郵貯限度額の引き上げに反対

狙いは国債購入資金であろうが、海外にも郵貯の資金運用先を求めるとのことに関しても大きな疑問を持たざるを得ない。何故今、郵貯限度額を引き上げる必要があるのかは冒頭に述べたように国債の購入が目的なのであろうが、この決定は赤字国債の更なる拡大を招く愚策としか言えない。今年度の予算が92兆円と大きくなったが、この予算は参議院選挙を考えてのもので、日本や国民のためになるものではない。確かに、郵政民営化の過程では不正があり、貴重な資産が投売りされたのであるが、体質的には今も変わらないので資金運用においてアドバイザリーを介在した同じ様な不正が起きないとは言えない。日本国中、インサイダー紛いの行為が行なわれており、不正など意に関しない輩が横行している現在、郵貯限度額の引き上げなど持っての他である。郵政関係が小泉・竹中以降、政治家や悪徳官僚や政商に食い物にされてきているが、民主党政権になってもその図式は変わらない様だ。今夏の参議院選挙で鉄槌を下したくても受け皿となる政党がいない現状は本当に憂慮すべきものであり、鳩山邦夫ではないが新党結成大賛成である。既成の政党の流れを汲む自民党や民主党の政治を吹っ飛ばす新党に期待したい。

東京都心の周辺と孤立した大型開発

六本木ヒルズ、東京ミッドタウンの周辺の街並みを無視した自己完結型の高層ビル、新橋汐留地区の全く整合性のない高層ビルの林立を見ると本当に島国根性の世界観が小さい人々の集団なのが分かる。現在進行中の大型開発の全てが自己完結型の高層ビル建設であることを見せ付けられると東京都心の将来像を描けているのかと心配でならない。確かに、古い建物を耐震性と防災性の優れた建物に変えるのは必要と考えるが、問題は街の歴史を全て吹き飛ばして孤高の高層ビルを建てることに意味があるのかといいたい。現在の開発思考は歴史を持たない米国の開発の考え方に準拠していると思われるが、少なくても再開発で街を再生するならその町の文化的な香りも残した差別化した開発を行なう必要がある。六本木ヒルズなどは一時は珍しくて多くの人が見学に訪れたが、他に同様なビルが出来た時点で物珍しさがなくなり店舗などは閑散としている。日本人は将来像を見て建築物を計画するのは苦手な国民と思えるのは、日本を取り巻く自然と関係があるかもしれない。確かに、大型建築物は中国などから伝来した仏教寺院で、その外は武士が防御のために築造した城だけである。本来、日本人は大型開発や将来を見据えた考え方などは苦手なのかもしれないと思い、それなら日本に適した開発を考える時期に来たのではないかと思料する。馬鹿の一つ覚えの様に大型開発を推進するのは、公共事業の減少で経営に厳しいゼネコンの救済を意味するならば価値ある街並みを一掃してしまう大型開発は百害あって一利なしと言わざるを得ない。特に、その後押しをする行政については税金の無駄使いの典型的な姿である。特に、容積の割り増しで作らせた公開空地などはただ通行人の通る位しか活用する事ができず、然もビル同士の公開空地を跨ぐ様な活用は余り出来ない状態である。現場を知らない役人や知識人が描いたものなど実際には役に立たないものばかりである。東京都のマスタープランなどはお題目ばかりで現実的な開発を優先するあまり意味を成していない。今の日本人は日本的な良さに精神的な安らぎを求めているのに大型開発は逆行した考えで進められているので間違いなく失敗すると思われる。

