羅針盤を失った日本社会?
日本と言う国家は創設以降、海外の知識を吸収して障害を乗り越えてきた。特に近代以降の明治維新後はそれが顕著であったと思う。総ての答えを先進国に求め続けてきたのである。第二次世界大戦後は、米国を追従すれば全て解決してきたので、政治家も官僚も独創的な考えの持ち主は排除され、親米一辺倒の人達が主導権を握ってきた。この現象は何も国家だけでなく企業も同様であった。総ての行動規範のルーツを先進国に求め、日本文化の尊重は二の次であった。勿論、庶民のレベルでは日本と言う個性は残り続けてきたが、バブル経済崩壊後それに続く金融資本主義のグローバル経済の導入によって庶民レベルの規範さえ失ってしまった。政治家も官僚も大企業の経営者も今回の様な世界的な金融混乱に対して羅針盤を失ったかの様に翻弄され続けている。日本の未来を米国に依存しすぎた弊害が出てきた。この事は、40年以上前にインドのパール判事が警告していた。未来に対する全ての答えは過去にあると言う言葉がある。頭だけが良くて地位を得た似非エリートの作った社会が日本及び日本人を駄目にした。庶民レベルから日本と言う国を改めて造り上げる時代が到来したと考える。先ず、自分の生まれ育った所や今生活している地域を大切にし、且つそこに住んでいる人々に優しさを持つことから始めれば良いと思う、それが大きなウェーブになって日本全体が暮らしやすい場所になるのである。年金を多く貰う事ばかり考えるのではなく、年金が少なくても過ごせる社会を目指すことが重要な事に気づくべきである。