住宅建設会社の倒産によって建築工事費を全額支払ったにも拘わらず、住宅の建築が中断したり、未着工であったりとで被害が増えていることをTVニュースで取り上げていた。不動産会社や建築工事会社が倒産すると決まって被害者が出るので、行政側では保証制度などを設けてきた。しかし、被害者側による想定できないような支払の被害に対しては救済措置がないのが現状である。常識的に考えれば着工前に全額建築費を支払うなどは考えられない行為であるが、実際にはその手の被害が大きい。当社の様な小企業にとってこの種の事件が起きると、お客が安心感を求めてコストの高い大手の会社に建築工事を発注する様になるので、腹が立つがどうしようもない。普通の人ならば家を建築するのは一生に一度の大事業である。このため、慎重に物事を進めるはずだが、此処に落とし穴があると考える。一つには予算以上に建物の内容を望む事であり、二つには慎重さ故に出会った営業マンと必要以上の人間関係が出来てしまって疑いを持たなくなってしまうことである。行政側が住宅取得に対するリスクを軽減する制度を導入しても意味を持たないのである。米国の様に全て保険でカバーする考え方もあるが、問題は保険料の額である。倒産の確率からすれば多くの人は加入しないと思われる。このため、建築工事を発注する上でリスクを少なくする方法として出来形払いの工事契約を締結する方法がある。もちろん、素人では工事の進捗を判断するのは難しいので、専門家がいる建築設計事務所に依頼すると良いが、設計事務所によってはその様な依頼を断ったり、設計の発注を勧める事務所もあると思うので、事前に電話や問い合わせメールで確認すれば良いと思われる。住宅取得だけでなく全てに言える事だが、営業マンがどれほど良い人でも常に距離を置く姿勢と、世の中には旨い話などないことを肝に銘じていれば被害に遭う確率は低くなる。
構造設計士制度と問題点
構造偽装事件の結果、国土交通省の責任逃れとして建築士の資格関係が強化されたが、構造設計士制度もその一つである。建築士の業務を分かりやすく専従業務別に「建築設計士」、「構造設計士」、「建築設備設計士」に位置づけたのは評価できるが、これで構造偽装様な事件を防げるかどうかは各資格者に対して発注者がどの様な評価を行なうかである。私のblogで執拗に行政側の責任転化と天下り先の確保のために建築士の資格者に対する研修制度の実施など断行されたことを書いて来た。当社の業務の一つに設計業務があるので、構造偽装事件を機に設計に対する感心と重要性、更には業務委託フィーの適正な支払いに帰結すれば言う事はないが、日本社会における建築設計業務に対する報酬に関しては必ずしも適正な評価に繋がらない。寧ろ、プロジェクト費用の中で節減対象となり安いのである。特に、構造設計業務の設計士に対する委託費は仕事の割には低コストを強いられてきたのが現実である。今回の構造設計士の位置づけが報酬の適正なアップに繋がるならば一定の評価するが、実務者として見る限り発注者側が設計業務に対する価値観が変わらない限りは何等変わらないと思えてならない。行政と建築士協会の利益が一致して改定された制度と思うが、民間の審査会社に対する目に見える改革が行なわれていないので、近い将来に色々な問題点が起きる可能性が危惧される。
グローバル経済での商品価値とは
米国のメーカーでは海外で販売している自社の製品の価格差を利用された逆輸入のために国内の販売が影響を受けているので取締りを強化していると言う記事を目にした。確かに、この現象は米国ばかりでなく先進国で海外展開している企業にとっては避けられないのであろう。尤も、スターバックスの様に世界の販売価格を統一している企業もあるが、世界での販売価格統一に関しては所得格差がある中で通用するとは思わなかった。殆んどの企業は海外展開では進出先の所得に合わせて同じ製品を国内より安く販売しているケースが殆んどである。しかし、ブランド名や品質を変えないと逆輸入によって国内の市場が荒らされるリスクは常にある。尤も、この様な逆輸入ばかりでなく、海外委託生産に関しては委託先の工場から流失する製品の数も多いと考えられ、企業も多くのリスクを抱えることになる。そう言えば、日本国内の日本酒の話だが、新潟県では県外に出荷する酒に関しては周辺の地酒をブレンドすることを義務付けていたことを聞いた事がある。このため、同じ酒でも県内で購入した方が旨いと言われたものである。また、山口県の造り酒屋の社長に聞いた話では、地元の造り酒屋では東京に出荷するには生産量が足りないので、県外に出荷する酒に関しては統一した銘柄で生産量の条件を満たしていたとの事であった。何故こんな話を出したかと言うと、海外企業の有名製品でも国内で生産している比率は小さくなってきていると思われ、発展途上国などで生産しているケースも多い筈である。もちろん、全製品の関税が0%ではないので、関税が地域の価格差を解消しているケースも多いが、国内で生産するよりは品質は落ちているのは間違いない。日本酒で言う所のブレンドや別な生産者が統一した銘柄で出荷する様なものである。同じ企業の製品でも生産地によって本来は商品価値は異なるのが普通だが、実際の販売価格には大きな差異がない。グローバル経済になって商品の価値の見極めが出来にくくなってきている。その上、同じデザイナーや低価格路線、更には販売戦略なども情報化の時代にあっては差別化が見えなくなってきており、物が売れないのは不景気な要因ばかりとは言えないと思うようになった。陳腐な言い方だが、情報がありすぎると言うのは迷って決断できないために安いものでなければ衝動買いは少なくなるのかもしれない。
行政の構造改革には民間と同様な経費や制度の導入を抜きにしては効果が薄い
マスコミのGDPマイナス報道の誤魔化し
日本が新しい国つくりのモデルにした英国の惨状
夢のない時代の若者の住まいは集団化に向かう!