デザイナーズマンションリフォームのその後

以前に私が借りているマンションで行なわれたリフォームに関してblogに書いたが、今回はリフォーム1年後の現状についてお知らせすることにする。古い賃貸マンションをデザイナーズマンションにリフォームして入居率を高めるビジネスシステムを展開している企業(大手都市銀行も出資している)が行なったリフォームである。私の入居しているマンションは築38年経過していたので空室が目立ちオーナーとしてはリフォームか建替えを検討する時期になっていた。入居者の多くは建替えで退去を求められると思っていたが、実際にはリフォームとなり、リフォーム提案の会社はリフォームの騒音で入居者全員が退去することを考えているかのような酷い工事を行った。しかし、リフォーム後のサブリース対象となった部屋は若い男女が好むようなスタイルに改修したことと立地環境は素晴らしかったこともあり、リフォームした部屋は直ぐに賃借人が決まった。そして1年が経過して現状はと言うと流石に新たな賃借人の退出はないが、共用部の廊下の塗装が一部剥げ落ちて汚くなったおり、エントランスは北向きに変えたので冬は木の葉が入って常に汚れている状態となっている。また、廊下のライトをダウンライトに変えたので頻繁と電球が切れており、然も直ぐに交換しないので不便極まりない。予想したとおり廊下や階段の塗装は基本に忠実に行なっていないので、塗装が剥げ落ちることは予想できたが、階段の壁も内部からの漏水で見た目が悪くなってきている。リフォームの全てを否定しているわけではないが、老朽化したマンションは人間に譬えれば高齢者になっているので、厚化粧しても長くは維持できないし、問題は鉄筋やコンクリートなどは改善できないので目先の誤魔化しの様なリフォーム提案に関しては疑問を持たざるを得ない。リフォームした会社のHPを見るとデザイナーズマンションにリフォームして入居率が高まった事例を載せているが、私が入居しているマンションのリフォームを見る限り経験が不足していると見られるものの短期間は有効と思われるので、ビジュアル社会の弊害が起きているのかと思わざるを得ない。

住宅購入相談に関する四方山話

私は職業からこれまでに大勢の方から住宅の購入を検討するに際に意見を求められてきた。当社は建築設計事務所として住宅の設計に携わってきており、然も不動産仲介業として多くの住宅の仲介業務の実績もある。また、デベロッパーとして再開発事業の実績もあり、不動産ファンドのアドバイザリーなど不動産に関する経験は手前味噌になるが枚挙に暇が無いと自負している。しかし、不思議な事に実際購入するに際しては私の意見は一部の方を除き無視され、大分経ってから私のアドバイスを無視した事を後悔する話を聞かされるのである。後悔した人の中には、私の専門が不動産業であることを改めて気が付いた人もいて唖然とする。最近、不動産購入に関するアドバイス本などが人気があるらしいが、私に言わせれば悪戯に面白可笑しく書いてあるだけであり、中には何の科学的な根拠も提示しないで恐怖感を煽っているだけの事例を平気で書いている本もある。この種の本の新聞の書評欄には、「不動産購入前に知識を得よ」などと推薦しているのである。多くの人は公に販売された本などには信頼を置くが、私の様な専門業者の意見を聞き流すと言う行動に関して理解できない。ちなみに、悪く言うわけではないが不動産購入に関するアドバイス本などは素人では分からない専門的な知識を有する内容であり、悪徳業者の酷い事例を恰も一般論的に取り扱っているので、実際の購入においては信頼にたらないものである。私が相談された方に先ず指摘するのは、「不動産に掘り出し物件はない」と言う事であり、価格的に掘り出し物件と思えるのは瑕疵物件(自殺・殺人など)であると言う事実である。更に、マンションと戸建住宅の将来的な資産価値の違いやデフレ経済時での不動産購入のリスクなど基本的な問題からアドバイスをしている。私の不徳の致すところなのだが、当社女子社員などは結婚時の中古マンション購入時と数年前の戸建建築の2度ともアドバイスを無視した結果、大きな損失と現在進行形の損失を蒙っている。世の中は大企業や著名人の意見は信用するが、私の様な小企業の経営者の意見などに関しては評価しない様だ。尤も、知人の会計士の様にアドバイスは理解していたが、年齢と将来的な収入見通しを甘く考えて高額な新築物件を購入して失敗した事例もあり、人は時として必要以上に楽観的になるので致し方ないと思料する。デフレ経済であるが不動産はドメステックな産業なので、価格がユニクロの商品の様には下がらないのが現実である。ここ15年を振り返ると必要以上にコストダウンの流れになっており、それが構造偽造事件に繋がっているのである。別に不動産業界の言葉ではないが、「安くて良い物はない」のである。もちろん、短期的な商品ならば耐久性を考慮する必要はないのでそれなりに良くて安いものはあるが、不動産は長期的な商品であるので難しいが、もし強いて言うならば個別的な要因によって価格が変動する商品である点を考慮すれば、価格的に満足する物件お購入できるチャンスはある。一生に一度の高い買い物となる可能性が高い住宅の購入に関しては、設計事務所などにアドバイスして貰うことが必要と思われる。アドバイス・フィーなど安心を得る事を考えれば安いものである。

