昨日、投資家を訪問して雑談していた時である。その投資家の本業は建築機材の製造販売リースなのだが、最近米国企業と大きな取引を行なった話が出た時のことである。この米国企業とは初めての取引で金額も大きかったので最初は心配したとのことであった。受注に到った経緯は、米国で展開している日本の大手ゼネコンに建築機材を提供していたのに注目され、その米国企業はその製品が他国の物より性能が良いので発注して来た様だ。本題は此処からである。その米国企業は投資家の企業を訪問してきた訳でもなく、工場を見学した訳でもないのに前渡し金として発注金額の20%を振り込んできたとのことであった。投資家の初めての取引の不安を一掃するかの様な行動はそれに止まらず、中間金、最終金の支払方法も見事であった様だ。正に、グローバルに展開する米国企業の真骨頂を見た思いがしたと同時に、日本人の疑い深さを改めて思い起こした。日本社会では信頼感が欠如する故に発注先の信頼性を企業規模に置いている。我々の不動産業界は特にそうだ。我々からすれば大手企業はコスト的に同じ依頼を行なっても高く付くのは自明の通りである。然し、日本では安心料が優先して知名度が低い企業は同じ事を提案しても相手にされない。良く考えると、この違いは「狩猟民族」と「農耕民族」の違いであり、米国人は日本人と異なり、外見でなく中味を評価する能力に長けていることに帰結する。良い製品や良い仕事を行っている会社に対する信頼である。米国は金融危機で苦しんでいるが、投資家から今回の商談を聞き、改めて米国企業の凄さが分かり、米国経済が遠くない内に復活する予感を感じた。もちろん、これは個人レベルの話であり、国家が信頼できるかは別の次元の問題であるが。
地域再生のひとつには観光資源の活用が必要
先週末に知人が主催するディナーセミナーに参加した。フランス料理店を貸し切っての主催のため参加者は35人程であった。セミナーのテーマは、「日本における観光立国は成就できるか?(観光ビックバンと地域再生の行方)」についてを講演した北海道大学大学院観光創造専攻長の石森秀三先生を囲んでの"観光立国"であった。講演の中でも指摘されていたが、2010年代にはアジア大交流時代による旅行客の増加が見込まれると言う。確かに、北海道はオーストラリア人や台湾の観光客で賑わいを見せている。問題は現状の様な観光客の受け入れ体制では、観光資源を活用した地域再生は容易ではないことである。特に、行政などは観光を民間の問題として考えており、観光立国としての予算も碌に計上していない。日本の場合は東京一極集中主義になっているので、先ず観光による地域再生を考える場合には改善しなければならない課題が多い。石森先生曰く、フランスなどの欧州などは一番美味しい食材は地元でしか食べられないが、日本の場合には一番の食材は東京に運ばれてしまう様な問題である。この事は何も外人の観光客ばかりでなく、日本人の国内旅行にも言える事である。地域の再生には、他県の人が足を運んで来てくれる様な環境にすることが大事である。地方を旅行すると分かるのだが、行政や商工会議所が観光客を誘致する考え方は全て箱物投資の延長であり、観光客の利便性などが余り考慮されていない。ある地域で驚いたのは、街並みが昔の家屋で統一されて観光客に喜ばれる景観であるが、日曜なのに飲食店が殆んど営業していなかったことである。この現象は、「鶏が先か、卵が先か」の議論と同じなのであろう。当初は観光客を見込んで営業していた店舗もお客が少ないので止めてしまったと思われる。大分前の話だが、休日に観光地に行った時にお年寄りが多かったので、平日に来た方が施設の料金が安く便利なのではないかと質問した事がある。その時にお年寄りから私は嘲笑されたのであった。嘲笑の理由は、平日には観光地でもケーブルカーなどの施設が営業されていないのを知らないことであった。高齢化社会と成熟社会が到来し、然もアジア経済が成長してアジア人の観光客を期待できる今日では、地域再生には観光資源の活用が欠かせないと思われる。しかし、現状の様な観光に対する官民の姿勢では覚束ないので、今後は官民一体となって観光産業の育成に力を注ぐ必要があると考える。少なくても、地元で採れる食材を一番美味しく食べれるレストランの育成や、平日と休日に関係ない施設の運営、更には地元ボランティアによる観光客に対するガイドなどが必要である。日本には美しい自然が多くあるので、後は最近の話題の映画「おくりびと」で描かれた「優しい心」で観光客を迎えることであろうが、小泉時代に破壊された内面世界の再生が一番困難かもしれない。
タイミングが悪い東京都の固定資産税額(土地)のアップ
専門家と言う素人
一般の人達は専門家と称する人に弱い。人に依っては、専門家を「神」扱いである。しかし、専門家とは広義的には何かしらの専門的な技術を有する人と解釈できるが、その道の専門家だから全てを知覚し、実践的知識を有しているのではない事に気づいている人は少ない。例えば、弁護士と言えども資格を取得して法律事務所に属すれば、どの分野でも通用するようなゼネラリストはいない。少なくても得意分野として刑事訴訟法か民事訴訟法かを選び、更には労働法専門の場合もある。近年は時流の知的所有権で稼いでいる弁護士もおり、得意分野は細分化されている。ちなみに、労働法専門の弁護士に不動産関係のトラブルを聞いても実務的に不案内の場合が多く、一般の人はそれさえ理解していない。当たり前の話だが、弁護士は判例や法律的な事は詳しいが、建築知識などの専門知識は素人レベルである事には依頼者は無頓着である。それでも優秀な弁護士は友人・知人のその道の専門家に聞いて対応するので問題は少ないが、その方法は付け焼刃に過ぎないので他の専門業種の知識は一般の人と同じ素人レベルと考えて相談したほうが無難である。弁護士だけでなく、会計士に関しても同様である。会計士で不動産などの資産に関して実務的に詳しい人は少ない。殆んどの会計士は、決算業務が仕事の主体であり、不動産資産などは相続税の申告の時しか関わらないからである。最近は時価会計制度の導入で如何にも会計士は不動産の時価に詳しいかのような錯覚を多くの人に与えているが、不動産業を知っていれば棚卸資産に時価会計など導入しない。翻って、我々の建築業界も又然りである。建築士は住宅関係は別として事務所ビルや商業ビルなどに関しては、完成後のオペレーションに関わっていないので多くの設計がメンテナンスに関して不案内である。しかし、この様な不案内は未だ良い方で、最大の問題は専門家故に見逃してしまうミスがある。このミスは複数の専門家の現場会議を経ても起きる事である。このため、当社などは敢えて専門家集団の会議に素人を入れてチェックするシステムを採用している。素人の疑問は正しい場合が多いからである。専門家のために見えなくなってしまう或いは見逃してしまう怖さが現実にはある。特に、最近は規制緩和がどの業界にも行き渡り、職人的な執拗さでより良い物を目指す姿勢の欠如や安易に物事を判断してしまう傾向が強いので尚更専門家を信用するにはリスクが大きい社会となっている。専門家の言葉だからといって簡単に信じない事が重要だが、医療と同様にセカンドオピニオンの考え方も色々な分野の専門家に対しても必要な時代と思える。