マスコミ各社が米国の自動車販売台数の減少で大騒ぎしているが、金融バブルで生じた過剰の需要が回復するわけでないのは自明の利なのに今更ながらマスコミの報道に疑問が湧いた。日本経済バブルの時には、記憶ではマスコミ各社は過剰需要の減少などに関して冷淡で、バブル経済で設備投資を行なった企業に対してバッシングの嵐だった。それが世界的な金融バブルの需要に対する設備投資に関しては報道のスタンスが全く異なる。日本国内で起きた経済バブルであろうが、世界的に起きたバブル経済だろうが、バブル経済なのは変わらないからバブルが弾ければその分の需要が減少するのは当たり前の事である。世界経済の回復は、バブル需要部分の過剰分の在庫が整理され、且つ過剰設備が償却されて元に戻るまで時間が掛かるのである。この様に考えていた時に、広告の電通の「戦略十訓」を思い出した。この十訓は電通でも既に死語になっていると思われるが、この中のひとつに「混乱をつくり出せ」の言葉がある。この十訓の言葉をつくり出した原典は、1960年代のヴァンス・パッカード著「浪費をつくり出す人々」と言われている。この教えからすれば、今回の世界的な金融危機に際してマスコミは、需要を引き出すために「混乱をつくり出す」役割を担っているのかも知れない。確かに,日本経済はバブル経済崩壊後は15年もの間マスコミによる「混乱をつくり出せ」の渦中に置かれていると思った。古い時代の考えでシステムされているマスコミには未来がないことが分かったが、その報道で動かされている大多数の日本人は海外の餌食にされてしまうと今更ながら思った。
効率とは何か
職員の給料の高さと役所の公共サービスの反比例
職員の給料が高い役所ほど住民に対する公共サービスが悪い。本来なら税金で給与を得ている立場からすれば逆なのだが、全部とは言わないが給与と公共サービスは反比例しているケースが多いと思われる。もう10年以上前の話だが、当社が四国に所在する特別養護老人ホームの経営者から東京都内の特別養護老人ホームの調査を依頼されたことがある。この時の都内23区と都下の市の役所の職員の対応には色々と違いがあり驚かされた記憶がある。何故今頃になってこの様な事を書くのかと言えば、群馬県伊香保市の特別養護老人ホームで焼死した老人が墨田区の住民であったことが書かれていたからである。先の調査で最も職員の対応が悪かった区役所が墨田区役所であったからである。税金で暮らしている公務員が、住民に対する思い遣りもない冷たい言葉が出るのも言語道断だが、当時墨田区区役所は豪勢な庁舎を建築して快適な職場になっていたのにである。下町の区役所の中で葛飾区役所の応対は立派であったので今でも鮮明に記憶している。この調査の質問は、奥多摩に出来ている若しくは計画中の特別養護老人ホームに対する区内に住む老人の受け入れ先としての対応に関してであった。この時の葛飾区の職員は、"区内で苦労して生活をして来た方々の老後を家族と簡単にあえなくなる他の地域で過ごさせるのではなく、区内に施設を設けて老後を過ごして頂く考えです"と回答されたのであった。この回答に私は思わず感激したのであった。此れに対して墨田区の職員の冷たい対応は今でも忘れない。墨田区の職員は高い給与を受けているのにである。浅草などを行政区域とする下町なのに人情の欠片もないのには驚いたものであった。群馬県伊香保市に区民を追いやる行為は正に現代版の「姥捨て山」である。尤も、この現象は公務員だけでなく日本人全体に及んでいる。当社はブッテックデベロッパーとして市街地の再開発も行なっており、開発の過程で多くの家族と出会うのだが、お金を持っていない家族ほど子供達は親孝行であり、お金持ち程家族関係は希薄で醜い開発利益の争いを行なうのを見たものである。公務員は下僕であるのに今や区民の平均所得を大幅に上回る給与を得て区民の事を考えない輩が増えている。情けない話である。国や地方自自体の借金が900兆円を越えた今、大胆な公務員の給与削減と人員削減を断行する様に国民は立ち上がらなければ全てが駄目になると考える。
通行料1000円による東京湾横断道路の渋滞と道路計画に対する疑問