河村名古屋市長が投じた議員数大幅削減の一石を評価

河村市長が名古屋市会議員の現行定数70名を半分の35名にする提案は、名古屋市民ばかりでなく国民にも評価された行動と思料する。これに対して市議会議員は、「半分にする根拠が無い」とか、「議員報酬が減らされたら議員になる人がいなくなる」とか説得力が無い反論を主張していたが、真の議員なら財政難に陥っている現況を考えて自ずから議員数の削減か議員報酬の減額を申し出るのが当たり前と思われる。しかし、国会議員から村議会議員まで大幅な定数削減の発議など聞いたことが無い。議員報酬が高いからお金が掛かる選挙になるので、議員報酬を大幅削減するか日当制にすれば、お金に関係なく社会や政治を良くしたい人たちが立候補して当選する可能性に期待がもてる。そすれば「議員報酬が少なくなると議員になる人がいなくなる」などとの戯言を聞かないで済む。特に、ITによる情報化社会になったので議員が個人の意見を汲み上げて政治に反映するシステムが不要に成りつつある現況では、議員数の削減や議員報酬の削減と同時に新しい時代にあった政治システムを考える時代に突入したのである。過渡的には多党化による連立内閣が続くものと思われるので、時代を見通した少数政党が連立内閣に参加して思い切った政治改革と社会改革の断行を期待したい。

雑談

先日、不動産の仲介でお会いした社長さんはユニークな方であった。年齢は44歳前後と推定したが、今後の日本の不動産に対する鋭い洞察力を持っており、不動産業界には珍しくハッタリがなくストレートなものの言い方でした。この方は大学卒業して就職した22年前は経済バブルの真っ最中であったので、当時の不動産経営者達と会う機会があったとのことでした。彼は今回の平成ミニバブルでは会社の上場を目指した不動産会社の経営者の立場であり、上場寸前でトラブルに巻き込まれて係争中にリーマンショックで当初目標の変更を余儀なくされています。この彼が平成ミニバブルで有名になった人達を評して言った言葉は、小人物ばかりであったと言う事でした。一つの理由としては、今回の不動産のミニバブルの原因は不動産が金融化して不動産開発に対する物づくりを知らない連中が多かったと指摘していた。私も彼に意見に肯く点があったが、私のもう一つの見方は20年以上前の経済バブルと大きく異なるのは、経済バブル時代は事業の欲であったが、今回の平成ミニバブルでは単なる金儲けの私欲であったために小人物にしか見えなかった様に思える。名門灘高校から東大に入った村上ファンドの村上や名門久留米代付属から東大に入ったライブドアの堀江などは、私欲で能力を使った典型的な人物であった。彼等には大物感は少しも感じられなかったのは私欲しか感じられなかったからと思われる。この様に書くと私欲と事業欲の違いは何かと質問がでると思うが、一言で言えば事業欲の方は人を育てたり、地域社会に貢献する可能性があることと考える。最近の経営者は短期間で利益を出すことを強いられているので、私欲はなくてもスケール感を出せる機会が得られないために小物として評価されてしまうのかもしれない。尤も、経済バブル後の経済不況化ではスケールの大きい人物は淘汰されてしまったと思われるが、今の日本に政治経済とも必要なのは大物の出現であろう。

