先日、当社が資産コンサルティングを依頼されているお客様から目黒区に共同事業で建築された分譲仕様マンションの引渡し検査の立会いを求められた。お客様は完成したマンションには住まないで取得3住戸とも賃貸に出す予定になっていた。久し振りの検査立会であったので、大手不動産の分譲マンションの仕様を見ることには興味があった。特に、建築工事がグループ会社の建設会社であったことにも別な理由で関心があった。それは、当社がアドバイザリーしている不動産ファンドの親会社が何件かの工事をその建設会社に発注しており、完成後1年以上経過した時点で問題が生じてチェックを依頼されたことがあったので、施工の質について興味があった。なお、この大手不動産は工事部門に大手建設会社のOBを100名以上を雇用して施工監理体制を敷いている情報を得ていた。改めて建設会社と言うのは発注者側の監理によって施工の質を変える事が分かったのは、今回のマンション引渡し検査の立会いであった。もちろん、発注コストにも関係するので一概には判断できないが、少なくても昔から競争入札による発注に関しては良い仕事を行なうと言う意識はない。競争入札にすると見た目は低価格で発注できたと思えるが、この発注方法は飽くまで発注先側に見積りをチェック出来、施工監理を行なえる優秀な人材を抱えている事が前提である。破綻した新興不動産会社や不動産ファンドなどは短気的な視点出しか物事を見ていないので、競争入札によって安く造ることばかりに熱中していたと推測できる。尤も、見積り落としに気が付かず追加工事費を求められて余計に高くなった建築工事も大分あったと思われる。グローバル経済でコスト管理が厳しい時代だが、その事はイノベーションによって努力するしかなく、知恵を使うことが最良の方法である。しかし、今の時代は本質的な事柄が見えずに仕事をしている人々が多く、これは失敗した人を再度起用して敗者復活戦を行なわせる事がなくなったインフレ経済時代の負の遺産である。成功してきた人ばかりを重要な仕事に就かせると謙虚さが失われ会社経営の危機の原因となる。失敗とは何かを考えると、何も遣らなければ失敗はしないのでポジティブに仕事を行なった人と言えるが、失敗した人は物事を悲観的に見る傾向が強いので、事象の転換点に人より早く気づくと思われ、会社に取ってはプラスになると思われる。何れにしても、能力がなければダメなのだが、挫折は人を大きくすることを忘れてはならないと思う。
コスト削減などで起きる事件で考える力を失くす過保護社会に変貌か
小選挙区制度に一部比例制度を導入したので英国の様な2大政党にはならない日本
先見の明があると言っておこうかと思ったが、小選挙区制度は公明党の賛成がなければ成立しなかったのでやむを得ずに導入した小選挙区一部比例制度は英国が日本に学ぶことになりそうだ。英国は長年の保守党と労働党の2大政党が政権を担ってきたが、今回の選挙で両党とも単独過半数が取れずに自由党と保守党の連立政権となった。この連立協定では自由党が得票率が反映されるように小選挙区制度に比例制度の導入を保守党に求めたのである。確かに、英国の小選挙区制度は労働党や保守党に有利に設定されているので必ずしも得票率と議員数は比例しなかった。今回の選挙では自由党は2大政党に迫る得票率ながら両党の半数以下の議員数しか当選できなかったのである。良く考えると国民の意思を反映させる政党政治とは小選挙区制度ではなく、大選挙区制度と考えられる。尤も、小選挙区制度は政権交代が起き易いので各国とも導入しているのであろうが、時代の変化が激しく、政治が国民の要請に応えられなくなった今日では、少数政党にキャスティングボードを握られる可能性が高くても得票率が反映される選挙制度に改定する事が必要と考えられる。今から思えば、日本の中選挙区は情報化の時代には十分機能した制度であり、特に政治家個人を選べた制度であった。小選挙区制度とは、党が個人に対して絶対的となり、個人を選んでも意味がなくなってしまった感がある。少なくても中選挙区時代には選挙民に媚びない個性的な政治家が存在したが、小選挙区制度は個人を選ぶより党を選ぶ選挙であるので、政治家の発言まで国民目線でなく党目線になってしまった感がある。日本の場合は英国と違って小選挙区導入時に批判を浴びた一部比例制度の導入のお陰で得票率と懸離れた選挙結果でない可能性は残されている。特に、参議院選挙は大選挙区と比例制度の混合であるので、国民の意志が反映されやすい。今夏の選挙では衆議院選挙で勝ちすぎた民主党に対する反動が起き、民主党は負けはしないが勝てもしない結果となり、他党との連立政権が続く事を期待したい。