3月21日に千葉県のゴルフ場に予約を入れていたため、偶然通行料1000円に引き下げられた東京湾横断道路を早々に利用して帰りには渋滞に巻き込まれた。私が東京湾横断道路計画を初めて知ったのは、今から38年前に大学の入学に伴い田園都市線の大学の最寄り駅から登戸経由で南武線の各駅を順次下り乍アパートを探して武蔵新城駅の不動産仲介業者の店舗に入った時であった。壁一面に東京湾横断道路計画図が貼ってあり、私が工学部の学生と知った業者の方は学科名も聞かずに貴方の様な学生さんがこの様な道路を造るんだねと感心された記憶がある。その後、社会人になって再度横断道路計画の現状について聞ける機会があったが、この時には事業採算的に絶対実現しない道路計画と言われていた。しかし、1985年のプラザ合意後の日米会議で米国から強力に内需拡大を要請され、日本政府は公共事業500円プロジェクトを打ち出したが、その中に「東京湾横断道路計画」も入った。この道路計画は民活の考え方を取り入れて建設される事になったのは自明の事だが、当初から事業採算性が疑問視されていた道路計画に民活の考え方を導入したのは狂人沙汰であったのである。今更いっても仕方がないが、本来なら東京湾横断道路を有効に活用するためには利用者負担の石油特別会計の全額負担によって建設し、低料金で利用できる計画にする必要があったのである。今回、通行料を1000円に引き下げたら報道によれば20%の通行料が増えたとのことであったが、この報道で疑問が湧いた。普段利用客が少ない横断道路がたった20%アップで渋滞を引き起こしたのであれば、建設計画時の通行量予測に関してどの程度であったか大きな疑問が湧いてくる。引き下げ前の料金と通行量で採算が取れていたかどうかは情報がないので分からないが、若しかしたら最初から低料金の利用による通行量など考えていない道路かもしれないと思った。そうでなければ20%アップで渋滞などならない筈である。ちなみに、横断道路の渋滞は外部の接続と関係なく起きていたのである。専門家愚昧と言う言葉がある。専門家と言う言葉で信じると世の中ではとんでもない事が結果的に起きている。専門家になるほど頭が固くなり、自由度が失われてプロジェクトに大きな欠陥を持つことが多いことを素人は肝に命じるべきと考える。
日本の国内総生産(GDP)が30%ダウンした場合
平成19年度(2007年度)の国内総生産(Gross Domestic Product)は約514兆円であった。このGDPが30%ダウンすると約340兆円で、このGDPは昭和62年度(1987年度)と同じ数値である。ご記憶と思うが、この年度を振り返ると日本では円高効果や原油価格低下の恩恵を受けて内需を中心に景気の拡大が進んでいたのである。ちなみに、バブル経済が崩壊した平成4年度(1992年度)のGDPは約484兆円、金融機関の不良債権処理が本格化した平成10年度(1998年度)のGDPは503兆円、米国の同時多発テロの平成13年度(2001年度)のGDPは約493兆円とマイナス成長であったが、その後は500兆円を下回ることなく推移している。ここで疑問に思うのは、失われた10年間とか日本全体にバブル経済崩壊後の長い不況感は何故起きていたのかと言う事である。バブル経済崩壊後の14年間のGDPの増大は30兆円と新興国から比べれば決して小さくない。しかし、長い不況感と地方経済の疲弊の原因を考えると、バブル経済後の低金利政策がすべてに影響していると考えざるを得ない。尤も、自動車産業などに従事していた者はGDPの推移を見る限り不況感は経験していないと理解出来る。先日、いわき湯本温泉に行った時に浴場で60歳前後の2人が朝風呂の中で話し合った言葉が印象的であった。一人の方が、"昔は本当に貧しかった。温泉などには入れなかった。何であんなに貧しかったのだろう。"としみじみと言っていた。貧しい時代は何時頃かは聞けなかったが、バブル経済前の昭和57年度(1982年度)のGDPは約275兆円であった。実に平成19年度の50%強であった。もし、日本経済のGDPが30%位ダウンしても1987年レベルの生活が出来るならば不安になることはないと数字が物語っている。問題は不安を煽っているマスコミや財政再建論者であろう。増税には行政改革と政治改革が必須条件であり、サラ金財政を続けてきた政治家と役人から財産を没収すべきである。金融破たんした銀行マンが責任を取らせられているのに、政治家と行政マンが責任を取らないから不平等になるのである。マスコミに関しては優遇税制を撤廃して他の業種と同様に税金を支払わせるべきである。兎に角、内需拡大には金利を引き上げないと国民は消費に流れず、海外の投資信託などで日本の富が消失するだけである。
