金融危機後の世界経済
日本の新聞は米国の景気が相当悪くなっているかの様に書いているが、多くの州で未だ不況感はない。不動産価格にしてもサブプライム問題で住宅地は下がっているが、ホテルやオフィスビルなどは大きく値下がりしている訳ではない。日本のバブル経済崩壊時を思い出せば分かるが、受注残を抱えているので2年間位は大幅な不況には陥らないのが現実である。問題は、その間に資産デフレが生じないように経済対策を打ち出させるかどうかで決まる。ご存知の通り、日本では最悪のシナリオであったために資産デフレの罠に陥って失われた10年となったのである。今回の金融危機で問題なのは米国より欧州であろう。通貨統合のために自国通貨の切り下げによる景気対策が打ち出せないので、金融に対する資本注入後の対策が見えてこない。米国の場合、サブプライム問題による住宅地の価格が大幅に下がって消費の減少による景気後退は避けられないが、今回の金融危機で分かった事は、欧州は張子の虎であり、米国が世界経済の中心である事に変わりがないということである。今回の金融危機で世界中で多額の投資資金が損失した様な報道をマスコミが行っているが、この損失は飽くまでペーパー上の損失で、投資家の投資資金の多くは債券市場や現金化されて避難しているのである。世界中に過剰にばら撒かれたドル紙幣が減った訳ではないのである。ドルの過剰流動性が消失したわけではないので、今回の金融危機後の世界経済の回復は現在評論されている様な悲観的なものではないと考えられる。尤も、今回の金融危機を招いたのはリスクを避ける保証商品のリスク管理が杜撰であったことにあるので、当然に金融商品に対する新たな枠組みの構築が必要であり、その成果を見届ける必要はある。また、欧州がECの拡大と通貨統合で自信を深めて米国離れが進んでいた時に起きた金融危機は、ユーロー通貨の暴落を招いているが、この通貨暴落は欧州の今後の景気回復にどの様に影響するのか見守る必要がある。日本は円高傾向にあるが、この円高については輸出の減少と言う側面だけで悲観的に見るのではなく、通貨の強さは国民にとっては必ずしも悪い事ではないので、冷静に円高メリットを考えて行動すべきと思える。
日本経済新聞の恐れ入ったコラム
国民に対する国家の振込み詐欺に加担したマスメディアの責任は重い
日本の構造改革と金融資本主義を混同させて必要以上の格差社会を作り出し、地方を疲弊させたマスメディアの責任は重い。小さな政府を実現するために金融資本主義を必要とする理論は間違いである。金融資本主義は、従来の企業利益の配当を労働者に多く還元してきたのを止めて株主に多く還元すべきだとの考えである。勿論、この株主に対する優遇は日本国内に眠っている多額の資金を投資に向けさせて会社の新規上場を促す事によって経済の活性化に繋げようとする理論である。いわゆる、資産の流動化を国家が企てマスメディアがそれを指示したのである。その金融資本主義が米国のサブプライム問題に端を発した金融危機によって脆くも破綻したのである。日本における金融資本主義とは、国富が失われる政策である。20年前から既に内需喚起による経済成長の必要性が指摘されていた訳だが、内需喚起の方法論において国家は大きな誤りを繰り返してきている。小さな政府と規制緩和は必要なことであるが、農業を犠牲にして輸出優先した様にグローバル経済の御旗のもとに格差社会を生み出し、地方経済を疲弊させて逆に景気の足を引っ張る様な政策を進めてきたのである。日本の経済の強さは国民の80%が中流意識を持つ消費力だったのに、金融資本主義を導入してその仕組みを壊してしまったのである。日本は江戸時代に内需方式の経済を行っているのである。何も外国に内需主体の経済構造を求める必要はないのである。江戸時時代には「御伊勢参り」が盛んであったが、これは内需喚起の最たるものであったのである。今回の金融危機にECの通貨統合が役に立たないのが分かり、又投資ファンドが資源・食糧の価格を急激に上昇させるなど多くのことを学んだのに未だグローバル経済や日本から更に国富が流失する似非改革をマスメディアは叫んでいる。国民に対する国家の振込み詐欺をマスメディアが支援しているのである。人生を間違わないで生きるにはマスメディアを信用せず、常に疑いを持って掛かることが必要である事を認識すべきである。古来より、書物を無批判に読むことは「百害あって一利なし」と言われている。マスメディアの情報が全部間違いとは言わないが、常に書かれた意図を考えて読む姿勢が国を良くする道と思える。
社会保険に係る年金の問題に対する認識
大企業に勤務していた方は分からないことだが、社会保険事務所がリードして経営不振に陥っている会社の社員給料を改竄して厚生年金に対する納付額を減額させた行為については思い当たる事がある。勿論、ここ十数年の事ではないので、発表された改竄行為が社会保険事務所が徴収を競う合うようになった事についてではない。1980年頃に小企業が社会保険に加入する場合には厳しい審査があったことを思い出したのである。会社が加入申請を提出すると、社会保険事務所の職員が日時を指定して面接に訪れ、会社の業績や支払能力などの情報を聴取して後日加入に対する結果を伝えてきた。このため、この時代には多くの小企業の社員は国民保険の加入であったと記憶している。飽くまでも推測だが、社会保険事務所の職員が、会社の業績が悪化し、社会保険料を滞納している会社を訪れて給料の改竄を勧めたのは悪意からであったとは考えられない。勿論、社員に対して説明しないで勝手に経営者と社会保険事務所の職員が給料を改竄した行為は許されたものではない。私が言いたいのは、この様な業績不振の会社に対しては、1980年頃は社会保険事務所では事務的に脱退勧告を通告していた様に記憶していたからである。給料を減らされた方々の憤りは分かるが、本当に改竄行為を知らなかったのだろうかと言う疑問も起きてくる。何時頃から、脱退勧告の代わりに給料を改竄してまで業績不振の会社に対して社会保険を加入させ続けたのか不思議である。多分、給料改竄の積極的行為はバブル経済崩壊後から常態化したのではないかと思う。社会保険事務所の職員を擁護する分けではないが、母が亡父の遺族年金を受給するときに職員の方が親切に当方で知らなかった部分まで調査して頂いて受取額が増えた事を覚えているからである。当初の給料改竄行為は悪意でなく、会社の業績回復を前提に一時的な温情措置だったのではないかと思う。それが何時の間にかバブル経済崩壊後の保険料の滞納増加に伴って徴収成績の目的化に転化していったと考えると理解しやすい。ちなみに、コンピュータ化に伴うデータの取り使いや喪失などは、重要な仕事なのを理解しないキャリアのアナログ幹部が能力が低い職員を配置した結果起きた事件と考える。事件の背景を調査して記録に残さないと同じような馬鹿げたことが将来に別なところで起きることを国民は考えるべきである。