呆れた伊藤鹿児島県知事の民主・仕分け作業での発言
ユーロー安の穿った見方
ギリシャのソブリン・リスクから始まったユーロー安に関しては、欧州共同体の政治統合なしの通貨統合を問題とする論調が主流だが、本当にそうなのだろうかと疑問を持つ。今回の世界的な株式暴落を引き起こしたギリシャ問題を別な観点から分析すると違った光景が現出する。金融危機以降の世界経済、特に米国と欧州は公的資金の市場投入で最悪な結果を防いだが、肝心の景気回復の設計は得られないのが実情である。米国は確かに大規模な財政投入で底打ち感が漸く出てきたものの追加の財源は厳しく、今年度以降の経済を浮上させる財政的な手立ては少ないので先行きの懸念がある。欧州各国に目を向けると米国と同様に最悪期は脱したものの景気回復を描く経済成長を促す材料はなく、各国の政権も英国同様の政権党の不人気で近づく選挙で大敗する可能性もあり、各国首脳は頭が痛い所であった。しかし、今回のギリシャのソブリン・リスク問題は、ユーロー安を招いたが通貨安は欧州各国の企業の輸出競争力を高める事になり、欧州共同体の問題とは別な面が見えてくる。特に、ドイツ、フランスなどの企業はユーロー安により海外への輸出競争力が増す事は大歓迎と推測される。又、米国を見ると短気的な株安は米国経済にマイナスだが、ギリシャのソブリン・リスクは世界中から資本が米国に流入する結果を生じ、次の一手に困っていた米国に大きな恩恵となっている。翻って、日本を見ると、アジア経済により景気の底打ち感が出てきた時期に大幅な円高に見舞われることになり、今後は輸出企業収益の減少によって景気回復が遠のく事にもなりかねない。アジア各国の経済成長で一番恩恵を受けると考えられる日本を狙い撃ちにした様な円高を見ると、ギリシャのソブリン・リスクはこの時期に何故引き起こされたのかを注意深く見る必要がある。特に、欧米の政治家は今でもマキャベリの君主論とクラウゼビッツの戦争論を座右の書としている現実を忘れると痛い目に会うことになる。
宮崎・口蹄疫の感染拡大は芸能人知事のパフォーマンス重視による県職員の危機意識の低下
宮崎県の畜産農家の今回の悲劇は、10年前に92年ぶりに発生した口蹄疫の沈静化に起因している様な報道が出ているが、私は異なる意見を持っている。3年前の2007年にそのまんま東こと東国原知事が誕生したのだが、同知事は宮崎県の新興と称して観光と農産物を全国的に知らしめるために頻繁と東京などのTVに出演した。確かに、宮崎県の知名度を挙げて観光客の増加や農産物の出荷に関して効果があったことは否定はしない。東国原知事誕生以降は他県の知事まで東国原知事を真似て此れまでの官僚出身者の知事の有り方とは違いパフォーマンスを競うようになった。しかし、この様な知事のパフォーマンスが県の組織や職員に危機意識を低下させたのではないかと思えてならない。特に、東国原知事が任期半ばで一時は国政に参加する報道などもあったので、県職員としても1期限りの知事として職務に集中することが出来なかったのではないかとも思える。報道されていないが、今回の口蹄疫に関する発生の危険性を東国原知事は何処で聞いたのかと言う事と、現場にどの時点で行ったのかと言う事を知りたい。先日、東京都知事を務めた鈴木元知事が逝去した記事が掲載されていた。本人は100歳を超えたかったと思料するが、遺族の方には申し訳ないが先ずは99歳なので大往生と言えると思う。鈴木知事は、学者出身の美濃部知事が放漫財政による赤字都政と都市づくりを停滞させた東京都を見事に再生させた手腕の持ち主として記憶している方が多いと思われる。その後は芸能パフォーマンスの青島幸男が知事になって再度東京都を駄目にしたのであるが、大衆は今日の様な閉塞感がある時には性格が明るいパフォーマンス型の政治家を求めてしまうらしい。しかし、今回の様な口蹄疫の発生危機に関しては行政実務の訓練を受けた官僚出身の知事でなければ、職員から第一報を受けたときの判断力に差が出ると推測される。もちろん、官僚出身だから優れている訳ではなく、実務経験豊富な優秀な官僚との条件付ではある。飽くまでも推測の域はでないのだが、東国原知事は第一報に対して県職員に判断を求めたのではないか。3年間の東国原知事のパフォーマンスに馴らされた県職員の危機意識も徐々に低下し、今回の初動対応の不味さが出てしまったのではないだろうか。幾ら10年前に起きた口蹄疫が予想以上に被害が最小限に抑えられたからと言ってもその原因だけでは説明し切れないと思われる。
司法試験合格者の研修期間の給費問題と弁護士の見極め方
低金利では優れたマネジャーが不動産業界では育たない!