デフレや大不況に対応していない日本の租税体系に訴訟で鉄槌
故安岡正篤氏の東洋的な考え方が必要な時代
破綻した日本住宅金融専門会社の元社長の自伝を読んで
最近、バブル経済で破綻した日本住専の元社長の自伝とも言うべき"懐旧九十年「燃える魂の告白」"を読んだ。東大法学部卒の大蔵官僚出身者である著者の"庭山慶一郎氏"の実像と古巣の大蔵省の政策の数々の失敗が述べられている。今の若い人達は過去を振り返っても仕方ないが言い分であろうが、歴史を知らずして今日の世界的な金融危機は乗り切れないと考える。責任を取らない行政マンが多くの政策を実現させている事や、法律以上に行政指導で民間企業や金融経済をコントロールしている日本の姿を危険として何度も指摘している著者の言葉には重みがある。また、マスコミの無責任さも事例を上げて指摘しており、此れに関しては私も再三ブログで指摘している事なので、同士を得た様な思いがした。庭山さんは大蔵省や日銀などがマスコミを過剰に意識して不動産バブルに対する誤った金融政策や土地に対する課税を実施したことを指摘しているが、全くその通りと当時不動産業界で仕事をしていた者として共感した。フィールドワークの情報でなく、ペーパー類での情報によって行なった政策はタイミングを見誤ったものであることも指摘している。更に、政府に関わる学者や弁護士についても碌な人間がいないことも整理回収会社(RCC)の中坊弁護士を事例に上げて指摘している。100年に一度の金融危機に見舞われた最悪の状況にあって庭山氏の本は一読に値するものと思われる。
実名を拒むネタで騒ぐマスメディアの信憑性
日経の「大磯小磯」コラムについて
3月5日(木)の日経新聞「大磯小磯」欄に掲載された匿名(吾妻橋)の意見には呆れた。匿名で書くのだから小泉インチキ改革に加担した者かもしれないが、全くナンセンスな意見である。構造改革は現在の仕組みで恩恵を受けているもの以外は誰もが望んでいる事である。小泉インチキ改革で一番許せないのは、米国の圧力とそれを利用した財務省の財政再建を優先した間違った改革であったために、真の改革が出来なくなってしまったことである。以前にもブログで書いたが、日本道路公団の民営化を行なうなら首都高速道路公団なども含めて行い、すっきりした組織にするのが国民のためには当然である。しかし、日本道路公団の民営化は、石油特別会計の財源を一般会計に簒奪するためだけに行なったことなので、国民の利益にならない改革となってしまった。建築基準法改正然りである。米国の圧力で準備も出来ていないのに建築確認申請手続きを民間に委託したことから、構造偽造事件が起き、逆に建築設計の自由度と行政の規制が強化されてしまった。その上、民間委託の建築確認申請手続きの会社に関しては審査能力に疑問を残したままである。郵政の民営化に到っては、ブログに書ききれない程の間違った民営化を促進した。「大磯小磯の吾妻橋」の指摘では郵便貯金や簡易保険が巨大化したと言っているが、原因は財務省が郵便貯金を予算に利用したからであり、その責任を追求しないで破綻の矛先を民営化で誤魔化すのは言語道断である。吾妻橋は色々な分野で政府の保護や規制に縛られて効率が悪い社会となっていると述べているが、机上で物を見て現場を見ていない者であることが直ぐ分かる。小泉の行なった構造改革は財政再建と言う観点から全て行なった改革であるので、国民のためになった改革はひとつもない。現場に行けば改悪ばかりであるのが分かる。介護サービス現場でインチキが横行しているのは、今の制度では成り立たない地域が多いからである。吾妻橋は余程小泉インチキ改革の恩恵を受けた者と予想が付く。郵政民営化など多くの規制緩和の中でで起きた小泉と竹中の秘書達の利権に絡んだ動きを検察は捜査すべきである。民主党の小沢一郎の比ではないダーティな姿が現れる筈である。
