将棋の世界に関しては新聞に書かれた記事以外には知識を持っていないが、可合隼雄の「不思議な出会い」と言う本を読んでいたら将棋に関することが書かれた一節があり、その中で29才で亡くなった天才棋士「村山聖」に言及した部分があった。病気と闘いながら将棋界最高のA級に入り、名人位の獲得を夢見ながらこの世を去った彼について書かれた「聖の青春」の記載もあったので、直ぐにKindleで購入して読んだ。幼児時の発熱で長生きできない病に罹り、死ぬまで病気との戦いでしたが、療養病院に付設する学校で将棋と出会い、若くして名人位を獲得した谷川を倒すことを決意し一心不乱に将棋に打ち込む姿は壮絶の一言でした。療養病院で周りの死と背中合わせの環境で病気に打ち勝つには何かを目標にしなければ精神的に耐えられなかったのだと思われた。それにしても直ぐに高熱が出て苦しむ繰り返しの中で、将棋に打ち込む集中力は何処から来たのかと思ってしまう。以前に住まいの近くの居酒屋で反対側の席に若い将棋指しの者を接待していた人がいて話しているのが聞こえたが、その若い将棋指しの人が将棋指しは先入観の固まりと言ったことが記憶に残った。将棋は何手も先を読んで戦うゲームと思われますが、一定レベルになると先を読むことは同様なのでミスをした方が負けると思われます。ミスは往々にして先入観が起こすのかもしれません。上記の本の中で同時代の天使棋士、羽生と闘って敗れた時に羽生は別な海を見ているので、自分も同じ海を見なければ勝てないと言葉が印象的でした。村山はその後は7冠を制した天才棋士の羽生との勝負には勝ち続けます。しかし、羽生が出現してから後退したその前の若き天才谷川に対しては何度挑戦居ても勝てない状況が続きました。谷川は早打ちの名人と言われたそうですが、羽生の時の違って谷川に勝てないことに言及した言葉はありません。この為、推測ですが、同じ土俵に立っているのだが、何故か勝てないのかと自問自答していたのではないかと思われます。勝負やゲームには人知が及ばない要因がありますので一概には言えませんが、目標だった谷川に勝ってしまうことが無意識に恐れた結果かもしれません。29才で名人位目前にして夭折した天才棋士「村山聖」は広島県の人でした。広島県の人は無口な人が多く、言わないでも分かるだろうの文化があります。私の茨城県とは真逆な文化です。言葉を発しないで耐えるのは並大抵のことではありません。村山棋士はがんで命を失ったのですが、治療中に痛くても痛み止めを拒否したと書かれていました。子供の頃から高熱に耐えて生きてきた精神力が成せることとは言え、痛み止めを打つことは病気に負けることと考えて痛みに耐えた姿は正に勝負師です。私は今保育事業に関わっていますが、幼児の障害比率が高まっています。皆と同質出ない自分を見つめながら生きる辛さは可哀想と思います。しかし、生きがいを与えることで人生に転機が訪れることは間違いないことですので、社会で活躍出来る才能を引き出して遣る大切さを実感しました。
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