独立行政法人はいらない!

驚いたTVニュースが流れた。埼玉県所沢市に所在する防衛医科大学病院が独立採算制の行政法人になるので不採算部門の産婦人科・救急医療などを廃止してしまう計画を進めているとの事であった。この様な病院なら要らないと言うべきであろう。この病院関係者は全く独立行政法人化を進めている基本的な考えを理解していないと思われる。多分、他の独立行政法人も同様な理解の仕方かもいしれないと思うと情けないほど日本と言う国は駄目になった様だ。独立行政法人化の目的は官にもコスト意識を持った運営を行わせようとのことであり、従来の親方日の丸意識の改善と考える。それが今回の防衛医科大学病院の対応の仕方を見ると、自分達の雇用しか考えていないことが良く分かる。そうであるならば、独立行政法人などにしないで完全なる民間病院とすべきである。職員を食わすために税金を投入されたのでは話にならない。江戸時代の上杉鷹山の言葉「なせば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の通り、国民のために何もやる気がない職員ばかりが集った職場と言える。独立行政法人に変えたから行政改革が進んだと考える国会議員は馬鹿ばかりと言える。行政サービスを低下させるだけの独立行政法人化など言語道断である。

博打経済の末路と今後

本来の博打は胴元が負けない様に仕組まれている。一番良く分かるのは公営ギャンブルである競馬であろう。最初から胴元分(国)取り分約25%が引かれており、馬券を購入した者が受けられる配当資源は約75%である。単純に考えると100円投資で75円しか戻らないのである。理屈が分かればギャンブルなど遣らないのだが、今回の金融危機の不可解さはCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)と言う金融商品の引き受け手である胴元の保険会社AIGまでも危機に陥ったと言えば分かり易い。世界的な投資ファンドを動かして多大な利益を上げたソロスによれば、今回の金融危機は金融工学を駆使してもリスクの計量化は出来ないと言う事を知らしめたとのことである。しかし、良く考えれば、人口30万人足らずのアイスランドと言う国の銀行が発行した何百億円もの債権をデフォルトの不安なく購入したのは格付けの信頼性とCDSと言う保険が存在したために成立していたと思える。不思議と思えるのは誰も疑いもなく金融化商品を信じて購入したことであるが、これは先に述べた手品の種があったということと、世界的に実体経済と懸離れた金融の過剰流動性の問題に帰結している。確かに、今回の金融危機で世界中で株価や資源価格の大幅な下落が続き、何百兆ドルもの資産が消失したと言われているが、この過剰流動性を起こした種銭の過剰さは消失した訳ではないので、機会を見て再度有利な投資先に対して動き出すことは疑いのないことである。良く考えると分かることだが、資本主義の成立過程で分かる様に投資とは元本の保証のないギャンブルなのである。特に、昨今は投資先が少ないのに金融が過剰なために預金金利が低いのであるから、高い配当を得るにはリスクを取る心構えが必要なのである。新しい技術開発に資金は必要だし、環境保全に対する代替エネルギーの投資や暖冬化の影響による食糧難に対するバイオ開発などに対する資金などの資金需要は今後増えてくると思われ、この様な資金はギャンブル投資と考えれば間違いはない。そして投資する場合の重要な事は、投資先の会社などが行っている事業と経営者のキャリアを十分に確認することである。

IT社会が生み出した総アマチュア化の危険性

今のIT社会は総て分野で過去のデータに対する確率統計的な手法による分析結果によって判断・決定がなされている。この世界では人間の曖昧な記憶による経験など信用されていない。このIT化が企業の年功序列制度を壊し、多くの若い人たちが高い役職と高給を得ている。確かに、現代の世の中は何かアクションを起こすと類似例から次の行動や興味に対する分析がなされて有効な提案が何処からともなく舞い込む。この手法は特に物販などで有効な手法であろうと思われるが、所詮は類似例からの推測であるので例外に対する配慮はなく、全く期待しない勧誘が続く事がある。これに対しても何回か続けて反応がない場合のアイテムをシステムにデータ化していれば、最初の情報はクリアされるので長く不愉快なセールスを受けることはないのかもしれない。この様なITの高度化は人間の曖昧な経験や勘に頼るのではなく、然も専門家を育てる時間と手間が必要なくて便利とは思える。しかし、私はこの様な高度IT化は業種によっては金太郎飴の社会を構築し、様々なリスクに対して懸念すべき落とし穴があるように思える。この良い事例としては、日本の不動産業界に起きたミニバブルであろう。日本の不動産業界は金融危機が起きなくても仮想需要の崩壊によって混乱したと思われる。顕著なのは金太郎飴現象とも言うべき何処の不動産会社も同じ事を目指して走ったことである。これはIT社会が生み出した典型的な総アマチュア化の現象と思える。実務は経験を通してしか学べない。特に物づくりの世界は経験の継承が必要な世界であり、経験者を疎かにした会社は今は隆盛でも最終的には没落するであろう。

何も遣っていない政治家と思考停止の官僚

病院を盥回しされた妊婦の死亡事件は、政治家が多くの給与を得ていながら何も行ってはいない証と、縦割り行政の中で思考停止に陥っている官僚の見事な図式である。先ず、公国立大学の医学部を管理している文部省は産婦人科医の不足の予測に対して何の手を打ってきたのか。また、厚生労働省は産婦人科医不足の予測の中で逆に安全を理由に産婆制度を実質的に崩壊させた責任は重い。納税者として公国立の医学部出身の卒業生を地域医療に貢献させないで、然も偏った学科専攻をや自由にさせている制度を取り続けるならば公国立に医学部などいらない。世の中には美容整形の医者が多すぎる一方、産婦人科医が不足しているなど教育行政に大きな誤りがあることは直ぐに分かる。しかし、マスメディアも明確に指摘しないのは何故か。憲法問題を盾に言い訳をするなら、政治家も役人もいらない。個人レベルでも地方医療や社会に貢献したくない医者の卵は私大の医学部で学ぶべきである。私大での医者に対しては教育費の自己負担比率が高いので苦情は言わない。一方、公国立大学の医学生は多額の教育費を納税者から得ているのである。国民に恩返しをする義務があるのである。少なくても一定期間は国の指定する医療現場に従事する義務を設けるべきである。また、文部科学省は不足している医師の専門を専攻する受験生を優先する様に大学に指導すべきである。縦割り行政やそこまで指導できないと言うならば役人の人数を大幅に減らすべきである。働いている振りをしている役人はいらない。また、本当に政治家は与党も野党も何百人もいるのに何もやっていないのには驚く。今度の衆議院選挙では何をやるのかでなく何を行ってきたのかで選ぶべきである。これまで出来なかったのに今後出来る保証などないのだから、その様な嘘を言う政治家を選ぶべきでない。
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