マスメディアの定額給付金報道のインチキ
百年住宅の実現
デフレ経済が日常的になると必要になるのは長持ちする住宅であろう。尤も、デフレ経済が長かった江戸時代には庶民は持ち家に住むと言う考えはなかったので、長屋と言う便利な賃借の共同住宅が多かった。一部の金持ちは別として明治時代・大正時代・戦前の昭和時代迄は、長期間の借り入れで家を買う考え方はなかったのだろう。企業は長屋の代わりに社宅を社員に提供したと思われる。戦後の高度経済成長によるインフレ経済で先見の明があった人は借金して家を購入したが、それでも大手企業に勤務していないと銀行からお金が借りられず簡単には家など買えなかったのが実情であった。それが1970年頃から個人が自動車を購入出来る所得水準となりモータリゼーションが起き、その後は持ち家購入出来る所得水準となっていった。勿論、国による政策もあって住宅ローン会社の設立が認可され、持ち家の人が年々増加した。1994年位迄はインフレ経済であったので、10年位で住宅を買い替える事を念頭に置き、2度目で終の棲家の戸建を購入するのが一般的な考え方であった。このため、供給者の住宅販売会社も耐久性のない安普請の住宅を造り続け来た経緯がある。然し、1996年以降はデフレ経済で住宅価格が上昇しない前提での購入のため、一生に一度の買い物として住宅を考えるように変わったので、購入者はインフレ経済時代と比較すると住宅の品質を重視するようになって来た。インフレ経済時代より品質は良くなっても近年の住宅は設備的な面で建築コストが掛かるようになったために躯体的には耐震基準をクリアしているが必ずしも長期的に耐えられるとは言えない見掛けだけの住宅も多いのが現状である。21世紀に入り、グローバル経済による格差社会の中で住宅、更に今回の様な大きな経済変動が周期的に起きる事を考えると親子三代が使える様な頑丈な住宅の建築であり、この住宅に付くローンの実現を提案したい。100年の耐用年数の住宅の建築となれば、現行の様な人に貸す住宅ローンでなく、建物に付帯するローンにすれば、中古住宅として次の購入者に自動的に安いローンを提供することが出来て理想的と考える。環境的にも住宅資材を消費財として浪費することがなく、住む人にも負担が少ない「百年住宅」の普及を考えようではありませんか。
短期利益の追求がすべての分野に弊害を与えている
金融的な発想である短期的な利潤の追求の考え方が経済を破壊した。先輩から聞かされてきたのが、金融機関の企業の再建手法は縮小均衡方式であるので真の企業の再建にはならない。確かに、「人員削減」、「不採算部門の切捨て」などを行なうと短期間に会社は再生した様に見えるが、会社の再生は「経費節減」や「赤字部門の切捨て」だけでは直ぐに経営に行き詰まる。本当に重要なのは組織の活性化である。今回の金融危機でホンダの福井社長の言葉に胸を打たれた。世界的な経済不況で売上げが大きくダウンしたのに伴って人員の削減に多くの企業が踏み切る中でホンダは先ずF1レースからの撤退を決断したと言う。人を大事にするホンダの創業者の精神が生きている。物つくりの現場で一番大事なのは人である。我々の不動産業界でも同様である。建築物を造ると言う事は、金融機関の様に中途採用の人材で通用する様なことではない。最近、ファンド事業に携わっている方の話を聞いて考えさせえられた。今回の金融危機で収益物件の買手はファンドでなく個人が多くなったので建物の評価が厳しいとのことであった。確かに、ファンドは短期所有であるので厳しいように見えても表面的形式的だが、個人の所有者は中・長期的に所有するので建物に対する評価の仕方が違うのであろう。不動産業界にも金融機関出身者が多くなり、短期利益を追求する余り物づくりの姿勢を失っている会社が多くなった。建築物は40年~60年は風雪に耐えるのである。いい加減なものを造れば長く恥を晒す事になるのである。何時の間にか建築業界と不動産業界にも短期利益の嵐が吹き荒れ、物づくりの精神を忘れた会社が多くなった。一度信頼を失うと回復するには多くの時間が掛かる。物づくりの経営者は企業価値とは何かを考えるべきである。人財が企業価値を造り、信頼と言う財産が会社を助けてくれるのである。