時代を見る視点とは!
「日本の少子化は変えられない」と言う間違い
日本の少子化は既定の事実で未来永劫変えられない様な評論が目立つ。金融関係のアナリストまでもが平気で新聞雑誌に少子化を前提とした経済を構築する必要があるなどと戯言を書いている。少子化の先輩とも言うべき欧州のデンマークなどでは近年出生率が増えてきているのである。少子化の原因を分析しないで先進国は少子化になると言う議論はナンセンスである。子供を育てる環境があり且つ経済的な負担が軽減すれば、子供を一人に限定する訳がないのである。少子化は核家族や共稼ぎの社会に対して旧態依然の政策しか行ってきていない政府の責任である。小さな政府とは無駄な支出を抑えることで必要な予算を削減する事ではない。出生率が低下すれば国力が低下するのは自明であるので、その時代に応じた政策を実施して子育て支援するのが国家である。公務員夫婦の共稼ぎは、民間と比べて産休などに関して恵まれすぎているから、有効な子育て支援策がでないのである。行政組織は民間と比較して全ての面で待遇を悪くすれば知恵が出て能力を発揮できるのである。少子化対策など知恵を使えば多くの面で改善できるのである。共稼ぎは当然と言っておきながら公的保育施設の整備が遅々として進まない現状は許されるものではない。しかも、公的保育施設の預託時間を見ると、フザケルナと言いたい位に公務員時間になっている。民間の保育施設に任せるなら、補助金を出して公的保育園と預託料を同額にするのが当然である。しかし、実際は予算がないとかで民間の保育園に対しては規制だけを強化して有効な支援策がないのが実情である。貧困な福祉環境で少子化は変えられないなどと言う馬鹿者が発言しているから国は良くならないのである。
特定保守製品の情報伝達は仲介業者の仕事か!
平成21年4月1日から特定保守製品について宅建業者に告知義務等が課せられることになった。この制度は多発したガス給湯器に拘わる死亡事故に起因したものであるが、この事故に関しては宅建業者が一任的に情報伝達に対して責務を負うものではないと思料される。最近の事例では本末転倒の様な制度改革が多い。その一つに構造偽造事件後の建築設計士に対する研修制度の導入などである。構造偽造事件は犯罪である。建築士が知識不足で間違って起こしたものではない。それが何故研修制度に繋がるか不明である。役人の天下り先の確保としか見えないのが実情である。構造偽造事件は建築確認申請手続きを民間委託にしたことに起因しているので、本来ならば改善の必要があるのは確認申請手続きを代行する会社に対する査察や職員に対する研修制度の創設であろう。それが建築士の研修制度など建築設計事務所の対する監視強化となった背景には責任転嫁と役人の天下り先の確保、更には建築報酬のアップを考えた建築士関係団体の思惑が一致して違った方向で解決を図ったのである。今回の特定保守製品の告知義務を宅建業者にさせることに関しては否定しないが、付帯設備の説明などは従来行なってきているので余り意味がないと考えられる。もちろん、仲介時に耐用年数が経過している機器を設置している場合には警告にはなると思うが、賃借賃料や売買価格が安い場合には無視される話である。是正できる権限を有してこそ効果が出ると思われるが、その点には言及していない。住宅の付帯設備の問題は、売買物件より賃貸物件に関してと思うが、既にガス漏れ警報機や火災報知器設置などを義務付けているので、常識的には十分と言えるものである。このため、欠陥商品の事故ならメーカーが責任を取るべきだし、老朽化した付帯設備を交換しないで貸していて事故が起きたなら貸主か管理会社が責任を取るべきであるので、殊更宅建業者に義務を課す必要はない筈である。逆に、責任の所在が複雑化することにより、責任の希薄が進むだけである。住宅の瑕疵担保保険に関しても同様である。保険でカバーできる事で細心の注意が払われなくなる恐れもあるのである。消費者庁が創設される事になったが、権限を持たない役所の寄せ集めは現場が混乱するだけで役に立たない。最近の行政の動きを見ていると枝葉末節の類の改善で、本質的な問題の改善に何等役立っていない。このため、本質のすり替えの危険性が高まっていることに注意を払うべきと思料する。
行政組織のフラット化が元気な社会造りのソリューション
