コスト削減などで起きる事件で考える力を失くす過保護社会に変貌か
大分前になるが製造物責任法(PL法)が制定されてビル造りにも大きな影響を受けた。最近では消費者契約法が成立して当事者同士が納得した契約でも後から異議を受けると否定される場合も出てきた。更に、使用期間が大分経過した改造ガス湯沸かし器の中毒死事件でメーカーが裁判で敗訴するなど自動車事故と同様な大きな立場の方が不利になる事例が多い。ガス湯沸かし器の事件に関しては裁判における疎明書や陳述書などを閲覧していないし、判決文も読んでいないのだが、耐用年数を大分経過し、且つ改造されていたガス湯沸かし器に対してメーカーが責任を問われるのは理不尽と思われる。本来ならば、耐用年数の大幅に経過し、改造していた貸主の責任と思われるが、検察はメーカーに対する刑事事件として取り扱ったことになる。民事の裁判は当然に遺族は家主相手に損害賠償事件を起こしていると推測できるので、両者とも裁かれる結果となるわけだ。今回の裁判で気になるのは、メーカー側の今後の対応である。IT社会であるのでリモコンや設備機器に耐用年数を超えた時点で警告を発する様なシステムを導入したり、設計的に自動的に動かなくするシステムも考えてくると思われる。メーカーでは経年劣化による故障で危険性が高い機器に関しては、万万が一の対策を取る必要が出てくることになるのだが、本件は何か間違っていると思わざるを得ない。10数年のデフレ社会がコスト削減を助長し、その結果過去には起きないような事故が多発している。極端なコスト削減がもたらす事故や事件に対して行政側が対応している姿はマトモとは思えない。安いにはそれなりの理由がある訳だが、それを自己責任としない過保護社会は行政に取っては権力を行使できる都合の良い社会である。過保護社会の延長線上には、他人に責任を転嫁する無責任な考える力を失った総認知症社会が出来上がる懸念がある。
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