現場無視の介護保険法の弊害

介護保険法の成立は一見すると高齢者社会の到来に対する備えと見えるが、実際は厚生予算削減を狙った現場無視の制度の導入であり、その上多くの認可制度の導入で厚生労働省の天下り組織を作ったのである。今回グループホームの火事で焼け死んだ老人達は正にその犠牲者である。役人の生活を保証するために税金を払っているわけではない。NPO法人の運営のグループホームはオランダのグループホームを模範にして導入したと言われるが、私の推測だが「仏を作って魂入れず」の類の導入と思われる。オランダは基本的に人を大事にする国家であるが、日本は未だに官尊民卑の考えと相俟って米国流の格差社会の考え方で正に姥捨て山のグループホームとなっている。マスコミなどはこの種の事件が起きると設備不良や運営者の怠慢を指摘するが、根本的な原因は事業の採算性を考慮していないで制度だけを導入した行政の責任を問う声は余り聞かれない。行政などは事故が起きる度に自己保身のために法令や制度改正で民間会社などに大きな負担を強いる設備機器の設置を求めてきている。しかし、制度が持つ欠陥には一度たりとも目を向ける事が無い。もちろん、行政だけの責任でなく、政治が機能していないから起きる問題でもある。民主党政権になっても自民党とその点では何等変わる事は無い。民主党は大きな政府の予算を組んでいるが、国民が期待しているのは自民党時代のばら撒き予算の復活ではなく制度の改善であり、天下りの阻止でなく団体そのものの存在意義を検証することである。この点から言えば、民主党は未だ何等国民の要請に応えてはいない。介護保険法の成立で多くの老人を死に追いやっている現実と新たな無駄にメスを入れるべきである。先ず、役人の首を切れない法律を変えることから始めなければこの国は内から崩壊してしまう。

資源争奪競争の懸念

大西洋・地中海のクロマグロの取引禁止がEUの発議でほぼ確定する状況になった様だ。環境や自然資源の保全と言う大義名分は理解するが、この取引禁止に養殖のクロマグロまで含まれるとなれば話は違ってくる。グローバル経済は発展途上国の経済を急速に成長させたが、その反面、各資源の需要が従来にない速度で伸びてきている。マグロは日本人の食生活に欠かせないものであるが、クロマグロの取引が大西洋・地中海で禁止されれば、次は他の地域で捕れる別な種類のマグロの取引禁止に繋がる可能性は大きい。狂牛病や健康志向と相俟って「マグロ」の世界的需要は増大する傾向にあるが、くじら同様にマグロは日本人の食文化であるので、それらの食文化に関係ない国々に一方的に禁止される理不尽さには憤りを感じる。日本人の多くはデフレ経済に洗脳されてしまったので食糧まで自給自足を否定する傾向にあるが、大きな自然変動で食料不足になった時には金があっても買えないことを肝に銘じるべきである。なお、今回のクロマグロの教訓としては、今後の資源争奪競争において力を発揮するには地域の共有意識が必要であり、日本はアジア諸国と共通の価値観を持って欧米に対抗する必要があるということである。クロマグロやくじらを見ても日米の価値観は大きく異なるので、日米条約など資源争奪競争においては何の価値もないことを国民は知るべきである。今後はあらゆる資源で争奪競争が起き、今のままでは日本は後手に回る懸念が大きい。今日本に必要な政治家は"友愛"などを唱える政治家ではなく、資源争奪競争に勝ち抜ける政治家である。何時までたっても経済は一流、政治は二流では国が滅ぶのである。