縦割り行政組織の弊害を指摘されてから行政改革を通して改善を図っているが一向に進んでいない。これは政治家が無能な事と改善案の作成者が当事者である公務員だからとも言える。行政組織は必要に応じてではなく、予算規模に合わせた人員配置になっているので民間と比較して非効率となっている。もちろん、行政組織は公共サービスであるので、非効率な部分があるのは容認できるが、問題なのは国家と地方、省庁間での組織の重複が多い事である。省庁間の出先などは統合して一本化を図り、省庁の業務を受託すれば効率の良い行政組織が出来上がるのは自明である。行政の仕事は一部の専門業務を除けば皆一緒であるので、統合すれば無駄が省ける。しかし、先の行政改革では省庁を統合しても各部門や出先機関の統合が余り行なわれなかったので、予算の減少に繋がる組織統合は少なかった。これでは意味がない。政治家と公務員の年金問題と同様に先送りして解決を図ったので、解決には時間を要することになった。国民を嘗めた話である。この様な事例には事欠かないのが今の政治である。聞いた話だが、国土交通省が観光振興のために欧州で宣伝活動を行うべく、外務省の公使公邸を借り様とした時の最大のネックは公使夫人とのことであった。外務省とは公務員と民間を問わず海外の活動に対してサポートする行政組織が、公務員でもない公使夫人の意向で公使公邸を借りるのにもスムーズに行かないなど言語道断である。外務省は戦前からエリート意識だけが強いが国家国民のために一番働いていない行政組織と言われている。外務省の組織は各省庁の専門家の出向者で形成した方が機能性が高まる筈である。農水省や国土交通省も事業が少なくなっているのに行政組織だけは現状を維持しているので、今後は組織の縮小を図るべきである。また、他の省庁も同様だが、一部の専門スタッフを除けば何処の省庁にでも出向させられる様にすれば、一年の内短期間しか忙しくない部門から年中忙しい部門に対して人材の流動化を図る事が出来るのである。しかし、今の政治家では官僚と喧嘩する度胸のある者は少ないので実現を望むのは無理な話と言えそうだが、21世紀の時代にも日本が元気な社会でいる為には行政組織のフラット化は欠かせない。当社の不動産事業に関しても監督行政組織がフラット化して様々な変化に対応できなければ、安全や環境と言う標語の中でコスト増が強いられる結果となり、企業ばかりでなく国民も費用負担が増す事になるのである。先頃新聞記事で埼玉県の建築確認・検査業務を受託している財団法人が収益増で理事長が知事を大幅に上回る報酬を取っていた事を指摘され、減額する意向であることが掲載されていた。地方自冶体が財政難に陥っているのに業務を外部委託した財団法人が多額の利益を得ている構造は歪んでいると思わざるを得ない。多くの外郭団体を英国を見習って独立行政法人に移行したが、この移行は省庁統合から避難して権益を残すだけになった様に見える。しかも、国立病院などを独立行政法人とした弊害も生まれてきている。行政組織のフラット化とは形式だけの統廃合や誤魔化しの効率化の組織移転ではない。消費税の値上げなどは行政組織のフラット化の後の話である。
驚いた再販価格と不動産業界の断末魔
昨日の日経に大きな不動産広告が掲載されていた。東京都世田谷区成城5丁目所在の総戸数14戸のうち3物件の販売だが、2007年販売時点の価格1億5700万円に対し、再販では3物件の床面積(①88.28㎡、②107.57㎡、③114.13㎡)が異なるにも拘わらず、全戸8,880万円の売り出し価格である。幾ら再販でも床面積に対する価格差位は付けるのだが、この再販は正に「バナナの叩き売り商法」以外の何物でもない。不動産は金額的にデパートで商品を購入する様な感覚で買う物ではなかった筈である。早く在庫を一掃すれば価格が安定する様な商品でもない。しかし、この再販の遣り方は物販の場合の遣り方と同じである。在庫一掃後の価格の安定どころか業界の不信感を招くだけである。大分前の事だが、マンション販売会社に取引銀行の副頭取がその会社の再建のために社長に就任したことがあった。この新社長は銀行マン時代は優秀であったらしいが、不動産業界に関しては素人だったのか、新風を起こそうと考えたのかしらないが、全社員に「40%のシェアを持つと販売価格をコントロール出来る」と訓示して40%シェアを確保するため土地の取得に走ったことを聞いた。不動産業界の人間なら直ぐにこの考え方は失敗したと気づくであろう。お金持ちは別として、デフレ経済においては一般的には住宅を取得する事は一生の買い物である。この為、不動産会社の必要十分条件は、「信頼」である。経済の変動の中で不動産の再販を否定はしないが、少なくても原理原則を守った販売方式を厳守しないと業界に対する「信頼」が失われることになる。正直者が馬鹿を見る社会であってはならないのである。今の社会は地位に相応しくない人物が地位を得ているから起きている悲劇かもしれない。