートを参考にしろと言いたい。理由は、行政は予算編成を中心に人員を無駄に配置しているからだ。また、ピークの仕事に合わせて人員を配置しているからだ。星野リゾートの業界も過っては行政と同じような無駄な人員配置を行っていた。否、未だ旧態依然のやり方で行っている旅館等も多いと思われる。勿論、民間の旅館業は行政と同じでは潰れるので、パートやアルバイトなど低賃金の雇用者と正社員を組み合わせているのであはるが。なお、行政も事務職の女性はアルバイトで業務の多忙部分を補っているので、似た側面はあるのは否定しない。

では何を行政は参考にするかと言うと、星のリゾートは誰もがどの職分の仕事も出来るようにし、人の無駄を無くし、会社に責任を持つ全員の正社員化を図ったことである。この様な組織運営を行えなえるのは労働組合が存在しないので出来ることを承知の上で指摘するのである。1000兆円の赤字国債、地方債を含めると1250兆円を超える負債を行政が抱えているのである。行政はメーカーの様に業績不振に陥って人員整理や選択と集中の様に将来性がない部門を売却して資金を得て将来の事業の再構築などは出来ないからである。省庁を超えた人の異動は現在でも行っているが、それは「無駄を省く」ことを前提としたものではなく、省庁間の交流位の役割しか果たしていない。

一方で、行政は民活を旗印に民間委託を進めているが、民間委託の実態は利益を民間企業に与えてインフラの負担は税金で行うモデルから出ていない。この様なことを続けていると更に赤字が増大することになる。勿論、過去に比べると政治家がダメになったが、官僚は危機感を持って模索しているのは否定しないものの、如何せん参考にしているのは欧米の物真似ばかりであり、日本の足下に目を向けて知恵を出していない。

<続く>

国会議員も官僚も企業家になった弊害①

現代社会は過去に経験したことがない時代に入った。テクノロジーの進歩は革命的な社会変化を遂げるが、テクノロジーの進化のスピードに人の脳は付いてゆけるのか気になる所だ。もう一つの気になる点は政治と経済がイコールで結ばれて、今や政治家も官僚も経済だけしか考えない風潮になった事だ。経済と言う言葉は、「経世済民」から取ったので民を救うのは経済だけと思い込むのは仕方がないが、政治は政事を治めるのであり、経済中心の考え方とは異なる。豊な社会になって心に飢餓感が生じるのは何故かを問う必要があるのに答えがないことに社会が苛立っている様に思える。

勿論、満足に食事を摂れない社会では、豊かになることが先決であり、何事にも経済が優先されることは否定しないが、少子高齢化社会を迎え、グローバル経済で格差社会となり、国家が予測していなかった問題に直面して国の仕組み自体に問題が生じ始めてきた日本に関しては、従来の様な欧米追従主義で乗り切れる様な安易な状況ではないことは確かだ。しかし、政治家も官僚も答えは経済成長一辺倒で、解決策には新自由主義と言われる関税をフラットにすることしか考えられないでいる。

標題に書いた国会議員も官僚も企業家になった弊害とは、企業とは収益を求めて最大限の価値を創造するために効率を考え、場合によっては選択と集中により事業の再編成を断行するのが事業資本を投資してくれた資本家に対する責任だが、同様に国家を企業の様に効率的に運用すれば少子高齢化社会やグローバル経済とそれにより発生した格差社会などで生じた問題などを解決できて国民に対して責任を果たせるかと言えば不可能だ。何が論理的に間違っているかと言えば、国家は企業が労働者や下請け企業を経済状況によって切り捨てる様には国民を切り捨てる訳には行かないと言う単純な事だ。

日本が今日の迷路に入った分岐点は日本が変わると思った小泉政権からだという事だ。小泉内閣は郵政民営化を旗印に構造改革と称して規制緩和を行ったとされているが、小泉改革と歩調を合わせるように日本のベンチャーキャピタル投資が横ばいから減少してきている事実だ。確かに規制緩和は行われてきているが、規制緩和の実態は政府がお荷物になっている部分の規制緩和であり、国民が行ってほしい規制緩和とは程遠いのが真実だからだ。何故その様な事が起きたのかは、先ほど述べたように政治家も官僚も企業家になったからである。

話は変わるが、金融庁が地方銀行の再編成を進めているのを見るにつけ過っての都市銀行のメガバンクに誘導する政策を想起するが、メガバンクにする理由は世界の金融自由化の波に日本の都市銀行規模では生き残ることが難しいなど言われたが、この考え方は金融機関の役割を度外視した考え方であった。メガバンクになって都市銀行が減少した為に企業の資金の借入先が減少し、企業にとってはマイナスになったことだ。この様に書くと、地銀や第二地銀や多くの金融機関があると指摘されると思うが、再編成前の都市銀行は企業を育てる使命感の様なものが存在していた。一方の地銀などは収益を稼ぐ事しか念頭になかったと記憶している。様々な都市銀行が色々な視点から企業を評価してくれたことが日本経済にもプラスに働いていたと思われる。現在、金融庁が進めている地銀や第二地銀の再編成もメガバンクと時と同様に借り手企業のことや再編後の競争欠如を度外視した一方通行の政策で部分最適の考え方だ。

<続く>

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