今こそ押し付けの教育制度を見直す好機

デフレ経済で失職する人が多くなったのでインフレ経済で構築された教育システムにも問題が出てきた。民主党は高校の義務教育化をマニフェストに掲げているが、人材教育を考えた場合に本当に18歳迄義務教育を続ける必要があるのだろうかと考えざるを得ない。私の時代には金の卵と言われた中学卒業の集団就職が存在した。私の故郷は茨城県北部の寒村であったために高校の進学率は50%は超えていたと思うが、大学進学率は20%以下であったと記憶している。この時代には能力があるにも拘らず進学できなかった者も多くいたので、その後の豊かな社会で進学率が上がった事に関しては否定しない。しかし、文部科学省は教育の質よりインフレ経済下の予算増により教育の量を求めてきた結果、高校進学率や大学進学率は向上したが、自発的に進学を希望しない子供達まで進学させる教育制度が親子関係を崩壊させ、教育者の無気力を生じさせてしまった責任は重い。戦後の教育制度は米国の教育システムを導入したものだが、基本的に米国と違うのは日本の教育制度にはレベルアップの柔軟性と入学後の厳しさが欠如している点である。高学歴イコール高収入・安定と言う幻想を作り上げた結果、普通教育偏重の教育評価システムとなり、我々の時代にはレベルの高かった工業高等学校、商業高等学校、工業高等専門学校などが普通高校と比較して地盤沈下してしまった。本当の教育制度とは普通課教育に偏重することなく低年齢における専門教育制度を充実させて子供達の選択肢を広げることと考える。大学進学を前提とした普通課教育偏重は間違っており、専門学校からも優先的に大学進学のルートを設けておけば偏重することはなかったと思われる。米国では軍隊に入って一定期間勤務して奨学金を得て大学に進学している者もいると聞くので、日本でも自衛隊に入隊して一定期間勤務すれば大学進学と奨学金が得られるようにすれば、親の負担も無くて良いと思われる。何れにしても、親の資力と関係なく専門教育を得る事が出来る制度を作る必要もあると考える。今回の経済不況では、親が失職して学校を中退を余儀なくされる子供達も多いと思われるが、経済的に問題があって中退する必要があった時には①夜間部の転入、②再入学の権利によって救済する制度も必要と考える。なお、夜間部の開始時間が早いので勤務している場合には問題が多いので、少なくても開始時間を午後7時にする配慮も必要である。財政難もあって教育に対しての予算も今後は縮小を余儀なくされると思われるので、教育制度自体を大幅に変更して子供達にとって有意義な教育システムにすることが重要であり、見直す好機と思われる。

高齢者用の賃貸住宅の問題を考える

日本の高齢化社会到来は20年以上前から予測されていた。しかし、政治家と行政はこの間に何を政策として実現してきたのだろうかと考えざるを得ない。昨日のTVで東京都品川区役所が高齢者用賃貸住宅の建設に着手した事が放送された。その放送の中で高齢な女性が不動産屋に賃貸住宅を依頼しても殆んど断られると発言していた。若い方がこのTVを見ても深刻に考えることはなく、「逆になぜ借り難いエリアに住んでいるのかとか」、「子供と一緒に住めば良いのにとか」、「若いとき浪費して家も買っていないのだから仕方ないとか」考えて聞き流すのではないかと推測できる。同様に、長く政権を担っていた自民党の政治家連中の口癖が、若い時に倹約した生活を送らなかった人達まで救済する必要があるのかという発言であった。更に、現代社会は能力のある人達が高収入を得られる様なシステムでなければ社会が活性化されず経済成長も望めないと言う意見が主流となる格差社会が現出して弱者に対する救済が形骸化してしまった。経済バブルが崩壊した15年以上前に「勝ち組」、「負け組」などの言葉が流行語になり、日本社会は優しさを失っていった。私が若い頃上司から「給料以上の仕事が出来る社員は2割」、「給料に見合った仕事しか出来ない社員が6割」、「給料以下の仕事しか出来ない社員が2割」と言う話を聞かされた。私も若かったのでその上司に駄目な社員の2割をなぜ首にしないのかと質問したのである。その質問に対して上司は2割を辞めさせても組織と言うのは必ず又給料以下の2割りの社員が出現すると言うことであった。この話はイソップ物語と混同するが、子供にでも分かるのは一所懸命努力しても報われない事があり、社会は必然的に「負け組」を作り出して全体のバランスを保っていると言う現実である。このために、行政機関はセーフティネットを構築しているのであるが、弱者の痛みを理解出来ない政治家や行政マンによって高齢者用の賃貸住宅問題は放置されてきたのである。財政難で高齢者用賃貸住宅建設が難しいと言うなら未だ建替える必要のない議員宿舎の建設は何なのだと言いたい。独立行政法人の都市整備機構など高額な賃貸住宅を建設しているが、民間が出来る事業など機構などが行なう必要はないのに、なぜ定額の高齢者用賃貸住宅の建設を行なわないのかと憤慨する。高額の税金を納めた人達だけに行政サービスを行なえば良い様な考え方は国家の喪失に繋がるのである。今の政治家と役人に聖徳太子を学べと言いたいと思ったが、連中は聖徳太子を煙たがって紙幣から肖像画を消してしまったことに気が付いた。地方行政でも心ある所は高齢者用住宅の建設などに乗り出しているので、民間側としても企画力や知恵で側面支援を行う事が出来ればと考える。

