東京都の都知事選挙で前広島県安芸高田市市長の石丸伸二氏が予想外の2位になり耳目を集めているが、同時期に石丸氏が辞職して行われた安芸高田市長選挙も行われ、石丸氏の後継候補が敗れた。石丸氏の安芸高田市長時代の市議会との一方的な対立を見る限り、間違っても都知事にならせる人でなかった人物であることが分かる。自治体の長になり首長として選挙民の為になる人物とは如何なる者かが偶然に仕事の関係で訪れた茨城県猿島郡境町でお会いした人物で知ることになった。その人物とは境町町長の橋本正裕氏である。橋本町長は大学卒業後に市職員として働き、更に市議会議員として活躍し、その後に町長になった人だ。35才に町議会議長になり、全国最年少の市町村議会議長であった。実は私の父親は50年以上前になるが39歳で村議会議長になり、全国市町村議会の最年少議長であったので、それより4歳以上も若くして議長になったのは出色と思われる。議長職は政治家として有能なのは当然だが、一般的には当選回数を重ねた長老議員が就くものだ。父も当選2回の任期中に議長になったので、当時としては際立って若く、他の議長は父の親世代が多かったことを聞いた記憶がある。父の話だと議長仲間は殆んどが市町村長、県議会議員、国会議員になったそうだ。父は保守的な茨城県で敢えて革新の道を歩み、選挙民にお願いしますとは言わない政治家であったので、県議会議員の選挙で敗れてからは若くして政治を引退した。父は母に対し自分の金を使って選挙し、地域を良くするのに何で頭を下げるんだと怒鳴っていた。母はからすれば頭を下げれば票が入るのにと思っていたのだが、父は頑として母の言葉を受け入れなかった。子供の時には私も母の考えと同じだったが、父の年齢以上の年となった今では父のことを理解できる。話が横に逸れてしまったが、境町の橋本町長は町役場の職員を味方につけ、市議会も多数の支持者を持ち、更に有権者にも賛同を得て町の為に政策の実現を図っている。橋本町長の祖父が境町の町長に就いているので、町の発展を実現する政策を可能にする術を幼児の頃から学んでいるのかもしれない。それに比べて石丸氏は良い政策を打ち出せば簡単に賛同を得られると勘違いしている様だ。社会はそれほど単純ではないので、自分の思いを実現するには多くの人から賛同を得る必要がある。独りよがりではダメなのは私も自分の父から学んでいる。境町を視察して鉄道の駅を持たないのに平成の合併に加わらずに独自の政策で町を発展させている橋本町長を見ると明治維新を遂げて日本を近代国家にした人達と二重写しになる。我が故郷の茨城県にこの様な人物がいたかと感嘆した。なお、視察の同伴した会社の社外取締役の方に橋本町長が町長選挙で無投票にならないのが不思議と言ったら茨城県人だからだろうと答えた。この方は静岡県のご出身だが、茨城県人の気質を良く知っていると苦笑した。