日本は10年以上低金利が続いている。低金利は事業資金の調達には有利だが、不動産業界を見ればこの低金利は多くの杜撰なプロジェクトを生み出していると思われる。企業、特に不動産業界では事業に多額の資金が必要となるので、「調達」と「調達金利」が重要となる。古い話で恐縮だが、27年以上前は金融機関から資金を調達するのは至難の業であった。その上に調達金利も高い時には10%を超えていた。私がプロジェクトマネジャーとして上司から事業計画の立案を指示されたときには、金融機関に差し出す担保物件の評価、更に調達金利の予測することから始めた。もちろん、この事業計画と平行して地権者との折衝なども行なったのだが、プロジェクト推進に対して担保物件による資金が不足する時には不本意だが発注先のゼネコンの完成保証を取り付けて乗り切ったものである。然も、調達金利は7%を超えていたので早期に完成物件の売却部分の買い手を見つけなければプロジェクト利益がなくなってしまうので大変であった。私が低金利では優れたマネージャーが育たないと指摘したのは、現在の様な低金利では過去の様な資金調達の困難さとと高金利のリスクに対して危機感を持つことがないので、絵に描いた餅の様なプロジェクトやインフレでもないのにその内何とかなるだろうと言う考え方が蔓延していると思われるからである。もちろん、それ以上にレバリッジを聞かした資金調達と高収益のビジネスモデルが本来のプロジェクトリスクを軽減化した様に思える。多くの不動産運営はアセットマネジメント(AM)によって行なわれているが、AMのスタッフの多くが不動産・建築の現場を知らない人で構成されており、その下に組み入れられているプロパティマネジメント(PM)会社やコンストラクションマネジメント(CM)会社の幹部も畑違いの分野から入った人が多いので後で問題が起きる処理が多い。特に、不動産証券化や不動産ファンドなどの出現により引継ぎの概念が異なる金融機関の出身者が不動産・建築業界の幹部になったことが多くの間違いを生じさせている。即ち、極端な例だが、金融機関の引継ぎとは前任者の不正を見つける機会を得る事だが、不動産・建築業界では顧客サービスを継承することである。また、金融機関の方には耳の痛い話だが、金融機関は顧客に対する嘘を許される業界であり、不動産・建築業界は誠実さと一貫性が重んじられる全く正反対の業界である。話が横道にされてしまったが、現在の低金利は不動産業界に携わる人達ばかりでなく、一般の人達もお金に対しての調達意識が甘くなっており、プロジェクトだけでなく人生のマネジメントまでも狂わしている様に思える。
情報化(IT)社会で失われる雇用の受け皿や報酬低下の問題解決は国民幸福度の思考へ
情報化(IT)は確実に雇用や費用を減らしているが、費用の減少はそれを実現する初期投資が起きるから絶対マイナスでないとしても雇用の方は余剰分の受け皿が用意されていないように思える。最近の傾向ではIT化による余剰人員をサービス業や第一産業の農業などに誘導する様な動きが見られるが、IT化で失われる職場で働いている人達は肉体労働とは懸離れているので受け皿としては簡単ではない。勿論、農業も今後はIT化による工場生産方式に変わると思われるので少なくても土日の休みもない様な現行の個人農業とは違ってくると思われるが、それには未だ時間が掛かると考えられるので現時点では受け皿としては難しい。サービス産業に関してもIT化のグローバル経済よるデフレでコスト削減が著しい職場なので正社員としての雇用は少なく大半はアルバイトで構成されているので報酬に低下は避けられない。尤も、最近の若い人達は最初から正社員の雇用の厳しさを知っており、昼夜のアルバイトの掛け持ちで生活しているのが実情であるので、IT化がもたらした格差社会では正社員雇用が当たり前の時代の人たちとは考え方を事にすると思われる。