過剰公共投資事業の責任を国民に転嫁する世論誘導は言語道断

過去の予算編成によって生み出された巨大な国家借金は国民がおねだりした結果の様な論調であるが、八ツ場ダム計画一つとってもが地元住民の要請で始まったものではなく、官僚と政治家が勝手に地元の意見など無視して決定したものである。道路計画でも予算ありきから地元に要望を聞いたのである。逆に、国民が希望した施設などは無視されるか、受け入れられたとしても話にならない程小規模な事業なのが現実であった。「おねだり民主主義の限界」などと書いた記事を見ると、現場を何も知らない記者や学者が意図的に政治家や官僚でなく国民に責任転嫁させる悪質な世論誘導と思わざるを得ない。民主党政権になって「子供手当て」や「農業個別所得補償制度」などが予算計上される様だが、国民は財政赤字を拡大してまで要求していないのである。又、高校まで義務教育化に関しても国民が優先的に行なって欲しい事でもないのである。今の政治は正に街頭で行なわれているアンケート調査と同じで、本人が答えを出す前に意図的に答えを誘導するやり方である。今、国民が一番願っているのは国会議員から地方議員までの大幅な議員数の削減であり、行政組織の整理統合である。私の故郷の茨城県の県会議員どもは県の住宅供給公社が1000億円ものの赤字を作っているにも拘わらず放置しており、市町村議員が合併により削減されているのに議員定数を減らす考えもない。もちろん、それらの議員を選んでいるのは県民なのでそういう意味では県民の責任ある。しかし、マスコミなどが報道を行なわなければ国民は日常生活に追われて県や国の財政問題などは普通は考えられないのが実情である。現行制度では投票率に拘わらず議員が選ばれてしまうことや拒否権はない。このため、政治を良くするには選挙イコール議員選出でない制度の確立を求めることが必要であり、その実現を約束する政治家を選べば社会は変わると考える。

人格の話

今朝電車の中で工事現場で働く作業員の方が仲間と雑談をしていたが、一人の年配の作業員が「人格がない奴は上に立ってはいけないよ」と大きな声で言っていた。作業員の方の指摘は正にその通りであるが、彼が憤って言ったのを聞くと彼等の職場も上に立っている者に人格者はいないのであろうと思われた。最近、書店では"人格"とか"品格"とかを取り上げた本が多く並んでいるのを目にする。私の理解では人格や品格の喪失は高学歴の人達の問題と思ったら今朝の作業員の会話で社会全体であることが分かった。そう言えば、当社が管理しているビルのテナントで同じ職業なのだが好対照の事例があった。それぞれのテナントの入居しているビルは違うのだが、職業は同じ弁護士である。両弁護士とも個別的な事情があり賃料の引き下げを要請してきたのである。一人の弁護士は当社担当者に対し横柄な態度で一方的に大幅な賃料引き下げを要請してきた。もう一方の弁護士の方は、現行賃料がビルの格から言えば妥当と思うが、諸般の事情により多少でも賃料を引き下げて頂けないかと当社担当者に対し低姿勢で要請してきた。当然に両物件共に管理物件であるため要請に対してはオーナーの了解が必要であるので、当社ではオーナーに要請を伝えたがこの要請に対してオーナーの方も又対応が好対照であった。良いテナントには良いオーナーが、人格に問題があるテナントには同様なオーナーの典型的な例となった。結果は言うまでもなく、良いテナントの方はオーナーの理解を得て直ぐに解決したが、悪いテナントの方は現在調停に入っており、間違いなく調停は不調に終わるので裁判となるものと推測される。しかし、本当に現在の社会は地位に相応しくない者が地位を得ているので良い社会にはならないと思われる。人格、品格そして器量が上に立つ者や経営者の資質であることを肝に銘じたい。

海外の大使館にお抱え料理人は必要か

先日TVを見ていたら海外の日本大使館付き料理人に関する番組を放送していた。危険な地域の大使館には日本の料理人が募集に応じないので、アジア人の料理人に日本料理を覚えさせて派遣するためにアジア人料理人達に日本料理を指導している番組であった。料理人派遣の目的は、海外の諸国の政府要人に日本料理を食させて友好を図ることと説明していた。派遣料理人はパーティ以外には大使や公使の家族に料理を作ることの仕事も兼務しているらしいが、実際には大使等の家族用の料理人であろう。今は日本国家が経費節減しなければならない時であるので先ず切り捨てなければ成らないのはお抱え料理人制度であろう。日本料理を食させて親交を深めるなどお笑い種であるのは、国賓ないしは国賓待遇が来日した時に迎賓館で出す料理がフランス料理であることで自明である。確か、有名なフランス料理店キハチのオーナーシェフは大使館のお抱え料理人出身と雑誌に書かれていたので、何がお抱え料理人は日本料理人かと言いたい。日本航空の救済と同様で、政治家の馬鹿野郎共は海外に行った時に大使館員に世話させるために出先の大使館に対する厚遇措置を継続しているのである。民主党も無駄使いを失くす作業を行なうなら国益を得るのに役にも立っていない海外の大使館の人数や施設、システムに対して合理化を行なうべきである。大使婦人も外交を担っているから専属の料理人が必要と言うかもしれないが、女性が必要なら女子職員を使うことで充分である。お抱え料理人を必要とする時代ではないことを知るべきである。

日本のマスコミは何処の国の代弁者か

イラン問題、日本国債、増税問題などの記事を読むと何処の国の代弁者かと勘違いする内容である。耳学問だけで記事を書いている新聞記者が外国の情報機関に取り込まれるケースは今に始まったことではないが、最近の記事を読むと特にその傾向が強まっている。イラン問題然り。欧米諸国が北朝鮮の核問題に対して日本を無視した頭越しの外交を非難せずに、イランの核問題では必要以上に危機感を煽り、日本も同調するのは当たり前と言わんばかりの論調である。イランの核問題などユダヤ・キリスト教とイスラム教の争いに日本が巻き込まれる事は国益を損なうのである。フランスとドイツなどイラク攻撃に対してはイラク国内に利権を有していたので攻撃に対して反対したが、イランに対しては利権を有していないので一転して今度は米国に追従している。日本がイランにおいてどの位国益を有しているかを考えれば制裁強化などに同調する事は出来ないのは自明の利である。他国が国益で動いているのに、日本のマスコミはその様な事を無視してイラン問題を欧米に同調させる論調を展開する事は国賊ものである。日本国債問題でも然りである。悪戯に危機感ばかり煽って増税が避けられないとの論調だが、その前に国会議員数の大幅な削減と行政組織の大リストラが前提であるのに、その様な記事を書いた新聞を読んだことがない。民主党が2大政党のモデルにしている英国など両党の国会議員が歳費の増大ばかりを行なっているので、両党とも過半数を取れない状況に追い込まれている。その様な状況を承知の上で2大政党論を支持しているマスコミなど過去の遺物に過ぎない。普天間基地問題でもマスコミは大騒ぎしているが、グローバル経済にあって局地戦以外の戦争など起こりはしないのに必要以上の冷戦前の危機感を煽らせている。局地戦の戦力位自前で行なわなければ世界から相手にされないのに属国意識が抜けないマスコミには呆れる。欧米諸国は北朝鮮を利用して北東アジアの分裂を考えているので日本の意見など無視されるのは当然なのにマスコミはその延長の報道ばかりである。国益とは国民の生命財産を守る事も意味しているが、日本のマスコミなど口先ばかりで真の国益を考えた報道など一つも行っていない。新聞報道など信じないことが人生を間違わない方法である。

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