インフレ経済に育ち就職した者にとっては将来に対して楽観的な考え方が一般的であったが、経済成長など期待できない現代社会では将来に対する不安が先立つので縮み思考になって来ている。新聞・TVで20代、30代の自殺が多くなっていると報道されていたが、将来が展望できない時代の悲劇と思われる。マスコミが盛んにバイオテクノロジーや省エネ技術の開発など新しい時代の技術による産業の勃興によって雇用が創出されるので未来は期待できと報道しているが、新しい技術が雇用を奪ってきた過去を見ると眉唾にしか思えない。人口が減少すると経済力が低下すると言う理論は過去のものであり、今の日本社会はIT化によるグローバル経済の未来を先んじているのかも知れない。その様に考えると従来のGNP(国内総生産)思考からGNH(国民幸福度)思考に切り替えて人生の価値観を金銭的重視思考からIT化の反対である時間を遅く進ませる自然的重視思考に転換させる必要がある。
普天間基地移設問題だけが政治ではないのに馬鹿騒ぎには疑問!
米国フロリダ沖の油田事故による原油流失でバタフライエフェクトを考える
情報化社会がもたらしたデザイナーズマンションなど外見重視偏重の問題点
その時代その時代に起きた革命的な変化は人間の脳にも大きな影響を与えて新しい考え方が生まれるが、その様な視点で情報化社会を見ると、不動産業界などには"見た目重視"に大きな影響を与えたと思われる。もちろん、何も見た目重視は情報化社会だけが生み出したものではないが、今回の見た目重視の問題には極端なハード軽視に繋がっている怖さを指摘したいのである。グローバル経済が物の価格を引き下げているが、短期間で消費されるIT機器と建築物は基本的には異なるので、見た目も大切だが自然災害に対する配慮も重要となる。今日的な問題ではないのだが、建築士に設計を依頼するとデザイン重視の人と機能重視の人に分かれる。前者は使い勝手が悪く、後者は野暮ったいので発注者としてはこの中間の人を常に探している。この様に書くと躯体等ハード面の事に触れていないと思われるかもしれないが、地震災害の多い日本ではハード面で手抜きをすることは想定外のことであった。もっとも、阪神大震災で分かった事だが、関西は大地震が起きないと言う間違った考え方が浸透して関西の建築物の多くは許容範囲を下回っていたために地震規模以上に被害が大きくなったと言われている。少なくても、東京を中心としたエリアでは許容範囲を下回る手抜き工事はなかったと思われる。しかし、情報化社会やグローバル経済の浸透に相俟ってハード軽視の考え方は建築業界にも波及し、「物造り」を重視しない人達が不動産業界に進出し大きな利益を挙げるようになり、何時の間にか極端な見た目重視に変わり、ハード面のチェックは二の次になってしまった。その結果は耐震偽装事件に繋がっているのだが、この耐震偽装の様な犯罪は極端な例だが、問題は工事費の削減要請から生じたハード軽視の不良建物が2000年以降多く出現している事実である。外観や設備的には古い建物より優れているが、建物の基礎の部分や建築物の内部、更には工事費削減を目的とした材料は時間が経過しないと判断できないので怖い。不動産業界に関わる人の多くが、家電などの例を挙げて日本の家電はフル装備で価格が高く競争力が弱くなっている例を引き出して装備の簡素化に対する考え方を建築業界にも波及させていることが問題と思える。もちろん、経済力のない国々の人に対する物販の考え方を幾らグロバル経済だからと言って日本にも適用すること自体が考え方に間違いがあると思われる。ひとつの大きな変革をもたらす技術的な思想は多くの分野に波及するが、それは必要条件であって十分条件ではないことを理解して取り入れるべきと思える。不動産業界は、ipodとウォークマンとの競争結果とは違うのである。